Saturday, June 09, 2012

ヒューマン・ライツ再入門① 自由権規約委員会が日本政府に勧告

今後、雑誌『統一評論』519号(2009年1月号)以下に連載してきた、「ヒューマン・ライツ再入門」の原稿のなかからいくつかを、随時、掲載していきます。

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『統一評論』519号(2009年1月)



自由権規約委員会が日本政府に勧告



日本軍性奴隷制



 国際人権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約)に基づく自由権規約委員会は、一〇月一五日・一六日に第五回日本政府報告書の審査を行い、同三〇日、最終見解を発表した。

 まず、日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題に関して、自由権規約委員会は次のように述べた(パラグラフ二二)。

 「委員会は、日本政府が、第二次大戦時における『慰安婦』制度の責任をいまだに受け入れず、実行者が訴追されず、被害者に渡された補償は公的基金ではなく民間基金によるもので、不十分であり、『慰安婦』問題について触れている歴史教科書は僅かしかなく、政治家やマスメディアが被害者を貶めたり、事実を否定し続けていることに、関心を持って留意する。」

 その上で、委員会は次のように勧告した。

 「日本政府は『慰安婦』制度について法的責任を受け入れ、被害者の大多数が受け入れることができる、かつ被害者の尊厳を回復する方法で、留保なしに謝罪するべきである。まだ生存している実行者を訴追するべきである。すべての生存者に権利として適切な補償をするために即座に効果的な立法措置および行政措置を講じるべきである。この問題について学生および一般公衆に対して教育するべきである。被害者を貶めたり、事実を否定しようとする試みを非難し、制裁を課すべきである。」

これまでの国際機関などからの勧告を継承する内容で、踏み込んだものとなっている。自由権規約委員会が最終見解の勧告に含めたのは初めてである。

一九九二年二月、この問題が国連人権委員会に報告され、その後、人権委員会、人権小委員会(差別防止少数者保護小委員会、後に人権促進保護小委員会)、現代奴隷制作業部会において議論された。NGOの国際友和会、日本友和会、朝鮮人強制連行真相調査団、韓国挺身隊問題対策協議会、リラ・ピリピーナ、アジア女性人権評議会、国際人権活動日本委員会などが国連欧州本部にメンバーを派遣して情報提供を続けた。

一九九三年の人権小委員会において、オランダの国際法学者テオ・ファン=ボーベン「重大人権侵害特別報告」者が「慰安婦」問題は重大な人権侵害であり、被害者救済・保護・リハビリテーションのために日本政府が責任を果たす必要があると表明した。

一九九六年の人権委員会において、スリランカの弁護士ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」が「慰安婦問題報告書」を公表した。「慰安婦」問題を「軍隊性奴隷制」と定義づけ、日本政府には道義的責任とは別に法的責任があること、真相解明・情報公開、被害者への謝罪と補償、教科書記述、責任者処罰などを勧告した。

一九九八年および二〇〇〇年の人権小委員会において、アメリカの弁護士ゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告者」が、戦時性奴隷制に関する国際法を詳細に研究し、日本軍性奴隷制が、奴隷の禁止、戦争犯罪、人道に対する罪に当たる犯罪であるとし、日本政府に責任者処罰と被害者補償を勧告した。

他方、国際労働機関(ILO)の条約適用専門家委員会でも議論が始まり、一九三〇年の強制労働条約に照らして法的評価が行われた。強制労働条約は女性の強制労働を禁止していた。日本軍性奴隷制が条約違反であったことが確認された。一九九六年のILO条約適用専門家委員会は、日本政府による条約違反を指摘し、被害者救済を呼びかけた。その後も九度にわたって日本政府への勧告を続けている。

他方、女性差別撤廃委員会、社会権委員会、拷問禁止委員会など、人権条約に基づいて設置された条約委員会も日本軍性奴隷制問題を取り上げた。例えば、二〇〇七年五月の拷問禁止委員会の勧告は、被害者の提訴が時効を理由に棄却されたことは遺憾であり、日本政府は時効規定を見直すべきであるとした。性暴力被害者の救済が不適切であり、国家が事実を否認したり、事実が公開されず、拷問行為の責任者が訴追されず、被害者への適切なリハビリテーションがないことが、虐待とトラウマを継続させているとした。

各国政府による勧告や決議も続いている。二〇〇七年、日本軍性奴隷制をめぐる決議案がアメリカ議会で採択された。同様の決議は、オランダ、カナダ、EU、韓国、台湾の議会においても採択された。

今回の自由権規約委員会は、従来の諸勧告と同様の内容の勧告を出した。日本政府は、法的責任を否定し、責任逃れのためのアジア女性基金政策を推進し、解決を困難にしてきた。勧告を契機に、誤った政策の見直しが必要である。



朝鮮人差別



自由権規約委員会は、年金制度に関して、日本国籍者以外に対する年金からの除外を是正すること、移行措置をとることを勧告した(パラグラフ三〇)。

「委員会は、一九八二年の国民年金法からの国籍条項の削除が遡及効をもたなかった結果、二五歳から六〇歳の間に少なくとも二五年以上年金に掛け金を支払うことが受給要件となっているため、大部分の非国籍者、特に一九五二年に日本国籍を喪失した大半のコリアンが、国民年金制度の受給資格からまったく排除されていることに関心を持って留意する。また、委員会は、国民年金法から国籍条項が削除された時点で二〇歳以上の非国籍者には障害年金特別措置が認められなかったために、同じ問題が、一九六二年以前に出生した障害を有する非国籍者にも当てはまることに関心を持って留意する。」

委員会はその上で次のように勧告した。

「日本政府は、非国籍者が国民年金制度から差別的に排除されることのないよう、国民年金法における年齢要件の影響を受ける非国籍者のための移行措置を採るべきである。」

在日朝鮮人に対する年金差別は一九八二年に是正されるはずだったのに、日本政府が必要な移行措置を採らなかったため、高齢者と障害者が排除されたままとなった。経済的社会的権利に関する社会権規約委員会などが日本政府に対して是正を勧告してきたが、自由権規約委員会は、差別問題として捉えて、やはり是正を勧告した。

次に朝鮮学校に対して、他の私立学校と同様の卒業資格認定、その他の経済的手続的な利益措置が講じられることが求められている(パラグラフ三一)。

「委員会は、朝鮮語で教育を行う学校への国家助成が普通学校への助成と比較して歴然と低いこと、このため個人寄付金への依存度が非常に高いのに、日本の私立学校やインターナショナルスクールとは異なって、税制控除が認められなかったり、低いこと、朝鮮学校卒業生には大学入学資格が自動的に与えられないことに関心を有する。」

その上で委員会は次のように勧告している。

「日本政府は、朝鮮学校のための適切な基金を、国家助成を増やし、朝鮮学校への寄付者に他の私立学校への寄付者と同様の税制控除を適用して認め、朝鮮学校卒業生に直接の大学受験資格を認めるべきである。」

朝鮮学校に対する差別については、一九九三年の自由権規約委員会や、その後の子どもの権利委員会でも取り上げられた。国連人権委員会や人権小委員会でも、NGOの在日朝鮮人・人権セミナー、在日本朝鮮人人権協会、アジア女性人権評議会などが是正を求める発言を繰り返してきた。二〇〇一年の人種差別撤廃委員会も、二〇〇六年の国連人権理事会ドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」も、同様の勧告をしている。



自由権規約委員会とは



 それでは自由権規約委員会とは何か。

 一九四八年の世界人権宣言は、個人の人権がもっとも重要であると宣言し、人権尊重を国際社会の課題として掲げた。しかし、宣言に過ぎず、そのままでは拘束力がない。

 そこで国際社会は、拘束力のある人権条約をつくることにした。その結果作成されたのが一九六六年の二つの国際人権規約である。批准した国家には規約遵守義務が生じる。具体的には国内の人権状況に関する報告書を提出して規約の人権委員会における審査を受けることである。審査を通じて各国の人権状況を改善する狙いである。二つの国際人権規約とは、①「経済的社会的文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」、②「市民的政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」である。

 自由権規約は一九七六年に発効した。日本についての効力は一九七九年九月に生じた。

 自由権規約第一部第一条は人民の自決権規定である。第二部は一般規定である。締約国による差別なき権利尊重、必要な立法措置、実効的な救済措置(第二条)、男女同等の権利(第三条)、緊急事態における権利の制限(第四条)などである。

 第三部は実体規定である(第六~二七条)。生命に対する権利、死刑の大幅制限、拷問や残虐な刑罰の禁止、奴隷及び強制労働の禁止、身体の自由、逮捕・抑留の手続、自由を奪われた者及び被告人の取り扱い、契約義務不履行による拘禁の禁止、移動及び居住の自由、自国に戻る権利、外国人の追放の制限、公正な裁判を受ける権利、無罪の推定、上訴の権利、刑事補償の権利、遡及処罰の禁止、人として認められる権利、プライバシー、家族、住居への干渉・攻撃からの保護、思想・良心・宗教の自由、表現の自由、戦争宣伝及び差別唱道の禁止、集会の権利、結社の自由、家族に対する保護、子どもの権利、政治に参与する権利、法律の前の平等、少数者の権利である。

 古典的な近代市民法における自由権の一覧と同様の規定が並んでいる。「国家からの個人の自由」を確保することによって、個人の主体的な自己実現を保護するものであり、逆に言えば、無用な国家介入を禁止している。

 第四部は実施措置である。条約の実施のための監視機関として人権委員会を設置する(第二八~三九条)。国連経済社会理事会に設置されていた人権委員会とは異なるので、自由権委員会・自由権規約委員会と略称される。締約国には報告書提出義務があり、委員会で審査を受ける(第四〇条)。締約国の義務不履行について委員会が検討し、場合によっては特別調停委員会を設置する(第四〇・四一条)。条約の主体と義務の担い手は締約国である。

 冒頭に紹介したのは、以上の手続きと権限を有する自由権規約委員会の勧告である。国際人権規約は、世界人権宣言が掲げた理念を再確認し、具体的に実現することを目指した。その手続き規定が「実施措置」として整備された。委員会はジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催される。



勧告実現のために



 自由権規約委員会はその他にも多くの勧告を出している。主要なものを項目だけ列挙してみよう。

①アイヌ民族を先住民族として認めること。琉球/沖縄についても権利を認めること。②人身売買被害者を救済すること。③外国人研修生や技能実習生に対する搾取や奴隷化を是正すること。④拷問を受ける恐れのある国への送還を行わないこと(ノン・ルフールマン原則)。⑤裁判官などにジェンダー教育を行うこと。⑥子どもの虐待に対処すること。⑦同性愛者や性同一性障害者への差別をなくすこと。⑧死刑を廃止すること。廃止までの死刑囚処遇を改善すること。厳正独居(隔離拘禁)をやめること。⑨代用監獄を廃止すること。取調べへの弁護人立会いを認めること。⑩刑事施設視察委員会の改善。⑪立川テント村事件など表現の自由の侵害をやめること。

このように数多くの勧告であるが、さらに注目するべき勧告がある。

⑫裁判官、検察官などに国際人権法教育を行うことが勧告された。前回の勧告にも同じ内容が含まれていたが、要するに、日本の裁判官や検察官は国際人権法に無知であることが、規約人権委員会によって繰り返し指摘されたのである。人権に無知な裁判官が法解釈をゆがめているのだ。マスメディアはこの問題を殆ど報道しない。

⑬公共の福祉による人権制約や、世論の支持を口実とした死刑の維持についても強い勧告が出された。日本政府は人権と公共の福祉をわざわざ対立させ、公共の福祉を優先してきたが、そうした思考方法そのものへの批判である。世論の支持によって死刑を正当化してはならないことも確認された。

委員会は、一部の項目については一年後にフォローアップを行うこと、全体については二〇一一年一〇月までに次回の報告を行うことを日本政府に求めている。この間、日本政府の人権報告は提出期限を守っていない。締切を守らせるための監視が必要である。

自由権規約委員会の勧告は法的拘束力があるわけではない。しかし、何度も審査を受け、多くの人権委員会から出された勧告と同じ内容のものが目立ち、強く改善が求められている。日本政府に勧告を守らせるのは、人権NGOの任務でもある。

Tuesday, June 05, 2012

いまさらながらの知性の崩壊

拡散する精神/萎縮する表現(12)





 二月二日の衆議院予算委員会審議には誰もが愕然としただろう。憲法9条2項に関する「芦田修正」について石破茂議員が質問したのに対して、田中直紀・防衛大臣が「私自身は理解いたしておりません。先生のご知見を拝聴しながら、よく理解をしたいと思います」と答えた件だ。メディアは田中大臣の資質を厳しく批判し、テレビではお笑いネタとされる始末である。

防衛省は、普天間基地と辺野古問題で沖縄県民をさんざん傷めつけながら、「犯す前に言わない」発言や、年末年始の環境影響評価書運び込み事件など、恥を知らない挙動を続けている。田中防衛大臣の資質は防衛省に最もふさわしいと、冗談を言うしかない。その後も選挙干渉事件が明かるみに出たかと思うと、海の向こうのアメリカから米軍再編見直しが報じられ、内閣も防衛省もごまかしの言い訳に汲々とする有様である。国民だけではなく、世界中が「この人たちにはまともな知性があるのか」と疑っているのは当然のことである。

政治家も官僚も水準低下が著しく、劣化という言葉が用いられている。かつての政治家や官僚の資質がさほど高かったかどうかは別として、現状が目も当てられない水準であることだけは、誰にでも断言できる。

田中大臣が「まるでクイズのようだ」と弁明したこともお笑いネタになった。この程度の弁明しかできないのかと呆れるほかないが、「国会審議でクイズなどやっていてどうするのか」という批判は当然のことである。「空気を読めない首相」や「漢字の読めない首相」に仕えてきた“軍事オタク”石破議員にできることは、クイズ遊びをすることだけなのだろう。政策論議などおよそ考えることもできない国会議員である。

憲法論議で他人の無知を嘲笑っている本人は、憲法四一条を読んだことがあるのだろうか。「国会は、国権の最高機関」とされているが、石破とか、安部、麻生、野田、田中といった固有名詞は「国権の最低機関」を象徴するものでしかない。

「芦田修正」をめぐる議論に、この国の政治家や官僚たちの資質の異様な低さが顕著に現れている。「芦田修正」なるものは、第九〇回帝国議会における日本国憲法審議過程において、9条2項冒頭に「前項の目的を達するため」が挿入されたこと等を指す。

憲法制定史研究においても議論が残るところではあるが、自民党歴代政権によって、芦田修正が自衛隊保有の根拠とされてきたことは事実である。

このことをどう評価するかが問題である。なぜなら、芦田修正にこのような意味があるということは、芦田均が事後になって言い出したことである。帝国議会審議録によっても、『芦田均日記』によっても芦田修正説の根拠となる事実は確認されていない。つまり、立法者意思説から言えば、芦田修正なるものは虚構の根拠でしかない。GHQや極東委員会は、芦田修正の結果として何らかの実力装置の保有が可能となることを認識していたとされるために、解釈が分かれることになる。最初から解釈が分かれている芦田修正を、自民党歴代政権は唯一の根拠として自衛隊保有を説明してきたのである。長年にわたって戦力概念の小手先の修正を続けたのもこのためである。

9条の解釈をめぐるドタバタは、日本国家がいかに無責任であるかを世界に示すものでしかない。

第一に、諸外国の憲法と比較すれば、これほど明確に戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認を明確に示した条文はない。それにもかかわらず、芦田修正を持ち出して自衛隊保有を正当化することは、そもそも憲法など守るつもりのない国家であると世界に向かって宣言することでしかない。

第二に、芦田修正説は、憲法制定審議において主張されなかった内容を後から持ち出して解釈を変更した。つまり、騙し打ちの論法である。芦田修正に焦点を当てることは、騙し打ちの好きな日本を世界に向かって宣伝することである。

憲法は国民主権を採用しているから、日本国民が憲法とは何かを理解できず、それゆえ守る能力も意思ももたず、テキトーに政治を行っていることを「自白」していることになる。知性の崩壊はずっと以前から始まっていたのだ。

占拠する市民、抗う志


拡散する精神/萎縮する表現(11)



 霞が関の経済産業省前で脱原発の座り込み、テント泊まり込みが続いている。二〇一一年大晦日に第一一二日目、一二年元旦に第一一三日目を迎えたが、年末年始にはイベントめじろおしであった。

 一二月三〇日には「今年のニューストップ一〇」と称して、原発関連ニュースや、貧困問題、反グローバリズムなどのニュースを取り上げた。夜には「年末オールナイト映画上映会」として、イギリスでイラク戦争に反対してきたブライアン・ホウと仲間たちの活動を撮影した『ブライアンと仲間たち』(監督・早川由美子)、韓国における労働者の闘いを実写した『希望のバス』、コロンビアにおけるコカコーラの犯罪を告発した『コカコーラ・ケース――多国籍企業の犯罪』(監督・カルメン・ガルシア)、ウラン鉱山開発と闘う先住民族ミラルを追いかけた『ハード・レイン』(監督・デビッド・ブラッドベリ)、『安全・パン・自由を!』(イラク平和テレビ局)などの上映を行った。

 三一日には、「世界から原発なくそう!紅白歌合戦」を開催した。登場したシンガーは、「月桃の花」歌舞団、Sukisukipis、館野公一、野本ゆかり、吉浦隆司、石堂真紀子、天辰哲也、根本道夫、浦邉力、ジョニーHなど。反原発ソングが中心だった。
深夜には「ゆく年くる年/カウントダウン」で、関西電力前、福島、韓国、寿、山谷などの声をつなぎ、高橋幸子、椎名千恵子、雨宮処凛、素人の乱の松本哉、青年ユニオン委員長、反貧困グループ、TVディレクターなどが、新年のゆくえを語り合うトークセッションを行った。
 一月二日には、新春・霞が関「好きなだけ走ろう」マラソン大会、経産省前初詣「こんなんじゃ、よい年迎えらんない」私のひとこと、新春囲碁大会、たこ揚げ・コマまわし、そして新春「原発よせ寄席」を開催した。
 また、一月四日には、新年餅つき大会、川柳大会(選者・乱鬼龍)であった。川柳大会優秀賞作品は次の句である。
 
 誰もかも 心ひとつの テント前
 
 経産省前テント行動は、九・一一の一〇周年であり、三・一一の六カ月目に当たる一一年九月一一日に始まった。
この日、各地で脱原発や反グローバリズムの行動が闘われた。中国電力の上関原発建設に抗議する若者たちの山口県庁前行動とともに、経済産業省前でも若者たちのハンガーストライキが決行された。これに鼓舞された「9条改憲阻止の会」の熟年世代が「若者に続け」とばかりに経産省前テント泊まり込み行動を敢行した。風のごとく迅速で爽やかな決起には、警視庁をもアッと言わせたという噂が流れた。福岡の九州電力前でも脱原発テント行動が続いている。
 テントに対しては、警察による嫌がらせだけではなく、右翼団体による執拗な妨害も続いているが、世代を超えた市民の協力によって、また各地からの激励の声やカンパの支えを受けて、寒風にもかかわらず継続している。
 一一年、オキュパイ運動は欧米各地で取り組まれた。ニューヨークのウォール街で始まったオキュパイ運動は、貧困や非正規労働問題を訴えるものであった。「われわれは九九%だ」というスローガンで、富を収奪する一%の特権階級への批判が世界を駆け巡った。

 オキュパイ運動に対して、政治評論家たちは、運動の戦略がないとか、対案となる具体的政策提言がないなどと非難の声をあげている。

 しかし、「占拠」は、金と権力を握る特権階級によって買収され形骸化した「選挙」という誑かしに対する異議申し立てであるから、下手な対案など無用であり有害である。「具体的政策」などというものは、実は買収と裏工作と欺瞞の民主主義の構築物にすぎない。同じ土俵に乗らないという大衆の意志を占拠という形で示すことに意味があるのだ。問われているのは個別の政策ではなく、政治の正当性(正統性)である。

 一二年の年明けとともに、原発をめぐる攻防が激化している。買収専門家たちによる策略を見抜き、脱原発を一歩でも進める運動が必要である。

Thursday, May 24, 2012

へっぴり腰でもタブーに挑戦

拡散する精神/萎縮する表現(13)



川端幹人『タブーの正体! マスコミがあのことれない理由』(ちくま新書二〇一二年)は、タブーへの挑戦を誘う。

類書はたくさんあるが異色の書である。新書であるにもかかわらずかなり幅広事例提供してわかりやすい。著者『噂真相』元編集長である。研究者って、元編集長、現在もジャーナリストとして活躍しているだけあってさまざまな具体例、既存著作ていない裏話めて紹介されている

しかし、何より本書特徴、自分経験「暴露」していることだ。右翼による『噂真相』襲撃事件経過、その著者自身「転向」具体的いている。「口では『圧力にはしない』『言論自由死守する』と強気言葉べていても、内心はトラブルがこわくてこわくてたまらないだから、『噂真相』休刊した時、私から安堵、二度とタブーなんてものに関わるまいと心に誓った」と言い、自らを「へっぴり腰」とまで呼ぶ。しかし、著者は逃げているのではない。へっぴり腰であっても闘いつづけることそのために本書いているへっぴりでもかっこくてもじたばたしながら、それでも闘うとの宣言である。

 そのために著者は、メディアにおけるタブーがなぜ、どのように成立しているのかその実態とメカニズムをけ、タブーの要因を「暴力恐怖」「権力恐怖」「経済恐怖」という三つの視点整理している第一の暴力恐怖は、うまでもなく右翼団体宗教団体による実力行使による被害、それを心配しての自粛問題である。最たるものが皇室タブーである。最近はナショナリズム・タブーがあり、拉致問題や靖国問題で表現が委縮している。ネット右翼によるタブー再生産もある。宗教団体もここに入るが、著者は宗教タブーが「信教の自由」に由来するという言い訳を批判している。

第二の権力恐怖、警察、検察、財務省による権力的介入への恐怖である。「国策捜査」と呼ばれる問題の影響もここに入る。戦前の治安維持法とは違うとはいえ、さまざまな形で権力による介入がなされる。利権や金銭疑惑があったにもかかわらずマスコミが追及しなかった小泉純一郎元首相と、軽微な不正にもかかわらずすさまじい物量の報道により辞職に追い込まれた辻元清美議員の対比はよくわかる。東京地検特捜部や大阪地検特捜部とは何であるのかも再考が必要である。

第三の経済の恐怖とは、スポンサーからの圧力、広告引き上げなどである。トヨタやパナソニックの不祥事はなかなか報道されない。東京電力、電通の広告により原発タブーがつくり出された。芸能プロダクションによるメディア操作実態かれる

こうした事実まえたうえでジャーナリストはいかにあるべきかという問題になるが、著者はジャーナリスト高々げてじることはしないへっぴりでもなんとか頑張るには どうしたらいいのかが問題だからであるインターネットの普及によりますますジャーナリズムが低落、利益至上主義という企業論理支配しているどこに活路見出すのかメディアの未来はとてもいがただ、可能性破る」ことだと言う。タブーをって例外状態すことはたった一人のジャーナリストでもできる。もちろん、たった一人の反乱はすぐに鎮圧されてしまいまたタブーが支配することになるだろう恐怖に怯えたマスメディアからは無視されてしまうだろう。「だとしてもそれは無駄ではないはずだ」。

「タブーを破ろうとすること自体が大きな意味をもつ。なぜなら、タブーをろうとすれば、必軋轢圧力そのことによってタブーの正体があぶりだされるからだ。いったい、だれが何のためにこのタブーをつくりだしたのか、どの表現がどう問題なのか、メディアは何を恐れているのか」。

 「とにかくギリギリまでタブーに近づくこと、そしてタブーの正体を常にあらわにし続けること。最後にもう一度いうが、タブーの肥大化・増殖を食い止めるためには、まず、そこから始めるしかない。

 「無様敗北してもなおタブーにろうとする」人にはおめの一である。