Monday, July 15, 2019

桐山襲を読む(12)作家はいかにして何と闘うのか


陣野俊史『テロルの伝説 桐山襲烈伝』(河出書房新社、2016年)


文芸評論家の陣野による伝記である。陣野は、じゃがたらや渋さ知らズの本を書くなど、サッカーとロックに詳しいそうだ。『サッカーと人種差別』(文春新書)は読んだが、いい本だった。

本書は桐山の初の伝記だが、引用に次ぐ引用で、450頁のうちざっと半分が桐山の小説やエッセイの引用という異例のスタイルだ。桐山夫人へのインタヴューと、桐山の遺品にあった原稿や記録を活用しているが、それ以外の資料がないようだ。存命中の桐山と接点を持った人々へのインタヴューはあまりない。作家・桐山以外の、公務員・桐山についての取材もない。

その意味でかなり限られた「伝記」だが、引用だらけでも、それなりに読めるのは、桐山の「魅力」なのか、陣野の文章の魅力なのか。たぶん両方だろう。とはいえ、桐山に感心のない読者は、途中で放棄してしまうかもしれない。

本の帯には、いとうせいこう、青来有一、中島京子、星野智幸の推薦の言葉が載っている。

「読後ずっと考えている。この作家を忘却して、時代は何を消去したんだろう?」(中島)

「全身の言葉で世の流れに抗った桐山襲の後に続くことを、ここに宣言する。」(星野)

なるほど、桐山を忘却してきた私たちから失われたものは、いった何だったのか。

なるほど、星野智幸が現代の桐山か、ふむふむ、なるほどと思いつつ、ちょっと違うような。といいつつ、星野の今後にいっそうの期待を。

陣野はあとがきで次のように述べている。

「作家はそれぞれのスタイルで闘っている。そんなことはわかっている。闘い方を一律に決めるつもりはない。だが桐山のような姿勢で闘っている作家は減った。いなくなった、と言ってもいい。そこが惜しい。誰かに、桐山のような小説を書いてほしい。彼が途絶した書法を、2016年の今、更新して欲しい。」