Sunday, July 28, 2019

時代に挑み、自分に挑むジャーナリズム


神奈川新聞「時代の正体」取材班『時代の正体3 忘却に抗い、語り続ける』(現代思潮新社)


闘う新聞の看板連載記事をまとめた3冊目。「権力はかくも暴走する」、「語ることをあきらめない」に続いて「忘却に抗い、語り続ける」と宣言し、「生きるために、もう黙らない」と覚悟を決める。『ヘイトデモをとめた街』を合わせると4冊目だ。

語り続けるのは、もちろん神奈川新聞記者であるが、彼女ら彼らだけではない。ヘイト・スピーチに抗って語り続ける市民がいる。やまゆり園事件に絶望しながらも希望を求めて語る市民がいる。改憲問題、性差別問題、教科書問題、辺野古基地問題、至る所に抑圧とモラル・ハザードが蔓延し、社会の危機が続いているが、「生きるために、もう黙らない」。

大新聞とテレビが権力翼賛度をどんどん高めている現在、まともなジャーナリズムは地方紙とフリーランスに期待するしかないとは、ずっと以前から言われていたが、その傾向はいっそう進んでいる。沖縄二紙の奮闘が続くが、地方紙の場合は徐々に両極化しているかもしれない。経営状況、経営体質、編集体制、記者の姿勢、地域が抱えるテーマなどによって多様なので、単純に比較できるわけではないが。

「トランプ以前からトランプだった」とさえ言われる差別主義者でフェイクまみれの首相が権力を私物化し、メディアに権力的に介入している国だ。ジャーナリズムはつねに危機にあえいでいる。

ジャーナリズムを支えるのは、ジャーナリストの正義感ややせ我慢だけではない。黙らない市民、騒ぎ立てる市民、異議申し立てする市民、真実を追求する市民、平和を希求する市民の闘いが本物のジャーナリズムを支えるのだ。

Monday, July 15, 2019

桐山襲を読む(12)作家はいかにして何と闘うのか


陣野俊史『テロルの伝説 桐山襲烈伝』(河出書房新社、2016年)


文芸評論家の陣野による伝記である。陣野は、じゃがたらや渋さ知らズの本を書くなど、サッカーとロックに詳しいそうだ。『サッカーと人種差別』(文春新書)は読んだが、いい本だった。

本書は桐山の初の伝記だが、引用に次ぐ引用で、450頁のうちざっと半分が桐山の小説やエッセイの引用という異例のスタイルだ。桐山夫人へのインタヴューと、桐山の遺品にあった原稿や記録を活用しているが、それ以外の資料がないようだ。存命中の桐山と接点を持った人々へのインタヴューはあまりない。作家・桐山以外の、公務員・桐山についての取材もない。

その意味でかなり限られた「伝記」だが、引用だらけでも、それなりに読めるのは、桐山の「魅力」なのか、陣野の文章の魅力なのか。たぶん両方だろう。とはいえ、桐山に感心のない読者は、途中で放棄してしまうかもしれない。

本の帯には、いとうせいこう、青来有一、中島京子、星野智幸の推薦の言葉が載っている。

「読後ずっと考えている。この作家を忘却して、時代は何を消去したんだろう?」(中島)

「全身の言葉で世の流れに抗った桐山襲の後に続くことを、ここに宣言する。」(星野)

なるほど、桐山を忘却してきた私たちから失われたものは、いった何だったのか。

なるほど、星野智幸が現代の桐山か、ふむふむ、なるほどと思いつつ、ちょっと違うような。といいつつ、星野の今後にいっそうの期待を。

陣野はあとがきで次のように述べている。

「作家はそれぞれのスタイルで闘っている。そんなことはわかっている。闘い方を一律に決めるつもりはない。だが桐山のような姿勢で闘っている作家は減った。いなくなった、と言ってもいい。そこが惜しい。誰かに、桐山のような小説を書いてほしい。彼が途絶した書法を、2016年の今、更新して欲しい。」

Sunday, July 14, 2019

拉致問題を切り捨てた日本政府



*7月14日、手違いで古いバージョンの原稿を掲載したので、新しいものに差し替えた(7月15日)。



雑誌『マスコミ市民』に連載してきたコラム「拡散する精神/萎縮する表現」が7月号で100回に達した。



折々の言論・表現に関連するテーマを取り上げてきて、一部は単著『メディアと市民』(彩流社)にまとめることができた。



連載100回目は、「拉致問題を切り捨てた日本政府」と題して、昨年11月の国連・強制失踪委員会の出来事を報告した。真相がわかっていないため、今後も調査が必要だ。下記に貼り付ける。



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拡散する精神/委縮する表現(100)

拉致問題を切り捨てた日本政府



前田 朗(東京造形大学教授)



強制失踪委員会



 安倍晋三首相は拉致問題の解決に向けて取り組んできた、ということになっている。本年五月一九日の拉致被害者家族会や「救う会」などが都内で開いた国民大集会に出席し、「拉致問題は安倍政権の最重要課題」と強調したのは周知のことである。

 ところがトランプ・金正恩会談の進展につれて徐々に姿勢を変えてきた。「対話は意味がない。制裁あるのみ」という基本姿勢から「前提条件なしで話し合う」に変化したことはさまざまな推測を呼ぶことになった。

 実は安倍政権は昨年一一月にジュネーヴの国連人権高等弁務官事務所で開催された強制失踪委員会の場で、拉致問題を切り捨てる方針を表明した。「前提条件なしで話し合う」に変化したことと因果関係があるかどうかは不明だが、強制失踪委員会で何があったのか。政権は語らないし、マスコミも報じない。筆者は強制失踪委員会の審議を傍聴していないので、限られた資料と、本年三月にジュネーヴに滞在した際の関係者からの聞き取りに基づいて判明した範囲で事の次第を報告したい。

 二〇〇六年一二月、国連総会において強制失踪条約が採択された。国の機関等が人の自由をはく奪する行為であって、失踪者の所在等の事実を隠蔽することを伴い、かつ、法の保護の外に置くことを「強制失踪」と定義し、「強制失踪」の犯罪化及び処罰を確保するための法的枠組み等について定めている。条約第二六条に基づいて強制失踪委員会が設置された。条約当事国は条約第二九条に基づいて報告書を提出し、委員会で審議の結果、勧告が出される。日本政府は今回初めて報告書を提出し、昨年一一月五~六日、委員会審査に臨んだ。

 日本政府は冒頭から朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致問題を取り上げ、詳しく報告した。事前にメディアや関係者にも繰り返しレクチャーし、拉致問題に力を入れているとアピールした。委員会が拉致問題について勧告を出すと期待を膨らませた。

 ところが思いがけない事態になった。強制失踪委員会は拉致問題を取り上げなかったのだ。委員会が質問したのはなんと日本軍「慰安婦」問題であった。



苦渋の選択?



 一日目(一一月五日)の審査直後、日本代表団はパニック状態だったらしい。大使の目はうつろになっていたという。二日目(翌六日)の審査までに、日本政府は対応を決しなければならない。というのも、日本政府は「慰安婦問題は条約締結以前の問題だから、委員会が取り上げるべきではない」と繰り返してきた。この主張によれば、拉致問題も条約締結以前の問題だから、委員会が取り上げてはならないことになる。

 拉致問題が取り上げられると宣伝してきた日本政府は窮地に追い込まれた。「慰安婦」問題か、拉致問題か、予想外の二者択一を迫られた。

 大使レベルで判断できる問題ではない。一日目夜から翌日未明にかけて、日本代表団は必死の思いで東京に連絡を取ったことだろう。ことは外務大臣でも即断できない。当然のことながら官邸の判断だ。時間は限られている。筆者はこの間の事情を詳らかにしていない。推測するのみだが、安倍首相の判断で、「慰安婦」問題を優先したのだろう。

 委員会で、日本政府は改めて「条約締結以前の問題を委員会は取り上げるべきでない」と主張した。拉致問題を取り上げるな、という驚愕のメッセージだ。大使の手はわなわな震えていたという。

 一一月一九日、委員会から「慰安婦」問題の解決を求める勧告が出された。これに対して一一月三〇日、日本政府は「条約は本条約が発効する以前に生じた問題に対して遡って適用されないため、慰安婦問題を本条約の実施状況に係る審査において取り上げることは不適切です」「国連に求められる不偏性を欠き、誠実に条約を実施し審査に臨んでいる締約国に対し非常に不公平なやり方といわざるを得ません」と、猛烈な抗議の手紙を委員会に送った。

 ここまで来ると後戻りはできない。安倍政権は拉致問題を切り捨ててでも、「慰安婦」問題の責任回避を優先した。一一月六日、官邸で何があったのか。その判断経過をもっと知りたいものである。

歌う平和憲法(3)


11 初音ミク「日本国憲法」

歌で覚えるチャンネル。




初音ミク






12 結月ゆかり「日本国憲法前文」



結月ゆかり


 



13 クニ河内と羅生門「日本国憲法」

 1971年に発売されたクニ・河内と羅生門のアルバム。第1条、第9条、第11条など条文に曲をつけたもの。もっともはやい時期のチャレンジングなアルバムである。私はこのアルバムの存在はかなり以前から聞いていたが、持っていない。いまはYoutubeにアップされているので便利。

Youtube

日本国憲法(OUR CONSTITUTIONAL RIGHTS)



クニ河内


羅生門




14 藤本隆章「9条」

最近、Youtubeで見つけたばかり。



藤本隆章



オスプレイよ来るな


たたかう仲間たちよ









Friday, July 12, 2019

大崎事件第三次再審請求審最高裁決定に抗議し、再審制度の抜本的改革を求める刑事法学者の声明


大崎事件第三次再審請求審最高裁決定に抗議し、再審制度の抜本的改革を求める刑事法学者の声明





2019年7月12日        刑事法学者有志声明            

                

大崎事件第三次再審請求にかかる検察官からの特別抗告に対して、最高裁判 所第1小法廷は再審開始を認めた福岡高裁宮崎支部による原決定及び鹿児島地 裁による原々決定を2019年6月25日付で取り消し、本件の再審請求を棄 却する決定を言い渡した。  

本決定の判断とその手続きには、刑事司法制度の基本理念を揺るがしかねない重大な瑕疵が存在する。私たち刑事法学者有志は、本決定を強く批判し、再 審にかかる運用を改め、ひいては再審制度を抜本的に改革する必要があることを訴える。                        

本決定は、新たな法医学鑑定について「一つの仮説的見解を示すものとして尊重すべきである」としつつも、その手法の限界を指摘して、「死因又は死亡 時期に関する認定に決定的な証明力を有するとまではいえない」とした。もと より証拠の明白性判断においては、新証拠に「決定的な証明力」が必要とされるわけではない。だが、本決定は、これに続いて他の証拠を含めた総合評価を行うとしながら、被害者の死体の発見状況から請求人を含む親族の者以外の犯 行は想定し難いとの前提に立った上で、共犯とされた人々の各自白や親族の目 撃供述は、相互に支え合っているだけでなく、このような「客観的状況等からの推認」によっても支えられていることを理由として、新たな法医学鑑定によって「合理的な疑い」は生じないと結論づけたのである。               

しかし、密室的状況もないのに、被害者の死体の発見状況から犯人を絞り込む(「客観的状況等からの推認」)のは、その論理に飛躍がある。これは、請求人にアナザー・ストーリーの証明を課すに等しいという意味で、「疑わしいと きは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に反する。                                 

また、共犯者とされた人々の自白や親族の目撃供述については、これまで各次の再審請求審において、その信用性に問題があることが指摘されてきた。各裁判所が主導した証拠開示の成果によって、共犯とされた人々の知的能力の乏しさも明らかになった。知的障がい者の供述が誘導されやすくその信用性に類 型的な弱点があることは、近年ではもはや司法はもとより捜査実務の現場にでさえ共有されつつある科学的知見である。それにもかかわらず、本決定は、原々決定や原決定が正面から向き合ったこれらの事情を省ることなく、新たな法 医学鑑定の明白性を否定したのである。つまり、これら自白や目撃供述について全面的再評価・総合評価が実質的になされていない点で、再審請求審においても「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるとした白鳥決定(最決昭和50年5月20刑集29巻5号177頁)・財田川決定(最決昭和51年10月12日刑集30巻9号1673頁)を無視するものであり、刑事訴訟の基本原則を没却するものと言わざるを得ない。   

さらに、本決定は、原々決定が明白性を認めた心理学鑑定についても、その手法に一定の限界があることを理由に「直ちに(供述の)信用性を減殺する証 拠ではない」としている。しかし、手法の限界に関する指摘は抽象的なものにとどまっており、素朴な経験則を用いたほうが供述の変遷等の意味に関する評 価が正しく行える旨の論証はなく、実際、共犯者らの供述の変遷等の意味に関する最高裁の評価を具体的に示した箇所は一か所もない。これでは心理学鑑定の証拠価値を限定的なものにとどめ、素朴な経験則によったほうが正しい評価 ができることを論証していないに等しく、原決定(本件の場合には原々決定)を 破棄したり取り消したりする際には当該判断が不合理であることを示さなければならないとしてきたこれまでの最高裁のアプローチにも反する。                    

本決定はその手続きにも大きな問題がある。特別抗告の理由は、憲法違反または判例違反がある場合に限られているが(刑訴法433条1項・405条)、 本件の原決定ならびに原々決定がこれに当たらないことは明白であった。本決定は、特別抗告について刑訴法411条1号を準用し、原決定ならびに原々決定の判断には刑訴法435条6号の解釈適用を誤った違法があり、これを取り消さなければ「著しく正義に反する」として、職権により原決定ならびに原々決定を取り消した。 しかし、不利益再審を禁止する現行法において、再審制度は誤判と人権侵害を救済するための制度である。このことからすれば、再審開始決定を覆すための職権発動は行うべきでない。 ましてや、1年以上にわたって事件を係属させておきながら何ら事実の取調べを行うことなく、そして、原審に差し戻すことすらなく、自判して再審請求 を棄却したことは、再審制度の存在意義を根本から歪めるものであり、到底許容されない。「著しく正義に反している」のはどちらであろうか。                        

日本の再審のハードルはその運用において極めて高く設定されてきた歴史があり、「開かずの扉」とさえ呼ばれてきた。その中にあって大崎事件は、3度の再審請求を通じ、異なる3つの裁判体が再審の開始を認めた希有な事案である。それにもかかわらず、再審が開始されず、高齢の請求人が残された時間と闘っているという現状は、異常な事態と言わざるをえない。 再審を誤判と人権侵害を救済するための制度として正しく機能させるために、ドイツなど諸外国を参考にして、再審開始決定に対する検察官の抗告を禁 じることを含む抜本的な制度改革を早急に検討すべきである。本決定は、再審制度の改革が日本の刑事司法制度における緊急の課題であることを白日の下に 晒している。     

以上       

            

刑事法学者有志    92名



呼びかけ人(五十音順) 指宿信(成城大学教授) 笹倉香奈(甲南大学教授) 豊崎七絵(九州大学教授) 中川孝博(國學院大学教授) 中島宏(鹿児島大学教授) 水谷規男(大阪大学教授)

歌う平和憲法(2)


06 沢田研二「我が窮状」

2008年、沢田研二が60歳の時につくった9条の歌。アイドル時代は政治的なことを発言できなかったが、「60歳になったから、ちょっと自分の主張を歌ってもいいかな」というようなことを言っていた。作詞:沢田研二、作曲:大野克夫。「英霊」が登場するので、学生には要説明。私が授業で使っているのは次のCD

沢田研二『Rock’n Roll March

Youtube






07 山崎まさよし「#9 story

2013年、「セロリ」の山崎まさよしがつくった9条の歌。アルバムは3.11以後の状況に向き合ったもの。何かのインタビューで「英語で逃げてます(笑)」と言っていたように、歌詞は英語。作詞・作曲:山崎まさよし。私が授業で使っているのは次のCD

山崎まさよし『Flowers

これにはボブ・マーリーの「Redemption Song」のカバーも収録されている。

#9 story」はオンラインでは見つからない。山崎まさよしのインタビューがある。

山崎まさよし ニューアルバム「flowers」への思いを語る!




08 あきもとゆみこ「第九で9条」

2003年のイラク戦争後、大阪のイラストレータのあきもとゆみこが発案して、ベートーベンの交響曲第九の「歓喜の歌」のメロディに9条の歌詞を載せて、歌った。仲間たちと一緒に御堂筋をパレード。あきもとは『マンガ無防備マンが行く!』(同時代社)を出版。あきもとについて、前田朗「第九で第九条パレード、あきもとゆみこ」『マスコミ市民』2007年12月号。私が授業で使っているのは次のCD

『第九で9条』(旋律「歓喜の歌」、詞:9条、作:あきもとゆみこ)

Youtube




秋元裕美子


なお、あきもとの発案をまねて、第九で9条を歌っているグループがほかにもあり、CDも出していたが、このグループは自分たちのオリジナルであるかのごとく主張していた。あきもとの「第九で9条」に著作権はないかもしれないが、あきもとの創意工夫を尊重するべきだろう。



09 「ラップ憲法」

1996年に、早稲田司法試験セミナーの企画として「ラップ憲法」がつくられた。前文から第103条までラップにしている。中心はジャズミュージシャンの北陽一郎。発案は素晴らしいが、ラップの出来が良いとは言えない。むしろ「朗読・憲法」と言ったほうが良い。私が授業で使っているのは次のCD

『ラップ憲法』(早稲田経営出版)



10 Co.慶応「日本国憲法ラップ」

Co.慶応というラッパーの作品。

【日本国憲法ラップ】前文の重要事項の覚え方を歌で解説!/ Co.慶応が穴埋め形式のラップで授業!?





Wednesday, July 10, 2019

歌う平和憲法(1)


    私の「日本国憲法」の授業では、長年、毎回、憲法の歌を流してきた。日本国憲法前文や9条の歌である。他の授業では、平和の歌や反戦歌もよく使うが、憲法の授業では憲法の歌を使っている。

    友人知人に聞いてみると、授業で憲法の歌を使っている例はあまり多くないようだ。学生に聞くと、ごく一部に「高校の授業できたがわてつの憲法前文の歌を聞いた記憶がある」というので、学校教育で使っている例もあるようだ。社会科の授業か音楽の授業かはわからないが。

   日本弁護士連合会が近年、日本国憲法の歌を募集する企画をやっていたと記憶するが、みんなでどんどん平和憲法の歌を歌えるといいな、と思う。

   以下では、私が授業で使っている曲を順不同で紹介していく。



01 いなむら一志「Kempo.No.9

02 上田文雄「第9ロック」

03 笠木透「あの日の授業ーー新しい憲法のはなし」

04 きたがわてつ「日本国憲法前文」「九条」

05 アジアン・カンフー・ジェネレーション「No.9」(以上今回)


06 沢田研二「我が窮状」

07 山崎まさよし「#9 story

08 あきもとゆみこ「第九で9条」

09 「ラップ憲法」

10 Co.慶応「日本国憲法ラップ」

11 初音ミク「日本国憲法」

12 結月ゆかり「日本国憲法前文」

13 クニ河内と羅生門「日本国憲法」




 1996年に、札幌の上田文雄(弁護士・次項参照)の発案で、憲法に曲をつけて歌う企画があった。作曲を担当したのが、北海道で活躍していたミュージシャンのいなむら一志(稲村一志)である。いなむらは、後に自分のアルバムに「Kempo. No. 9」として収録している。憲法9条の歌はたくさんあるが、私の一番の推薦はこれだ。

CD:いなむら一志『他事騒論』

CD:いなむら一志&大『Imagine

CDImagine』には、「Kempo.No.9」のほか、ジョン・レノンの「イマジン」の日本語版も収録されている。2007年にこれを私は100枚購入して普及したが、その後、いなむらが他界したため、現在の入手方法は不明。オンラインでは見つからない。他の曲をYoutubeで聞くことが出来る。

いなむらは1970年代、フォークロックバンド「第一巻第百章」でデビューしたが、解散後は北海道で活躍した。いなむらについては、前田朗「イマジンを子どもたちと――いなむら一志」『マスコミ市民』2007年1月号参照。


ウィキペディア


Youtube





2 上田文雄「第9ロック」

札幌の上田文雄(弁護士)発案により「Japanese KENPO」企画としてCDが作成された。そこに収められたのが、「第9ロック」(歌・上田文雄)と「日本国憲法前文」(歌・舛田雅彦・弁護士)である。作曲はいずれも稲村一志。現在、Youtubeにアップされている。


第9ロック


憲法前文



上田文雄




03 笠木透「あの日の授業――新しい憲法のはなし」

文部省が日本国憲法普及のためにつくった「新しい憲法のはなし」をもとにした笠木透作曲の「あの日の授業」。音源は多数あるが、私が授業で使っているCDは下記。

笠木透と雑花塾他『ピース・ナイン』(音楽センター)(歌は増田康記)

Youtubeには多数ある。





笠木透




04 きたがわてつ「日本国憲法前文」「九条」

1983年、きたがわてつが作曲して日本国憲法前文を歌った。音源は多数あるが、私が授業で使っているCDは下記。「九条」も収録されている。

きたがわてつ『日本国憲法前文』(音楽センター)

Youtubeでは





きたがわてつ




05 アジアン・カンフー・ジェネレーション「No.9

ロックバンドのアジカンが2008年に憲法9条を歌った。「No.9」というタイトルで、これが9条であることは後藤正文自身があちこちで語っていた。イラク戦争をはじめとするアメリカの戦争を念頭に置いていると聴こえる。学生には一番人気の曲だ。私が授業で使っているCDは下記。これには日米安保を批判する歌「惑星」も収録されている。

アジアン・カンフー・ジェネレーション『World World World(Ki/oon Records)

DVDも出ている。

アジアン・カンフー・ジェネレーション『映像作品集5巻』(Ki/oon Records)

Youtube




アジカン



Tuesday, July 02, 2019

日本植民地主義の現在―先住民族遺骨問題を手がかりに


【東アジア近現代史連続セミナー】



52 720日(土)

「日本植民地主義の現在先住民族遺骨問題を手がかりに」(前田朗/東京造形大学教授)

日時 720日(土)13:3016:30

会場 ココネリ3階ホール(西武池袋線 練馬駅 北口隣接)

参加費 700円(高校生以下無料)

予約の必要はありません。ぜひご参加ください。



一般に「差別はいけないこと」と学校では教えられ、社会でもそう認識されているはずです。ところが実際には日本人(大和民族)は米軍基地に反対する沖縄の市民を「土人」と罵り、在日朝鮮人に対しては執拗にヘイトスピーチを繰り返し、朝鮮学校のみを授業料無償化対象から外したままにしています。なぜこうしたことが起きるのでしょうか。この点に関して前田朗東京造形大学教授は、近代日本の民族差別の起源をアイヌモシリ、沖縄、朝鮮へと拡大していった日本植民地主義の歴史に求めています。近年北海道と沖縄で提起された先住民族遺骨返還問題を手がかりに日本の植民地主義とヘイトスピーチ・民族差別の起源について前田教授にお話を伺います。ぜひご参加ください。



東アジア近現代史連続セミナー実行委員会



今後の予定

53 831日(土)「辺野古新基地建設問題と日米地位協定」(稲正樹さん/元国際基督教大学教授)

54 914日(土)「日本の戦時経済」(原朗さん/東京大学名誉教授)



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