Sunday, January 04, 2026

倒される彫刻のその先へ

小田原のどか『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021年)

彫刻は芸術であり、モニュメントであり、ソローガンであり、社会教育である。公共空間に設置されることによって、時代の刻印を帯びる。あるいは、時代と衝突する。スターリン増やレーニン像が倒され、奴隷制商人像やアメリカ南軍将軍像が倒される。

藤井匡『公共空間の美術』(阿部出版、2016年)は、公共空間における彫刻の可能性を追求するが、小田原は、彫刻という困難に目を向け、分析する。

日本では第二次大戦中まで戦意高揚の銅像や忠魂碑が林立していた。敗戦後、倒され、消えた像も少なくない。

代わって平和の像がそこかしこに建立された。公共公園に、なぜか女性の裸体像が「平和の像」として進出した。

戦意高揚の彫刻と平和宣伝の彫刻。政治的には真逆であり、対立する。だが、彫刻という方法で戦争/平和を人々に教え込む、鼓舞する点では同じ機能が求められている。

このため社会意識が変われば、同じ彫刻に向けられる視線も変わる。本郷新の「わだつみ像」がたどった道はそのことをよく示している。

小田原は近代という時代の彫刻の社会的政治的機能をていねいに分析する。

2021年の本書では触れられていないが、群馬の森追悼碑、関東大震災追悼碑、そして日本軍性奴隷制の「平和の少女像」をめぐる「政争」も同じ文脈で理解できる。

この問題を小田原は独自の「彫刻論」として提示する。私は国際人権法における記念する権利、記憶する権利、真実への権利の文脈で把握する。文脈はまったく異なるが、交差する地点で新しい情景を目撃することができるだろう。