Thursday, October 11, 2018

ヘイト・スピーチ研究文献(115)金沢シンポジウムの記録


「<記録>シンポジウム『ヘイト・スピーチはどこまで規制できるか』」『金沢法学』61巻1号(2018年)


金沢大学基礎法研究会が主催し、2017年12月16日に、『ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか』の著者エリック・ブライシュ(ミドルベリー大学教授、政治学)を招いて開いたシンポジウムの記録である。


東川浩二「はじめに」

エリック・ブライシュ「基調講演『ヘイト・スピーチとは何か』」

冨増四季「ヘイトスピーチ事案における不法行為法・填補賠償法理の担う役割への再評価」

駒村圭吾「ヘイトスピーチ規制賛成論に対するいくつかの疑問」

奈須祐治「ヘイト・スピーチと『公の施設』」


エリック・ブライシュの基調講演は、ヘイト・スピーチという古くて新しい現象の総体を把握するために、この概念定義の困難さ、あいまいさの理由を追跡する。国際人権法やアメリカ法におけるこの概念及び関連する概念が、どのような状況、どのような射程で用いられてきたかを確認する。ヘイト・クライムやハラスメントも含めたアメリカの用語法をフォローし、次いでヨーロッパ法の変遷を若干見たうえで、「ヘイト・スピーチとは何か」に、「正確で簡便な答えを出すことはできない」としつつ、「しかしこの問題を探求することで、この問題をより深く理解することは可能」という。そして3点指摘する。

「第1に、ヘイト・スピーチは1つの定義に集約させることはできません」。

「第2に、ヘイト・スピーチは概念的ツールであり、また政治的ツールでもあります。」

「第3に、ヘイト・スピーチ法とその政策は、その規制主体が置かれた状況によって相当大きく異なっているということです。」

最後にブライシュは類型論の必要性を強調して講演を終えている。


ブライシュの指摘は正しい。日本の議論でも、ヘイト・スピーチ概念の定義の困難性は常に焦点とされてきた。国際人権法上の概念もあいまいと言えばあいまいである。ブライシュは政治学者で、国際人権法学者ではないためか、ラバト行動計画や人種差別撤廃委員会の一般的勧告35を十分分析していないが、これらを踏まえても、定義の困難さという論点が残ることは否めない。

ただし、即座に補足しておかなくてはならないことは、一義的に明確で争いのない法概念などほとんどないという事実である。刑法における殺人罪の「殺人」という概念は極めて多義的であり、窃盗罪の「財物」という概念はもっと幅広い。判例や学説の積み重ねの結果として、専門家の間で一定のお約束が出来上がっているが、それもしばしば現実に裏切られるのである。刑法上の基本概念が多義的であり、あいまいであるのに、ヘイト・スピーチについてだけ完全無欠の明確性を求める議論をなぜ続けているのか、不思議な話である。

ついでに書いておくと、ブライシュの頭の中では、世界はアメリカとヨーロッパだけでできている。ブライシュに限らず、日本の議論でも、世界にはアメリカとヨーロッパと日本だけしか存在しないという大前提を疑うことが許されない。不思議な話である。


東川浩二「はじめに」は、シンポジウム主催者としての経過説明だが、冒頭に「我が国では、2013年ごろから在特会を中心として、主として在日韓国・朝鮮人を対象としたヘイト・スピーチが問題化した」として、京都朝鮮学校事件判決や大阪市条例、ヘイト・スピーチ解消法に言及している。こうした認識は、東川に限らない。ジャーナリストや評論家の多くは「2007年頃からヘイト・スピーチ問題」と語る。法学者の東川は、判決の出始めた2013年からと語る。
しかし、日本におけるヘイト・クライム/スピーチは2007年や2013年の問題ではない。朝鮮人に対する差別とヘイトは長い間、この社会の重大問題であり続けた。私自身は1988年の世界人権宣言40周年の記念集会を契機に在日朝鮮人の人権擁護を掲げる市民運動にかかわってきた。1989年のパチンコ疑惑騒動、1994年の核疑惑騒動、98年のテポドン騒動、2002年のピョンヤン会談、その都度、日本社会は在日朝鮮人に対する差別と憎悪を振りまいてきた。襲撃事件も何度も起きた。私は1994年以来、被害調査を踏まえて、国連人権機関に訴えてきた。日本の法律家にいくら言っても聞こうとしないからだ。さかのぼれば、阪神教育闘争があり、戦前には関東大震災朝鮮人虐殺がある。こうした歴史をすべて抹消して、2007年や2013年のヘイト・スピーチを語る姿勢では、問題の本質を隠蔽することにしかならない。