澤藤統一郎『DHCスラップ訴訟』(日本評論社)
*
安倍国葬差止訴訟で東京地裁が無責任な却下判決・決定を出したので、裁判所の司法記者クラブで抗議の記者会見をした後、裁判所の廊下で旧知の澤藤弁護士と遭遇した。
「おやおや、こんなところで、何をなさってるんですか」
「国葬差止請求が却下されたので、抗議の記者会見をしてきたんです」
「反撃するのなら、とても良い本がありますよ。1冊進呈するので、是非読んでみて下さい」
と言うわけで、出版されたばかりの本書を頂戴した。
*
早速読んで、気分爽快。
まるで快晴の青空の下、モントレーのレマン湖畔のカフェでラムレーズンチョコケーキを一口囓って、ダージリンを啜りながら過ごす午後の気分になった。ほとんど意味不明かも。
最近有名な悪徳企業のDHCと吉田嘉明からスラップ訴訟(嫌がらせ訴訟)を起こされて、6年9ヶ月に及ぶ裁判闘争で徹底的に闘い、スラップ訴訟を全勝で乗り越え、さらに反撃訴訟に打って出て、こちらも全面勝利した記録だ。
DHCと言えば、辛淑玉さんのDHC「ニュース女子」裁判でも、ヘイト番組を制作した悪質な企業として知られる。そのDHCをこれでもかと徹底批判した書だ。
まるで昨日先発して2桁三振奪取した大谷に快哉を叫び、今日はその大谷が打者として放った特大ホームランをスタンドでキャッチしたような気分だ。ほとんど比喩になっていないかも。
*
何しろ爆笑ものだ。
スラップ訴訟を起こされた澤藤はのっけからこう述べる。
「以来、私は腹を立て続けている。おそらくは何年たっても、あのときの怒りは収まらない。DHCと吉田嘉明と、そしてその理不尽に加担して代理人となった弁護士を決して許さない。私は誰よりも執念深いのだ。」
澤藤の逆鱗に触れた輩を待っているのは地獄しかない(笑)。堕ちてゆけ、そこへ、堕ちてゆけ、と歌いながら阿鼻叫喚地獄をめざすしかない。執念深く、どこまでも追いかけてくるからだ。本当か?(笑)。
何しろ、澤藤の怒りは、何よりも「公憤」である。
「政治とカネ」問題について正当な言論表現の自由を行使しているのに、言論を萎縮させるため、脅しのためにスラップ訴訟を起こされたのだ。脅しに屈して沈黙すれば、表現の自由を守れない。ブロガーであり、言論人であり、弁護士である。民主主義の根幹を守るために闘わなくてはならない。
同時に、澤藤の怒りには、「私憤」も含まれている。
損害賠償請求で脅せば、おびえて沈黙するだろうと、舐められたのだ。見くびられたのだ。こんなことされて、一歩も引くことはできない。文字通り1ミリも退却するわけに行かない。
公憤と私憤のミックスサンドイッチをがぶりと噛むどんな味がするのか知らないが、澤藤は公憤と私憤をきっちり区別して認識しながら、だが両者を重ね合わせ、かみ合せて、闘いの準備を用意周到に進める。闘うためには家族の団結が必要だ。最強の弁護団が必要だ。
ベテラン弁護士の澤藤だが、被告になったのは初めてのことだ。弁護士としては百戦錬磨だが、「被告業」では初心者だ。陣容をきっちり固めてから闘いに臨まなくては、多少は不安が募ったりするものだ。
家族の闘いの一部が紹介されている。
澤藤を支えた息子は、反撃訴訟においては「反訴原告訴訟代理人弁護士」となって活躍した。つまり、息子が弁護士になって、父親の代理人となり、尋問を担当したのだ。息子の尋問に父親が答えるのは珍しいので、興味津々だが、本書ではそこは省略されている。
たぶん、「息子がこんな素晴らしい尋問をした」と長々と引用すると、「なんだ、澤藤も親ばかなんだ」と言われることを恐れたのだろう。
もしかすると、夜中に一人で調書を開き、息子の尋問を読みながら、「我が息子も立派になったものだ」と、そっと涙をぬぐっているのかもしれない。いや、そうに違いない。間違いない。本人は否定するかもしれないが、これが歴史の真実だ(笑)。
澤藤とともに歩んできた妻は、反撃訴訟の二審・東京高裁の結審の日、「東京高裁『松の廊下』事件」を引き起す。
本書132頁から134頁は全文引用したいところだが、控えよう。闘う弁護士の闘う妻がすっくと立ち上がり、DHC側代理人の弁護士に迫る。読者はこの3頁を読むためだけにでも、本書を買い求める意義がある。
「幸せな被告」であり、「幸せな原告」になった澤藤が「幸せな弁護士」であることを、密かに、いや、堂々と自慢しているのだ。見事な澤藤節である。たぶん、この日、澤藤は妻のために赤い薔薇を10本くらい買っただろう。
*
本書は笑いと涙の感動の書というだけではない。
スラップ訴訟とは何か。スラップ訴訟といかに闘うべきか。その理論と実践の書である。名誉毀損の成立要件と証明は、いかにあるべきか。
スラップ訴訟の代理人を経験しただけでなく、被告も経験し、反撃訴訟の原告も経験した澤藤は、最強の戦士だ。法廷でも、法廷外でも、一瞬たりとも気を抜くことなく、手を緩めることなく、正当な言論表現を守り、スラップ訴訟を許さず、いかに闘うべきかを丁寧に説明している。
スラップ訴訟だけでなく、「政治とカネ」問題について、「スラップと消費者問題」について、澤藤は論陣を張る。DHCは澤藤以外にも多くのスラップ訴訟を仕掛けたので、これまでのスラップ訴訟を整理して、DHCを追い詰めるだけでなく、スラップ訴訟対策についても検討する。さらに、スラップ訴訟に協力する弁護士の責任追及も必要だ。澤藤は、判例の積み重ねと、スラップ訴訟対策法の必要性も指摘する。つまり、弁護士と研究者には必読の書である。
*
「誰よりも執念深い」澤藤は最後の最後にこう宣言する。
「スラップをめぐるDHC・吉田嘉明との法廷での闘いは終わった。しかし、DHC・吉田嘉明との民主主義や人権をめぐる闘いが終わったわけではない。DHC的な企業や吉田嘉明的な経営者との闘いは、際限もなく続くことになる。くりかえし自分に言い続けよう。『私は決して屈しない』『私は決して黙らない』と。」
「自分」に言い続けると書いてあるが、もちろんこれは読者に対する呼びかけであり、煽動である。民主主義の破壊を許さない。人権侵害に目を閉ざさない。デマやヘイトを許さない。スラップ訴訟に沈黙してはならない。声を大にして闘わなければならない。一人で闘えなくても、仲間がいる。家族がいる。見渡せば澤藤のような弁護士達がいる。
ともに闘おうという澤藤の熱いメッセージである。