Monday, February 05, 2018

目取真俊の世界(3)消えゆく言語で小説を書くということ


目取真俊「沖縄語を使った小説表現」『神奈川大学評論』(2017年)
1966年に発表された大城立裕の「亀甲墓」における<実験方言>は、沖縄の政治状況を背景として「沖縄人とは何か」という文化状況を書いたもので、<沖縄の神話的世界>を提示した。沖縄語を使うとヤマトゥの読者は理解できないが、「標準語」で会話するのも不自然だ。そのために<実験方言>が作り出された。標準語と沖縄語の間で、小説のためにつくりだされた表現である。目取真は「それは読者の枠を広げる一方で、沖縄語を自由に話せる沖縄人には違和感を与えることにつながっただろう」と言う。
 1971年に芥川賞を受賞した東峰夫の「オキナワの少年」は、一歩進めて、感じで意味を伝え、ルビで音を伝える方法で当時のコザの庶民が実際に使っていた話し言葉を表現しようとした。ところが、大城立裕はこれを評価しなかった。目取真は「漢字とルビの組み合わせで新しいイメージをつくりだそうと言う言葉遊び」を評価する。
2009年の目取真俊『眼の奥の森』は、漢字だけでなくひらがなにもルビをふり、「沖縄語を知らない人はもとより、知っている人にも読むのが難しいかもしれない。それでも、沖縄語を使ってどこまで表現可能か追求しようと考えた」のである。
最後に目取真は「やがて沖縄語を使って小説を書く者がいなくなるかもしれない。そうなる前に沖縄語でここまでは表現された、という領域を少しでも広げておきたい、という思いがある」と言う。「消えゆく言語で小説を書くということはどういうことなのか」と問い続けながら。
目取真の最新の文章の一つだろう。