Thursday, December 03, 2015

朴裕河訴追問題を考える(5)「アウシュヴィツの嘘」処罰について

(5)「アウシュヴィツの嘘」処罰について

日本の「知識人」の抗議声明は「今回さらに大きな衝撃を受けたのは、検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出たからです。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題です。」とし、「近代民主主義の基本原理」を語る。

「特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出た」という主張は、それだけを見ると説得的だと誤解する向きも多いだろう。しかし、抗議声明の論理はネオナチの論理と同じである。「知識人」たちがネオナチを支持しているわけではない。しかし、思慮が足りないから、ネオナチと同じ主張をしてしまうのだ。

(A)「アウシュヴィツの嘘」処罰規定

西欧には、「アウシュヴィツの嘘」犯罪、あるいは「ホロコースト否定」犯罪と呼ばれる刑法規定がある。公然と「アウシュヴィツのガス室はなかった」とか、「ユダヤ人虐殺は数万人に過ぎない」とか、「ユダヤ人絶滅政策は良かった」といったたぐいの発言をすれば、犯罪である。

歴史の事実をめぐる発言が刑事規制される。理由は、後述するように、人間の尊厳を侵害することは許されないからだ。学問の自由や言論の自由を口実に、人間の尊厳を侵害することは犯罪となる。

ドイツ、フランス、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア、イスラエルなどでは、規制の範囲はそれぞれ異なるが、人道に対する罪のような歴史の事実を否定、疑問視、矮小化、容認、正当化する発言が処罰の対象となる(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』第10章参照)。

(1)  ドイツ刑法

ドイツの民衆扇動罪は、日本でもよく知られている。数年前だったか、オーストラリアで自分のウェブサイトに「アウシュヴィツの嘘」を掲載していた者がドイツを訪問したところ、フランクフルト空港で入国したとたんに逮捕されたことが報道されたのを記憶している人も多いはずだ。

ドイツ刑法130条3項は次のように定める。「公共の平穏を乱すのに適した態様で、公然と又は集会で、第220条a第1項に掲げる態様でのナチスの支配下で行われた行為を是認し、その存在を否定し又は矮小化する者は、5年以下の自由刑(刑事施設収容)又は罰金刑に処される。」
 第220条a第1項とは民族謀殺のことである。多くのユダヤ人が殺され、迫害された事実から、歴史の事実を否定し、 矮小化することが、ユダヤ人の人間の尊厳への攻撃となるので、公共の平穏又は人間の尊厳を保護するために当該行為を犯罪としているのだ。

ドイツの民衆扇動罪については、楠本孝『刑法解釈の方法と実践』(現代人文社、2003年)、及び櫻庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服――人種差別表現及び「アウシュヴィッツの嘘」の刑事規制』(福村出版、2012年)参照。

周知の通り、これに対してネオナチは、次のように主張してきた。「権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧するべきではない。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題である。」

(2)フランス刑法

2004年3月9日の法律によって、1881年7月29日の法律に第65-3条が挿入された。「人道に対する罪に疑いを挟む」というタイトル(「アウシュヴィツの嘘」を含む規定)であり、差別、憎悪又は人種主義、又は宗教的暴力の教唆、人道に対する罪に疑いを挟むこと、人種主義的性質の中傷、及び人種主義的性質の侮辱は、以前から犯罪とされていた。2004年改正によって、他のプレス犯罪に設けられている時効3ヶ月に代えて、1年の時効とすることに改正された。時効はインターネットその他いかなるメディアによるものであれ、犯罪が行なわれた時から開始するとされた。
 
(B)処罰根拠

それでは、なぜ、歴史の事実に関する発言が処罰されるのだろうか。

 櫻庭総(上掲書)によると、民衆扇動罪の保護法益について、ドイツでは2つの見解が唱えられている。第1は保護法益を「公共の平穏」と理解する。理由は、刑法第130条の位置が刑法典各則第7章「公共の秩序に対する罪」の中に置かれているからである。従って、民衆扇動罪は、個人的法益を保護する侮辱罪とは性格が異なることになる。第2は保護法益を「人間の尊厳」とする見解である。民衆扇動罪は第一義的に人間の尊厳を保護するものであり、公共の平穏は間接的に保護されると見ることになる。実際には多くの論者が、人間の尊厳と公共の平穏の両方を保護するものと見ているようだが、両方を保護するにしてもどちらを優先して理解するかでさまざまに見解が分かれている。

ポイントを整理しておこう。「アウシュヴィツの嘘」処罰は、例えば次のような論理を持つ(ただし、国によって議論の仕方は異なる)。

(1)     ユダヤ人虐殺のような人道に対する罪は、被害を受けたユダヤ民族に属する者にとって、その歴史的アイデンティティの一部となっている。
(2)     それゆえ人道に対する罪の事実を否定、疑問視、歪曲することは、ユダヤ民族のアイデンティティを否定することであり、人間の尊厳を侵害するから、犯罪とされるべきである。

本来なら東アジアにおいても、歴史の事実を否定する乱暴な発言――「慰安婦の嘘」や「南京大虐殺の嘘」発言を処罰する歴史否定犯罪を制定するべきだ。日本では犯罪者が権力を握っているため、この種の法律は制定できない。私は韓国や中国でこの法律を制定することを提唱してきた。


(C)名誉毀損罪の解釈可能性

 日本刑法の名誉毀損罪は、個人の法益を保護し、個人の社会的評価を低下させることで成立するので、「アウシュヴィツの嘘」型の規定ではない。韓国刑法の名誉毀損罪がどのようになっているか、私は知らない。

しかし、前回述べたように、名誉毀損罪の人概念は、ドイツ刑法では個人だけでなく集団も含まれると理解されている。韓国刑法も同様に解釈する余地があるかもしれない。

さらに、イスラエル刑法の解釈が参考になる。イスラエル検事局特別部は、人種的表現、暴力の煽動、人種的侮辱、ホロコーストの否定を掲載したネオナチ・ウェブサイトを開設した被告人を刑法第144条D2項及び第144条Bの暴力の煽動と人種主義の煽動で訴追し、2005年1月に有罪認定がなされた。
 刑法第144条Aは人種主義を煽動する意図を持った出版を行った者を5年以下の刑事施設収容としている。刑法第144条A~Eは人種主義を煽動する意図を持った出版や物の配布を、それが結果をもたらさなかった場合も、禁止している。刑法第144条D1項は、人種主義的動機なしに、人、人の自由や財産に対して犯罪を行った者を処罰するとしている。それには脅迫、強要、フーリガニズム、公共秩序犯などが含まれる。「アウシュヴィツの嘘」の特別の定めがあるわけではないが、暴力の煽動と人種主義の煽動を定めた規定の解釈として「アウシュヴィツの嘘」処罰が可能と考えられている。「アウシュヴィツの嘘」が通常のヘイト・スピーチ処罰規定に含まれるということである。

(D)結論

(1)「公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙に出たからです。何を事実として認定し、いかに歴史を解釈するかは学問の自由にかかわる問題です。」とし、「近代民主主義の基本原理」を語る「知識人」声明は誤解である。フランス、ドイツをはじめ欧州各国では、学問の自由を口実に歴史の事実を否定することは許されない。

(2)抗議声明の論理はネオナチの論理と同じである。「知識人」たちがネオナチを支持しているわけではないが、主張内容は完全にネオナチと同じである。


(3)欧州における「アウシュヴィツの嘘」処罰についての知識もなしに、歴史認識をめぐる問題について発言をすることは、あまりにも軽率、粗忽である。特にフランスやドイツの例は日本でも何度も報道されてきたのだから、知らなかったでは済まされない。民主主義と表現の自由に関連する基本問題の知識を持たない「知識人」たちには、社会的に発言する資格がない。