Sunday, September 04, 2022

文化的少数者の権利論の方へ

栗田佳泰『リベラル・ナショナリズム憲法学――日本のナショナリズムと文化的少数者の権利』(法律文化社、2020年)

<ナショナリズム論の考察から規範的憲法理論の構築を試みる。天皇制や法教育等の批判的な実証分析を踏まえ、リベラル・ナショナリズムの憲法学においては「批判的検討の積み重ね」と「一人ひとりの平等な顧慮(多元主義)」、そして他者の権利としての「文化的少数者の権利」が憲法上要請されることが必要なことを説く。>

序章

第Ⅰ部 ナショナリズムの憲法学的考察

1 章 ナショナリズム、「現実」、「異人」

2 章 多文化社会における「国民」の憲法学的考察

3 章 リベラル・ナショナリズム憲法学を構想する

 

第Ⅱ部 日本のナショナリズムとリベラリズム

1 章 文化問題としての天皇制

2 章 憲法教育の「法定」に関する序論的考察

3 章 法教育における人間観

4 章 高等学校公民科新科目「公共」における主権者教育、愛国心教育、憲法教育

5 章 日本のナショナリズムと憲法

 

第Ⅲ部 日本の文化的少数者の権利

1 章 多文化社会における憲法学の序論的考察

2 章 「新しい人権」と「一般的行為自由」に関する一考察

3 章 多文化社会における「国籍」の憲法学的考察

終章

20201月の出版だが、本書を最近まで知らなかった。表題に驚いて、購読した。サブタイトルに「日本のナショナリズムと文化的少数者の権利」とあったからだ。

日本国憲法には「少数者」という言葉が登場しない。権利の主体は「国民」とされている。草案段階では外国人の権利が規定されていたが、削除された。憲法14条は法の下の平等と差別の禁止を定めるが、マイノリティに言及していない。このため、憲法学は、少数者の権利をほぼ無視してきたのが実状だ。ところが、本書は「少数者の権利」を掲げている。

栗田はナショナリズムの現実と憲法を取り巻く現実を踏まえつつ、文化的少数者の権利を引き出すという。そのための理論的考察として、ナショナリズムの憲法学的考察を行い、リベラル・ナショナリズム憲法学を構想する。その具体化として、天皇制や憲法教育について分析する。そのうえで、多文化社会における憲法学の序論的考察を踏まえ、「国籍」の憲法学的考察を行う。なかなか意欲的な試みだ。

もっとも、本書は私の関心に応えてくれるわけではない。栗田はリベラル憲法学を構想し、その概要を提示し、そうすれば文化的少数者の権利を引き出すことができることを丁寧に論証する。それは有意義な試みであり、学ぶに値する。ただ、そこまでである。

1に、文化的少数者の権利が引き出されると言うが、いかなる権利をどのように構築するのかには言及がない。国際自由権規約や国連マイノリティ権利宣言を基に展開されてきた国際人権法上のマイノリティの権利に対応する分析はない。あくまでも文化的少数者の権利を憲法上是認することができることの論証にとどまる。

2に、「文化的」少数者に言及するが、人種、民族、宗教等の少数者に論究するわけではない。「国籍」に関する論述も、文化的少数者のネイションとの関連について論じるが、そこまでである。換言すると、マイノリティや先住民族に対する差別問題は本書の理論的射程には入っているが、具体的な論述はない。差別問題、差別されない権利、ヘイト・スピーチを受けない権利といった問題は、栗田の関心の外である。栗田の関心はナショナリズム研究であって、人権論ではない。

とはいえ、栗田のナショナリズム論(憲法政治と憲法哲学)は少数者の権利概念を引き寄せる。ここから次の議論につながる多様な可能性が開かれている。

私の主たる関心は人権論、反差別論だが、もちろんナショナリズム研究にも関心がある。ナショナリズムとレイシズムは極めて密接な関係にある。そこで少しおまけを書いておく。

「リベラル・ナショナリズム憲法学」というのは不思議な言葉だ。近代国民国家の憲法は基本的にナショナリズムだ。憲法学もナショナリズムだ。「リベラル憲法学」は基本的に「リベラル・ナショナリズム憲法学」だろう。

リベラル・ナショナリズム憲法学

②非リベラル・ナショナリズム憲法学

リベラル・非ナショナリズム憲法学

④非リベラル・非ナショナリズム憲法学

普通に存在するのは①と②である。③と④はあるだろうか。もちろん、どの憲法にも憲法学にも単にナショナルな部分だけではなく、インターナショナルな部分もある。日本国憲法前文は随分とインターナショナルでもあるが、憲法第1章の天皇は歪んだナショナリズムだ。憲法第3章の権利義務規定は「国民」概念を前提としている。とはいえ、憲法11条や97条は開かれている。

「リベラル・ナショナリズム憲法学」を導出するのは何のためだろうか。栗田は、文化問題としての天皇制、憲法教育の「法定」に関する序論的考察、法教育における人間観などで具体的な論述を行い、さらに文化的少数者の権利を想定している。天皇制を主権論でも差別論でもなく、文化問題として扱う。それは一つの決断だが、なぜ前者でないのかの説明は欲しい。憲法教育や法教育は、歴史認識や歴史教育にも関わり、喫緊の課題にもなるので、なるほどこういう形の議論なのかを受け止めた。

もう一つ、憲法前文・9条と日米安保条約との関連で、リベラル・ナショナリズム憲法学とは何を意味するのだろうか。何を帰結するのだろうか。安保破棄・米軍撤退・自衛隊国軍化ではないだろうとは思うのだが。