Monday, October 06, 2025

深沢潮を読む(5)アイデンティティとレッテル

深沢潮を読む(5)アイデンティティとレッテル

深沢潮『緑と赤』(実業之日本社、2015年)

 

ずっと通名で生きてきたのに、海外旅行のためパスポート(再入国許可証)を入手して自分が在日韓国人キム・ジヨンであることに驚き、たじろぎ、悩む金田知英。

K-POPファンとして韓国が大好き、韓国語を学ぶ梓は、新大久保でヘイト・デモを目撃し驚く。

李家のあととりなのに、父親の意向に反して日本に留学し、日本女性に好意を抱くジュンミン。

北関東の町に生まれ平凡な人生を送ってきたが、新大久保でヘイト・デモに遭遇し、社会問題に目覚め、反ヘイトのカウンターにのめり込み、実家を離れて東京で暮らす良美。

在日韓国人から帰化して金田となったが、ソウルに留学している中、好意を抱いた日本人女性知英(実は在日韓国人)とすれ違い、大学時代の親友がヘイト発言を繰り返すことに衝撃を受ける龍平。

ヘイト・デモに脅かされ、在日、韓国、日本の間の亀裂に直面し、自分と家族、特に自殺した父親の人生を想い、乱れる金田知英/キム・ジヨン。

2014年から15年にかけて、新大久保のヘイト・デモが吹き荒れた時期に書かれた小説である。参考文献に、安田浩一『ヘイトスピーチ』や師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』が挙げられている。今日朝鮮学校襲撃事件が2009年~10年、新大久保ヘイト・デモが201314年、川崎桜本ヘイト・デモがこれに続く。2016年にヘイト・スピーチ解消法が制定された。

2014年に新大久保や川崎に暮らしたり、働いたり、買い物に行った人々は異様な光景に遭遇していた。ジヨン、梓、ジュンミン、良美、龍平は、新大久保やソウルで出会い、すれ違う。アイデンティティの危機に直面し、惑い、不安に襲われながら葛藤する。在日韓国人も日本人も、それぞれ異なる形だがアイデンティティという爆弾を抱えて生きる。

人は誰でも自分なりのアイデンティティを形成し、維持し、他者と交流して成長していく。支配的なマジョリティの一員であれば、アイデンティティなんてどうでもいい、と言い捨てることができる。しかし、マイノリティにとってアイデンティティは深刻な爆弾となる。アイデンティティに縋って生きることもあるが、アイデンティティに引き裂かれることもある。アイデンティティを攻撃されることもあれば、アイデンティティを隠さねばならないこともある。他者から勝手にアイデンティティを押し付けられることさえある。

民族や国籍は近代国民国家においてはもっとも重要なアイデンティティとされるため、ハードルが高い。個人では乗り越え不能に見える。内面を支配していることが多い。反発しても、恐怖や不安が自分に帰って来る。手に負えないアイデンティティを、攻撃されたり、利用されたり、押し付けられたりするのだから、ますますやっかいだ。アイデンティティは両刃の刃となるので、大切にすればするほど、苦悩が深まる場合もある。

この国でマジョリティの一員として生まれ育ち、そのままマジョリティで居続ける者には、自分で体験することのできない苦悩である。

2014年の東アジア(日本と韓国)を生きる庶民の精神世界を独自のタッチで描いた作品である。

「緑と赤」は、日本政府発行の旅券・再入国許可証の表紙の色の違いを意味する。