拡散する精神/萎縮する表現(11)
霞が関の経済産業省前で脱原発の座り込み、テント泊まり込みが続いている。二〇一一年大晦日に第一一二日目、一二年元旦に第一一三日目を迎えたが、年末年始にはイベントめじろおしであった。
一二月三〇日には「今年のニューストップ一〇」と称して、原発関連ニュースや、貧困問題、反グローバリズムなどのニュースを取り上げた。夜には「年末オールナイト映画上映会」として、イギリスでイラク戦争に反対してきたブライアン・ホウと仲間たちの活動を撮影した『ブライアンと仲間たち』(監督・早川由美子)、韓国における労働者の闘いを実写した『希望のバス』、コロンビアにおけるコカコーラの犯罪を告発した『コカコーラ・ケース――多国籍企業の犯罪』(監督・カルメン・ガルシア)、ウラン鉱山開発と闘う先住民族ミラルを追いかけた『ハード・レイン』(監督・デビッド・ブラッドベリ)、『安全・パン・自由を!』(イラク平和テレビ局)などの上映を行った。
三一日には、「世界から原発なくそう!紅白歌合戦」を開催した。登場したシンガーは、「月桃の花」歌舞団、Sukisukipis、館野公一、野本ゆかり、吉浦隆司、石堂真紀子、天辰哲也、根本道夫、浦邉力、ジョニーHなど。反原発ソングが中心だった。
深夜には「ゆく年くる年/カウントダウン」で、関西電力前、福島、韓国、寿、山谷などの声をつなぎ、高橋幸子、椎名千恵子、雨宮処凛、素人の乱の松本哉、青年ユニオン委員長、反貧困グループ、TVディレクターなどが、新年のゆくえを語り合うトークセッションを行った。
一月二日には、新春・霞が関「好きなだけ走ろう」マラソン大会、経産省前初詣「こんなんじゃ、よい年迎えらんない」私のひとこと、新春囲碁大会、たこ揚げ・コマまわし、そして新春「原発よせ寄席」を開催した。
また、一月四日には、新年餅つき大会、川柳大会(選者・乱鬼龍)であった。川柳大会優秀賞作品は次の句である。
誰もかも 心ひとつの テント前
経産省前テント行動は、九・一一の一〇周年であり、三・一一の六カ月目に当たる一一年九月一一日に始まった。
この日、各地で脱原発や反グローバリズムの行動が闘われた。中国電力の上関原発建設に抗議する若者たちの山口県庁前行動とともに、経済産業省前でも若者たちのハンガーストライキが決行された。これに鼓舞された「9条改憲阻止の会」の熟年世代が「若者に続け」とばかりに経産省前テント泊まり込み行動を敢行した。風のごとく迅速で爽やかな決起には、警視庁をもアッと言わせたという噂が流れた。福岡の九州電力前でも脱原発テント行動が続いている。
テントに対しては、警察による嫌がらせだけではなく、右翼団体による執拗な妨害も続いているが、世代を超えた市民の協力によって、また各地からの激励の声やカンパの支えを受けて、寒風にもかかわらず継続している。
一一年、オキュパイ運動は欧米各地で取り組まれた。ニューヨークのウォール街で始まったオキュパイ運動は、貧困や非正規労働問題を訴えるものであった。「われわれは九九%だ」というスローガンで、富を収奪する一%の特権階級への批判が世界を駆け巡った。
オキュパイ運動に対して、政治評論家たちは、運動の戦略がないとか、対案となる具体的政策提言がないなどと非難の声をあげている。
しかし、「占拠」は、金と権力を握る特権階級によって買収され形骸化した「選挙」という誑かしに対する異議申し立てであるから、下手な対案など無用であり有害である。「具体的政策」などというものは、実は買収と裏工作と欺瞞の民主主義の構築物にすぎない。同じ土俵に乗らないという大衆の意志を占拠という形で示すことに意味があるのだ。問われているのは個別の政策ではなく、政治の正当性(正統性)である。
一二年の年明けとともに、原発をめぐる攻防が激化している。買収専門家たちによる策略を見抜き、脱原発を一歩でも進める運動が必要である。