Friday, October 19, 2018

歴史、責任、主体――東アジアにおける知識人の対話


徐京植・高橋哲哉『責任について――日本を問う20年の対話』(高文研)


「戦後73年、明治維新150年。

この国は白昼公然とヘイトスピーチが飛び交い、嫌韓・嫌中、

さらには沖縄まで刃が向けられる排外主義が蔓延する社会が出現した。

戦後民主主義という「メッキ」が剥がれ、この国の〝地金〟がむき出しになった。

戦後責任を問い植民地主義を批判し続けてきた哲学者と、

この国の植民地主義に対峙して来た作家が、

日本マジョリティの「責任」について語り合う。」


『私の西洋美術巡礼』『半難民の位置から』『植民地主義の暴力』『日本リベラル派の頽落』の徐京植。

『記憶のエチカ』『戦後責任論『靖国問題』『犠牲のシステム 福島・沖縄』の高橋哲哉。

日本軍性奴隷制(「慰安婦」問題)をはじめとする戦後補償問題、「戦後50周年」をめぐる政治、9・11と9・17後の世界と日本の激動、沖縄米軍基地をめぐる民衆の抵抗、フクシマ原発事故被災。四半世紀の東アジアにおける日本問題を、正面から問い続けてきた2人の対話である。

「Ⅰ 戦後民主主義という「メッキ」」において、応答責任から逃避した日本の20年を振り返り、高橋と加藤典洋との論争におけるナショナリズムと日本リベラル派の基本構制を抉りだす。女性国際戦犯法廷/NHK番組改ざん事件、教育基本法改正、靖国問題──感情の錬金術を論じることで、戦後民主主義の限界を的確に浮き彫りにする。

「Ⅱ 日本の「地金」」において、1989年の昭和天皇の死、天皇の戦争責任をめぐる軽薄な語りの意味を探り、「言論弾圧」と「空虚な主体」の実相をあぶりだす。他方、小泉訪朝/日朝平壌宣言/日本人拉致問題、『前夜』創刊、朴裕河『和解のために』を振り返り、「共感的不安定」のレトリックに頽落の一因を見る。リベラル派の頽落は、『帝国の慰安婦』現象において絶頂(どん底)に達する。

「Ⅲ「犠牲のシステム」と植民地主義」において、この国の「犠牲のシステム」とは何かを、「フクシマ」と「福島」や、米軍基地引き取り論を通じて解き明かす。広島・長崎の経験にもかかわらず、核を否定できない二重基準の国の問題を指弾する。

「Ⅳ「普遍主義」の暴力」では、逆に植民地主義的思考が普遍主義的形態をとって現象することを、「日本的普遍主義とは何か」「象徴天皇制という地金」「虚構の平和主義」として論じる。

最後に、高橋哲哉は、「日毒」の消去という課題を提示し、徐京植は、日本型全体主義の完成に言及する。「明治維新150年」を騒ぎ立てる日本植民地主義との精神の闘いが続く。
徹底して思想の徒でありながら、行動する知識人でもある2人の交流は東アジアにおける知識人の歴史的社会的責任に関する比類のないモデルとなるであろう。