Sunday, December 22, 2019

ちょっと残念な本


見田宗介『超高層のバベル』(講談社選書メチエ、2019年)

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000317960

宣伝文句は次の通り。

<『現代日本の精神構造』(1965年)や『近代日本の心情の歴史』(1967年)で日本と日本人がたどってきた道行きを具体的な事象を使って鮮やかに分析した社会学者は、人々を震撼させた連続射殺事件の犯人を扱う「まなざしの地獄」(1973年)でさらなる衝撃を与えた。その名を、見田宗介(1937年生)という。

続くメキシコ滞在を機に、さらなる飛躍を遂げた社会学者は、「真木悠介」の名を使ってエポックメイキングな著作『気流の鳴る音』(1977年)を完成させる。

ここで形を得た人間観と、そこから導かれるコミューンへの憧憬は、独自の理論に結晶していき、数多くの信奉者と、数多くの優れた弟子を生み出した。その成果は、『時間の比較社会学』(1981年)や『自我の起原』(1993年)といった真木悠介名義による労作を経て、ついに『現代社会の理論』(1996年)に到達する。

現代の世界に向けられた冷徹と愛情の共存するまなざしは、最新の社会現象についても常に鋭利な分析をもたらし、今なお他の追随を許すことがない。

その思想が、かけがえのない「他者」たちとの対話を源泉にして生まれてきたこともまた間違いのない事実である。対談や座談会は収録の対象としなかった『定本 見田宗介著作集』(全10巻、2011-12年)と『定本 真木悠介著作集』(全4巻、2012-13年)を補完するべく精選された、珠玉の11篇。現代日本社会学の頂点に君臨する著者が望んだ初の対話集がついに完成した。>

[本書収録の対話]

河合隼雄  超高層のバベル

大岡昇平  戦後日本を振り返る

吉本隆明  根柢を問い続ける存在

石牟礼道子  前の世の眼。この生の海。

廣松 渉  現代社会の存立構造

黒井千次  日常の中の熱狂とニヒル

山田太一  母子関係と日本社会

三浦 展  若い世代の精神変容

藤原帰一  二一世紀世界の構図

津島佑子  人間はどこへゆくのか

加藤典洋  現代社会論/比較社会学を再照射する



交響空間――あとがきに(見田宗介)



『現代日本の精神構造』『気流の鳴る音』『時間の比較社会学』など、かつて読んでおおいに勉強になった。その著者の「対話集」である。古いものは黒井千次との対話が1971年、廣松渉との対話が1973年、新しいものは藤原帰一との対話が2010年、加藤典洋との対話が2016年だ。つまり半世紀に及ぶ期間に行われた11本の対話・往復書簡を収録している。

それなりに期待して読み始めたが、冒頭の河合隼雄との対話「超高層のバベル」--本書のタイトルでもあるの次の言葉を見て、少々驚いた。

<「バベルの塔」神話がありますね。人間が神に近づこうと思って無限に高い塔を築いていったのだけれども、あまりに高く築きすぎるから神様がその高慢を怒って壊してしまった。あの神話を脱神話化して考えると非常に示唆的だと思うのです。>

旧約聖書におけるバベルの塔の神話の最大のポイントは、神が人々の言葉を乱したために、人々が意思疎通できなくなり、塔建設を放棄して、各地に散っていたことにある。こうして各地に異なる言語、多彩な文化、多様な民族が形成された。言葉、コミュニケーション、共同体――このことを「脱神話化して考える」ことこそ重要なのに、見田は「神様が壊してしまった」と言って話をおしまいにしてしまう。言語の多様性、コミュニケーションとディスコミュニケーション、文化の多様性、共同体間の交流、文化間対話の可能性など多くの可能性を塞いでしまう。

比喩としては「壊してしまった」と言えるし、神が壊したとする異伝もあるので、見田の発言を誤りと断定はできないにしても、あまりに皮相だ。何の分析もない。この見田・河合対話は2001年に岩波書店から出版され、2019年に講談社の本書に収録された。

「現代社会学の頂点に立つ」と自称する見田と、元文化庁長官の心理学者・河合の対話が、20年の長きにわたって公表され、そのレベルがこの程度である。うかつな対話者とそこつな編集者が揃うとお粗末な喜劇が生まれる。お口直しにもう少しましな本を読みたいものだ。