Saturday, January 08, 2022

フェミサイド研究文献レヴューの紹介02

3.文献で論じられたテーマ、問題点、挑戦の概観

 

3.1 フェミサイド確認(同定)の挑戦(困難)――共通の定義の不在

フェミサイドに関する文献を分析すると、フェミサイドの定義は異なる分野とアプローチにまたがっている。1990年代に定義が試みられた時もそうであった。Bart and Moran, Violence against Women. 及び Radford and Russell, Femicide: The Politics of Woman Killing.である。

Corradi et al (2016)は、次のようなアプローチに分けている。

1.フェミニスト・アプローチ:家父長制支配に焦点を当てる・

2.社会学アプローチ:女性殺害に特徴的な形態を検討する。

3.犯罪学アプローチ:殺人研究の一分野としてフェミサイドを研究する。

4.人権アプローチ:女性に対する暴力の形態と見る。

5.脱植民地アプローチ:「名誉犯罪」のような植民地っ支配の文脈でフェミサイドを研究する。

共通に定義された枠組みを提示する文献はなく、Corradi et al(2016)は、将来の研究として女性に対する暴力のエコロジカルな枠組みに言及している。つまり分野横断的で複合的な枠組みであり、フェミサイドを社会現象として、ミクロ、メソ、マクロなレベルでの暴力行為として理解する。Sheehy(2017)は、フェミサイドを特別な文脈で定義するフェミニスト運動家の貢献を強調する。

UNODOC(2018)は、フェミサイドを、女性の暴力的殺人及び親密なパートナーによる暴力としての女性殺害と見る。多くの文献が、フェミサイドを親密なパートナーによる暴力の文脈で用いている。Fairbairn et al(2017)は、「親密な」という観念に着目する。公的な定義では、親密なと言えば、セックスワーカーの殺害が含まれない。Dawson et al.(20179によると、貧困な国の検死制度では、パートナーによる女性殺害の定義の社会的文化的文脈への文脈依存性を重視するべきである。フェミサイドの定義や、フェミサイドの変数は、社会経済条件を踏まえる必要がある。

Menjivan and Walsh(2017)はフェミサイドではなくフェミニサイドという言葉を用いて、制度的暴力や差別的慣行に焦点を当てる。それによって不作為による実行のパターンに光をあて、予防、保護、訴追を提供できなかった間接的メカニズムと、性暴力、脅迫、女性指導者を標的とするような直接行為の双方を浮き上がらせる。

ジェノサイドの一例としての女性殺害という理解もある(Hagan and Raymond-Richmond,2009. Rafter,2016)。

法の履行におけるフェミサイド概念の使用についても議論がなされている。Ingala Smith(2018)は、EUや国連の政策枠組みでは「非政治化」の危険があるという。第1に、フェミサイドに関するウィーン宣言は、実行犯が圧倒的に男性なのに、ジェンダー中立な用語を用いている。第2に、フェミサイドに関するウィーン宣言は、商業的性的搾取の過程で殺害された女性に言及しない。ラディカル・フェミニストの見解から、Ingala Smithは、家父長制社会における女性殺害という政治的行為に焦点をあてる。

Howe and Alaattinoglu(2018)は、フェミサイドと戦略的に闘うために刑法を用いることの利点と障害について検討する。フェミニストがそのために闘ってきた法改正の論争的検討を提示する。

Liem and Koenraadt(2018)は、家庭内殺人の研究において、フェミサイドという用語が用いられない理由を批判的に検討する。

逆に、Corradi and Stokl(2014)は、こうした見解は理論的なデザインがあまりに広いとし、フェミサイドの原因をジェンダー不平等の帰結と見る。Walklate et al.(2020)は、「ゆるやかなフェミサイド」という表現で、女性がその人生で広範なジェンダー不平等を経験することに注目する。

本報告書はCorradi and Stokl(2014)の提言に従い、個人犯罪としてのフェミサイド情報収集をすすめる。個人が特定の条件下で特定の意図と動機を持って行う殺人である。フェミサイドは不平等なジェンダー構造に基づいた、構造的暴力であり、ジェンダー差別、性差別主義、女性蔑視に基づいて、被害者との信頼、権威、不平等な力関係で行われる。

 

3.2 フェミサイドに関するデータの欠如

 

犯罪行為として法律でどのように定義するかは、その犯罪に関する情報が収集されるか収集されないかを枠づける。刑法でいかに規定するかによって、その行為が特定の国において許されているか許されていないかは、刑法の定義にかかっている。殺人に関する情報とフェミサイドに関する情報を比較するには、困難がある。Dawson and Carrigan(2020)は、適切な情報を収集する重要性を強調する。フェミサイドに関する犯罪学や法医学の調査は、その調査目的に制約されて、比較可能な情報収集をはたさない。法医学文献では特に顕著である。2013年、EUではジェンダーに基づく女性殺害の情報収集が始まった。学術ネットワークがフェミサイドの定義、文脈、実行者に反映し始めた(Weil. Et al. 2018)。

Walby et al. (2017)は、基本枠組みの共有がまだできていないとし、フェミサイドを含むジェンダーに基づく暴力の評価のために情報収集を呼びかける。

 

3.3 データ収集に際してフェミサイド報告が過少であり、見えにくくなっていること

 

既存の情報欠如の一つは過少報告にある。名誉殺人、ダウリーによる女性の死、先住民族女性の殺害のように、親密な関係の外で起きるフェミサイドが見えなくなっている(Walkate et al. 2020)。親密なパートナーが実行犯の場合、女性パートナーの殺害は系統的に周縁化され、見えにくくなる。

Menjivar and Walsh(2017)は、フェミサイドを過少報告とし、隠す国家、制度的暴力、社会の複合性にも言及する。Dayan(2018)は、イスラエルではフェミサイド自殺に関して、被害者も加害者も死んでいるため、詳細な捜査が実施されないためにフェミサイドが過小評価されるという。Bosch-Fiol and Ferrer-Perez(2020)はスペインでも同様だという。

Friday, January 07, 2022

非国民がやってきた! 009

三浦綾子『銃口(下)』(小学館)

「一九四一年一月十日早朝、このようにして、良心的な、勤勉な教師たちが教壇から姿を消した。その数、六十人とも八十人ともいう。これが北海道綴り方連盟事件の始まりであった。」

北森竜太が岩見沢署に拘束され、続いて坂部先生が逮捕される。

上巻では竜太とその家族や友人たちの平穏で幸せな暮らしが語られたが、上巻末尾で竜太が警察に出頭を求められた。下巻ではいきなり竜太は治安維持法容疑者とされ、暗く寒い留置場の住人とされる。乱暴な刑事たちに頭越しに怒鳴られる。誰にも連絡できない。電話も手紙も禁止される。面会も禁止だ。10日たってようやく布団が差し入れられ、心の慰めとなる。115日には芳子と結納を交わす日になるはずだったのに、岩見沢署の留置場に監禁されたままである。不安と恐怖と寒さに襲われながら、マルクス主義を知らない竜太は、なぜ逮捕されたのか、ただあれこれと推測し、途方に暮れる。

逮捕から3か月後、1941413日、日ソ中立条約が成立した日に、竜太は旭川署に移送される。この間、まともな取り調べもなく、強引に辞職届を欠かされた竜太は深い虚無感に陥っていた。旭川署で会った坂部先生は拷問と寒さのため、やせ細り、まるで別人だった。だが、坂部先生は投げやりになることなく、「人間はいつでも人間でなければならない。獣になったり、卑怯者になったりしてはならない」と語る。

1941821日、竜太は保護観察扱いで釈放される。ところが坂部先生は亡くなったと聞かされ、自分の部屋に閉じこもる。生きる力を失った竜太をフィアンセの芳子が支える。印刷会社に勤務し始めるや、刑事がやってくる。このため会社を辞めざるを得ない。製粉会社の経理になるや、憲兵が訪ねて来る。ここも辞めることに。

1941128日、開戦の臨時ニュースが流れる。

日本は戦争熱に浮かれているが、仕事のない竜太は、教師として生きるために満州行きを決意し、芳子とともに満州で教師になることを夢見るが、そこへ赤紙が舞い込む。194227日である。

教師特権の伍長ではなく二等兵として旭川第7師団に入隊した竜太は、満州の安陽で勤勉な兵卒として評価されるが、一等兵や中隊長には恵まれる。だが、虫垂炎で入院中に舞台は移動。別の部隊に入るとそこでは中国における民間人殺害や強姦や死姦を自慢する日本軍・歴戦の勇士がいた。軍隊生活の様子が描かれるが、軍隊経験のない三浦綾子にとっては苦心と勉強のたまものの叙述である。

1942年には「破竹の勢い」だった日本は1943年には日増しに敗色を濃くしていく。10月下旬、竜太は強姦自慢の兵長に殴られ左の聴力を失う。その頃、弟の保志は戦死していた。

194589日、ソ連軍が越境し、戦闘が始まる。敗走兵となった竜太らは徒歩で挑戦を目指す中、開拓民の集団自決現場を目撃し、次いで抗日派民兵の捕虜になる。ところが抗日派の隊長は、タコ部屋から逃げてきた朝鮮人であった。かつて北森の父親が匿った金俊明である。金俊明は竜太を覚えており、隊員たちを説得して竜太らを助ける。

1945815日、敗戦。日本軍が先に逃げ去り、ソ連軍が攻めて来る危難のなか、金俊明らの命がけの協力のおかげで、竜太らは満州から朝鮮半島へ、そして821日、下関港に帰還する。

旭川に帰り、フィアンセの芳子と再会した竜太は教会で結婚式を挙げる。讃美歌494番。

1946年、戦後改革が始まり、治安維持法と特高警察は廃止される。北海道綴り方連盟事件の関係者も教職に復帰し始める。「リンゴの唄」が流れる中、「天皇の人間宣言」が出され、もう「奉安殿」に頭を下げる必要がなくなる。竜太は新たな思いで教師として再出発する。

こうして作品が終わる、はずだが、三浦綾子は最後に1989224日、昭和天皇大葬の日のエピソードを付け加える。

「昭和もとうとう終わったわね」

「うーん、そういうことだね。だけど、本当に終わったと言えるのかなあ。いろんなことが尾を引いているようでねえ……」

北海道綴り方連盟事件そのものを描いたノンフィクションではなく、上巻は北海道綴り方連盟事件への道、下巻はそこから満州での軍隊体験、敗戦体験、そして戦後の再出発への物語である。

もともと編集者からの依頼は「昭和を背景に神と人間を書いてほしい」というものだったという。

天皇という愚劣な産物が「神」を僭称し、人間を侮蔑し、死なせた時代に、ひたむきに生きた庶民の暮らし、思いを描くとともに、満州での軍隊生活を通して侵略の軍隊・日本軍の残虐さ、罪深さを反芻し、敗戦時の数々のエピソードを通して人間らしく生きることの意味を考えさせる作品である。それだけに「天皇の人間宣言」と1989年の大葬を取り込んだ意味がある。

本書は1990年から93年にかけて雑誌連載され、1994年に出版された。強制連行や慰安婦という言葉が日本による暴力支配として登場するのは、まさに90年代前半に書かれたゆえんだろう。四半世紀を経た現在、日本は歴史修正主義が権力を握り、帝国の正当化、戦争の美化を始め、歴史の偽造がまかり通っている。この作品を出した小学館は、さて、今は。

非国民をつくり出し、人間を押しつぶす社会が堂々と復活している日本で、今後、三浦綾子は読まれるだろうか。どのように読まれるだろうか。

Thursday, January 06, 2022

フェミサイド研究文献レヴューの紹介01

EUの欧州ジェンダー平等研究所(EIGE)は、報告書『フェミサイドを定義し確認(同定・認定)する――文献レヴュー』を公表した。簡潔に概要を紹介する。

Defining and identifying femicide: a literature review. EIGE, 2021.

EIGEは、フェミサイド事件のジェンダー次元を確認し、ジェンダー関連殺人の実情をよりよく把握するため、その要因を分析するため、研究文献のレヴューを行った。執筆者は、ビルジット・サウエル(ウィーン大学教授)である。これはより大きなプロジェクトの一部であり、プロジェクト全体は、ミルナ・ドーソン(ゲルフ大学)、アンナ・ヴィーチェク・ドランスカ(マリナ・グルジェゴルジェフスカ大学)、エカテリーナ・バルチカ(ルーマニア社会学研究所)及びバーバラ・スピネリが担当している。EIGEジェンダー暴力班も運営に当たっている。

報告書は55頁あるが、本文は26頁で、それ以下は文献目録、資料(関連雑誌のまとめ)等である。135本の論文が掲記されており、これらをテーマごとに分類したのが本報告書の本文及び資料である。

フェミサイドについて本格的に研究するためには、本報告書を手掛かりに、文献を追跡調査する必要がある。

目次

1.    序文

2.   本研究の方法と制約

3.   文献で論じられたテーマ、問題点、挑戦の概観

3.1 フェミサイド確認(同定)の挑戦(困難)――共通の定義の不在

3.2 フェミサイドに関するデータの欠如

3.3 データ収集に際してフェミサイド報告が過少であり、見えにくくなっていること

3.4 データ収集における偏見

3.5 データ管理

4.フェミサイド(類型)確認に用いられる要素と変数に関する有意義な議論

  4.1 調査で議論されたフェミサイドの類型

  4.2 フェミサイド確認のために用いられる変数

  4.3 リスク要因とリスク評価

  4.4 フェミサイド確認に関する法医学的パースペクティヴ

  4.5 統計目的のためのフェミサイド確認のための説明変数

5.統計目的のためのフェミサイド確認のための説明変数に向けて

  5.1 最小限データ

参考文献

付録1. 収集された雑誌記事一覧

付録2.雑誌記事の参考

1.序文

 フェミサイドの定義及び変数と要素に関する研究文献は、フェミサイドのデータと同様に数少ない(Corradi and Stokl,2014)。

 

Corradi , C. and Stokl,H. (2014), Intimate partner homicide in 10 European countries: statistical data and policy developments in cross-national perspective, European Journal of Criminology, Vol. 11, No 5, pp.601-618.

 

フェミサイドに関するデータベースを持つ国はイタリア、セルビア、スペイン、イギリスだけである。それゆえ欧州全体の比較はできない。フェミサイドに関する有意義な情報は殺人一般に関するデータに埋もれている。フェミサイド概念の明確化が求められる。分野が異なるとフェミサイドの理解が異なる。フェミサイドの性質や実情に関する理解も異なる(Dawson and Carrigan, 2020)。Corradi and Stoklは、親密なパートナーによる殺人は、一般の殺人事件というよりも、親密なパートナーによる暴力の延長として理解される。

Dawson and Carriganが示唆するように、フェミサイドの概念化は分野と学問の伝統の間で多様である。伝統の中でも多様な協調が見られる。例えば、親密なパートナーによる殺人やフェミサイドに言及する際にフェミサイドを一つの特別な類型と見る刑事学者がいるが、ジェンダーに敏感な研究はフェミサイドやフェミニサイド概念を用いる。Kelly(1988) の研究に従って、フェミサイドをより広く、女性がその人生で経験する暴力現象と見る研究者もいる。一般に承認されているように、フェミサイド研究はCaputi and Russell(1990)に始まる。2人は、フェミサイドを憎悪、侮蔑、愉悦、又は女性所有意識に動機づけられた男性による女性殺害とした。本報告書は、フェミサイドを女性蔑視ゆえの男性による女性殺害、すなわち、彼女が女性であるがゆえの女性殺害と見る。

文献レヴューによって、EU及びイギリスのフェミサイドの定義、類型、指標、データ収集の比較分析が可能となる。報告書は、雑誌や研究書として出版された研究の包括的な調査に基づいている。分野横断的な文献の概観を与え、フェミサイドの定義と類型論のための総合的なアウトラインを示す。フェミサイドは個人がそれぞれの動機で行うとしても、フェミサイドを「構造的暴力」として広く定義することができる。

2.本研究の方法と制約

本報告書では20152020年のフェミサイド関連文献をレヴューする。それ以前のものも若干含まれる。調査対象は英語文献に限られる。

フェミサイドの変数や要因に関する調査としてはWhittemore and Knafl,2005がある。第1段階は、フェミサイド、フェミニサイド、親密なパートナーによる殺人という言葉をGoogleで検索した。第2段階は、ジェンダー暴力、女性の健康、犯罪学、殺人研究、法医学の雑誌の調査である。第3段階は、以上で明らかになった文献で引用された文献の追跡である。第4段階は、すべての文献におけるフェミサイドの定義、変数、リスク要因の確認である。男性実行犯に限定し、女性実行犯を除外した。

調査によって97の出版、79の雑誌論文、9の著書の章節等が明らかになった。フェミニスト、社会学者、犯罪学者、脱植民地研究の分類をし(Corradi et al, 2016)、犯罪学29、法医学17、健康5、フェミニスト18、社会学25、脱植民地3となった(複数カテゴリーに該当するものもある)。

調査の結果、フェミサイドについて現に行われている議論、特に学術雑誌において親密なパートナーによる殺人に関する議論状況が明らかになった。社会学研究においてはフェミサイドに関する調査が欠如しているため見えにくくなっていることが判明したが、今後の研究にとって示唆を得られた。Bradbury-Jones et al. 2019は、論文タイトルや要約だけを見るとジェンダー側面が見失われるので、注意深く見る必要があるという。Niemi et al, 2020の著書『国際法と女性に対する暴力――欧州とイスタンブール条約』では、フェミサイドという言葉は2回しか使われていない。

フェミサイドが見えにくいのはデータ収集にも一因がある。データ自体に固有の制約があるだけでなく(Cullen et al, 2021)、文化的制約も指摘されている(Shalhoub-Kervorkian and Daher-Nashif,2013)。フェミサイドが他の犯罪類型にカウントされている(Ferguson, 2015)。不処罰のためにカウントされない場合もある(Godinez Leal,2008, Livingstone,2004)。被害者の年齢故にカウントされない場合もある(Roberts,2021)。

学術研究文献の多くが、データ不足とデータ収集の不適切さを指摘している。共通の定義、基準、指標がないためである。全文献のうちフェミサイドの調査やデータについて論及できているのは12にすぎない。フェミサイド確認のために具体的な変数を論じているのは4である。

Wednesday, January 05, 2022

第1回「共同テーブル」大討論集会

第1回「共同テーブル」大討論集会

総選挙の総括と今後の政治展望について

―共同テーブル・発起人と市民の徹底討論―

 

昨年の総選挙の結果、自民党は議席を減らしたとはいえ、絶対安定多数を得て自民・公明・維新の改憲勢力が衆議院の3分の2以上を獲得した。

一方、立憲野党は、立憲民主党の比例の大幅落ち込みもあり、厳しい結果となった。

しかし、総括を間違えてはならない。一部マスコミや自民党などがネガテイブキャンペーンとして、意図的に流しているような野党共闘の失敗ではない。野党が候補者を一本化して闘った小選挙区での選挙の成果は確実にあったのだ。むしろ、野党共闘が徹底できなかったことに問題があったのだ。

今年、7月の参議院議員選挙の勝敗は、32ある一人区での闘いで決することは明白だ。そのためには、立憲野党の共闘は、勝利をもたらす、絶対要件と言えるだろう。

一方、維新の会は、参議院と同時の改憲国民投票を煽り、国民民主は立憲野党の共闘態勢から離脱、野党国対からも離れた。憲法審査会では維新とともに、与党側の幹事懇談会に参加を決め、与党と歩調を合わせて改憲を進めようとしている。改憲の危険性は安倍政権の時より、むしろ高まっていると言えるだろう。

今回の第1回「共同テーブル」大討論集会では、総選挙の総括と今後の政治展望について、立憲民主党、共産党がなぜ議席、主に比例票で後退したのか、維新がなぜ比例票を伸したのか(もっとも2012年時とさして変わらないが)など維新に関する見方、さらには社会的影響力のある運動をどう創るか、ご参加いただいた皆さんから積極的なご意見を大いにお出しいただき、政党・政治運動と社会運動の両面からのアプローチから、7月の参議院議員選挙を視野に入れた、意見交換・討論会を行ないたいと考えています。

なお、会場参加いただいた方のご意見を中心に進めますが、当日ご参加いただけない方は、アンケート、メールなどによる、ご意見をお願いします。

市民と立憲野党の協力で、ムーブメントを巻き起こすには、何が必要なのか。

皆さんとともに考えましょう。そして、たちあがりましょう。

「共同テーブル」の理念と今後の方向を討議するシンポジウムです。

多くの皆さまのご出席をお待ちしております。

 

    記

●日時  120() 午後2時~5

午後130開場  2時開会  

●会場    衆議院第二議員会館・一階 多目的会議室 

午後130分から、衆議院第二議員会館のロビーで担当者が入館証の配布を始めます。

●申し込み先  定員(140名)になり次第、申し込みを締め切りますので、大変、恐縮ですが、なるべく早めに下記のメールアドレスまで、出席申し込みを、お願いいたします。

E-mail   e43k12y@yahoo.co.jp

 

プログラム

1 総合司会 

杉浦ひとみ(弁護士) 

白石孝(NPO法人官製ワーキングプア研究会理事長)

2 ご挨拶  

発起人を代表して 佐高信 

3 「共同テーブル」発起人からの問題提起 

神田香織(講談師) 

伊藤誠(経済学者) 

纐纈厚(山口大学名誉教授) 

竹信三恵子(ジャーナリスト・和光大学名誉教授) 

前田朗(東京造形大学名誉教授) 

山城博治(沖縄平和運動センター顧問)

4 維新との闘い  1224大阪シンポジウムの討論から

報告 寺本勉(「エコロジー社会主義」翻訳)

5 市民と発起人の大討論

6 まとめと閉会挨拶 

閉会 5

 

●「共同テーブル」連絡先  

藤田高景 090-88085000 石河康国 090-60445729 

 

「共同テーブル」/いのちの安全保障確立に向けて―非正規社会からの脱却宣言

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/08/blog-post_11.html

「共同テーブル」発起人のメッセージ

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/08/blog-post_25.html

良きものを善に費やせ(第2章 雌牛)

中田考監修/黎明イスラーム学術・文化振興会責任編集

『日亜対訳クルアーン』(作品社、2014年)

 

今年は『クルアーン』を読むことにした。

昔、抜粋編の小さな本を読んだことがあるが、まったく印象も残っていない。中田監修本は2014年に出版された760頁の大著で、註釈も充実している。数年前に挑戦したが挫折した。私が持っているのは20175月発行の第7刷だ。今年は一年かけて、ゆっくり読みたい。

114章から成るが、まずは第1章と第2章だ。

1章は「開端」であり、本文は7行の短い文章だ。「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において」と始まり。アッラーが世界の「主」であることが示され、「あなたにこそわれらは仕え、あなたにこそ助けを求める」と信仰する者の念いを唱える。

毎日5回の義務とされる礼拝で読むことが義務付けられているという。慈悲の神、唯一の神アッラーの確証のための題目である。

2章は「雌牛」と題されている。286のフレーズから成り、日本語版では49頁に及ぶ長い章である。ムーサ―(モーセ)の逸話に由来して「雌牛」とされているが、アッラーを畏れ、信仰に励むべきことを繰り返し説く基本の綱領部分である。アーダム(アダム)、ムーサ―、イーサー(イエス)、スライマーン(ソロモン)、イブラーヒーム(アブラハム)らが次々と登場し、ユダヤ教やキリスト教を批判し、イスラムの優越性を確認している。

俗流の理解で、イスラムが戦闘的とされる根拠と見られる「おまえたちと戦う者と戦え」「彼らを見つけ次第、彼らを殺せ。そして彼らがおまえたちを追い出したところから彼らを追い出せ。」「迫害がなくなり、宗教がアッラーに帰されるまで彼らと戦え。」もこの章である。もっとも、これはアッラーを畏れない不正の信仰者が攻撃してきた場合のことだ。

また、イスラムの女性差別の根拠とされる記述(月経、妻はおまえたちの畑である、離婚等々)もこの章である。

「信仰する者たちよ、おまえたちが稼いだ良きものと、われらがおまえたちのために大地から出でさせたものから(善に)費やせ。その中から(質の)悪いものをねらって費やしてはならない。おまえたちが(自分では)それについては目を閉じてでもいなければ受け取らないようなものを。そして、アッラーは自足者で称賛されるべき御方と知れ。(2267)

「悪魔はおまえたちに貧困を約束し、おまえたちに醜行を命じる。他方、アッラーはおまえたちに彼からの御赦しと御恵みを約束し給う。そしてアッラーは広大にしてよく知り給う御方。(2268)

「彼は御望みの者に英知を授け給う。そして英知を授けられた者は、多くの良きものを授けられたのである。だが、賢慮を備えた者を除き留意しない。(2269)

Tuesday, January 04, 2022

「お風呂は究極の非武装」

安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』(亜紀書房)

https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1032

<内容紹介>

タイ、沖縄、韓国、寒川(神奈川)、大久野島(広島)――

あの戦争で「加害」と「被害」の交差点となった温泉や銭湯を各地に訪ねた二人旅。

ジャングルのせせらぎ露天風呂にお寺の寸胴風呂、沖縄最後の銭湯にチムジルバンや無人島の大浴場……。

至福の時間が流れる癒しのむこう側には、しかし、かつて日本が遺した戦争の爪痕と多くの人が苦しんだ過酷な歴史が横たわっていた。

■タイ…………ジャングル風呂と旧泰緬鉄道

■沖縄…………日本最南端の「ユーフルヤ―」

■韓国…………沐浴湯とアカスリ、ふたつの国を生きた人

■寒川…………引揚者たちの銭湯と秘密の工場

■大久野島……「うさぎの島」の毒ガス兵器

嗚呼、風呂をたずねて四千里――風呂から覗いた近現代史

『ネットと愛国』『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』『ヘイトスピーチ』『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』のジャーナリスト安田浩一と、文筆家・イラストレーターにして、『世界はフムフムで満ちている』『酒場學校の日々』『虫ぎらいはなおるかな?』『世界のおすもうさん』の金井真紀の2人による温泉・風呂紀行である。

硬派ジャーナリストの安田は「取材の合間にひとっ風呂、が基本動作。お気に入りは炭酸泉」と称し、元酒場ママ見習いの金井は「銭湯では、好きだったサッカー選手・松田直樹の背番号にちなんで3番の下駄箱を使用する」という。

この2人がタイ、沖縄、韓国、日本の温泉・風呂をめぐりながら漫談に励み、同時に日本の戦争犯罪の記録と記憶を訪ねる。

なんとも、のんびり、くつろいだ、ここちよい、ひとときに、湯気の向こう側には、記憶の塊のような証人が登場する。

泰緬鉄道とは何だったのか。日本軍はジャングルを切り開いて何をしたのか。私も泰緬鉄道を訪れて、今も使われている鉄道に乗り、鉄橋を渡ったので、レポートするならば、あの墓地、このミュージアム、そして地獄のような工事現場跡を思い起こすが、安田と金井はそんなありきたりのレポートはしない。なんと、日本兵が「発見」した温泉がいまもジャングル風呂として利用されている。湯気の向こう側のおぼろげな歴史を引きずり出して、読者を湯船に引きずり込む。

沖縄でも韓国でも寒川(神奈川)でも2人は、激減する銭湯に歴史の痕跡を発見する。カラオケで歴史の裏側をつぶさに読み取る。アカスリで歴史の忘れ物を拾い集める。「幻の銭湯」に招き寄せられて毒ガス戦の歴史を探索する。

済州島の温泉、ドミニカの温泉、バーデン(スイス)の温泉など各地の温泉を経験した私だが、温泉から歴史を射貫くという発想はなかった。脱帽。

巻末の「付録対談」は「旅の途中で」というタイトルだ。旅はまだまだ続くということか。なにしろ当初の企画では、グアテマラの温泉、フィンランドのサウナ、トルコのハマムなどもラインナップに入っていたという。続編が期待される。

対談の最後で、2人は「お風呂は究極の非武装」という「名言」にたどり着く。

Sunday, January 02, 2022

2022年のはじめに

大阪天満宮と天王寺動物園でおだやかな正月を迎えた。今年も新型コロナ禍が続きそうだが、予想外の新しい展開もあるかもしれない。

 

21年は主に4つの仕事をした。

1に、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』(三一書房)

https://31shobo.com/2021/08/21005/

2に、懸案だった千葉朝鮮総連強盗殺人事件の再調査。

前田朗「1998年のヘイト・クライム――千葉朝鮮総連強盗殺人放火事件」『東アジア共同体・沖縄(琉球)研究』5

前田朗「忘れられたヘイト・クライム――千葉朝鮮総連強盗殺人放火事件」『部落解放』813

3に、福岡地裁小倉支部で審理中の行橋市議ヘイト・スピーチ裁判で裁判所に「意見書」提出。

第4に、「スイスの美術館」の文章化。

藤井匡編『美術館を語る』(風人社)

https://www.fujinsha.co.jp/books/book-artistic/9784938643980-2/

 

22年も同様に、反差別、反ヘイト、人権擁護、刑事人権論、死刑廃止、国際人権、平和主義、平和への権利、軍隊のない国家、非国民、ジャーナリズム論といったテーマに取り組みたい。

 

21年の正月に「今後の情報発信と生活スタイルをどうするか。John Lennonを聴きながら、年末年始にあれこれ考えたが、これまでと同じようにできることを続けていくという平凡な結論に落ち着いた」と書いたが、それは今年も同じだ。

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/12/blog-post_31.html

 

「あれも読みたい、これも読み直したい。人文・社会科学の古典だ。だが、それだけの時間はとれないだろう。優先順位をつけるしかないが、おのずと決まっていくだろう」と書いたが、21年に古典は読めなかった。何か一つに決めておかないと、なかなかチャレンジは難しいので、一年かけてイスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)を読むことにした。前にも挑戦したが、10分の1も読んでいないので。

 

時代を紡ぐこと、時代と切り結ぶこと、そして、人間を取り戻すこと。