Sunday, October 21, 2018

ヘイト・スピーチ研究文献(117) ヘイト団体の公共施設利用問題


奈須祐治「ヘイト・スピーチと『公の施設』――川崎市ガイドラインを素材として」『金沢法学』61巻1号(2018年)


「<記録>シンポジウム『ヘイト・スピーチはどこまで規制できるか』」に収められた報告である。


奈須はこれまでアメリカ及びイギリスにおけるヘイト・スピーチ対策に関する多数の論文を執筆してきた。

Ⅰ はじめに

Ⅱ 用語と概念の整理

Ⅲ 川崎市ガイドライン

Ⅳ 学説

Ⅴ 利益衡量のあり方

Ⅵ おわりに

特に注目すべき点を引用しておこう。


冒頭で「とりわけマイノリティ住民の保護のために一定の限られた条件の下で施設利用を拒否することは憲法上可能であると考える。また、川崎市ガイドラインにはいくつかの問題があるものの、十分に合憲と評価できると考える」と、立場を鮮明に打ち出したうえで、本論で詳細に議論している。


公の施設における集会の自由について、憲法学者も弁護士も、泉佐野事件及び上尾事件の最高裁判決を「先例」として引用してきた。ヘイト集会、ヘイト団体による施設利用についても、多くの学説が最高裁判決を先例として扱ってきた。

私はこれを批判してきた。泉佐野事件も上尾事件もヘイト集会とは関係なく、施設利用者(利用申請者)の行為形態も、保護法益も異なるからである。判例の読み方について初歩的知識を有すれば、泉佐野・上尾事件判決は先例ではないとわからないはずがない。しかし、私の見解に賛同する憲法学者はほとんど見られなかった。

この点につき、奈須は次のように述べる。

「これらの判例法理は集会の自由を尊重するものとして評価に値するが、本稿の課題に直接の解答を提示しない。確かに排外主義団体による公の施設利用が敵対的聴衆による秩序紊乱を招く場合にはこれらの法理が妥当するが、ここで主に問題になるのはマイノリティ住民に対する危害の防止である。この点について最高裁は何も語っていないのである。」

実に重要な指摘である。泉佐野・上尾事件最高裁判決はヘイト・スピーチ、ヘイト集会、ヘイトデモに関する先例ではないと明言している。私と同じ読み方である。上記引用以上の言及がないのが惜しまれる。

集会の自由の問題以前に、そもそも地方公共団体が差別に加担してはならず、ヘイト集会が行われる蓋然性が高い場合には、ヘイト集会のための施設利用を拒否しなければならない。もし施設を利用させれば、「地方公共団体がヘイトの共犯になってしまう」というのが私の見解である。この点につき、奈須がどう考えているかは不明である。ともあれ、最高裁判決のまともな読み方を提示してくれたことは大いなる前進である。


奈須は、施設利用を拒否できる場合があるとする川崎市ガイドラインを紹介したうえで、これを批判する否定説として榎透、長谷部恭男の見解、合憲とする肯定説として師岡康子、楠本孝、内野正幸の見解を検討する。毛利透も肯定説だが、やや慎重であり、中村英樹はさらに慎重だという。奈須自身は次のように結論付ける。

「このような否定説の議論に対しては、過度な抽象化、範疇化を行っているという批判ができる。ヘイト・スピーチ規制といっても一様ではなく、標的、害悪、媒体、態様、規制態様等の様々な要素の各々について、どのような選択をするかによって規制の合憲性は変わってくる。規制のありうるバリエーションを考えれば、内容中立性原則等の法理に依拠して一律に制約を違憲とみなすのは適切ではない。」

「一般論としては厳格な条件の下で、ある団体が特に有害で価値の低い言動を行うことを理由に利用を拒否できる。また、地域住民の集会等のために設置された施設では、より高いレベルの礼節が求められることにも留意すべきである。公の施設の利用制限を行う場合、本来法律や条例において明確な規定を置くことが望ましいが、上記のように我が国の法令はこれまで非常に曖昧な規定により集会の自由の制約を認めてきたので、川崎市のようにガイドラインを設けて制約できる場合を明確化することも許されるだろう。」

そのうえで、奈須は川崎市ガイドラインの具体的内容に即して不十分な点をいくつか指摘している。プライバシー侵害を惹起しかねない恐れなど、さらに配慮すべき論点である。閉鎖型施設と開放型施設の差異をどう見るか、マイノリティ集住地域とそれ以外の地域の区別についても論じている。

奈須は、従来の憲法学の立論を踏まえて、集会の自由に即して論じつつ、そこにマイノリティ住民の保護という観点を導入することによって、一定の場合に施設利用を拒否できるという結論を引き出している。基本的に賛同できる。


ただ、私の見解は奈須と異なる点がある。集会の自由を根拠に据えることによって、「施設利用を拒否できる場合があるか」と問うのがこれまでの憲法学であり、奈須もこの点では同じである。

しかし、それ以前に論じておくべきことがあるはずだ。それは、地方自治体が差別やヘイトを行ってよいかという問題である。日本国憲法13条及び14条の趣旨からいって、地方自治体が差別やヘイトを行うことは許されない。従って、施設利用を許可すると差別やヘイトが行われる蓋然性が高い場合、地方自治体は当該集団に施設を利用させてはならない。そうでなければ、地方自治体が「ヘイトの共犯」になってしまう。また、公の施設は税金によって運営されているから、ヘイト団体に利用させることはヘイト団体に資金援助を行ったことと同様である。地方自治体がヘイト団体に資金援助することは、地方自治体が「ヘイトの共犯」になることである。この二重の意味で、地方自治体は公の施設においてヘイト集会が行われないようにする責任を有する。だから、施設利用を拒否しなければならない場合があるのだ。これは「集会の自由以前の問題」である。この点を奈須はどう考えるのだろうか。