阿部浩己『国際法を物語るIII 人権の時代へ』(朝陽会)
http://www.choyokai.co.jp/publication/index.html
1 国際法における人権
2 国際人権規範の相貌
3 国際人権保障システムを概観する
4 国連人権保障システムの至宝~特別報告者
5 国内裁判を通じた国際法の実現
6 希望の砦~個人通報手続
7 死刑の現在
8 人権 NGO
9 極度の不平等、NIEO、テロリズム
10 徴用工問題の法的深層
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シリーズの3冊目である。ⅠⅡは2018年、Ⅲは本年6月の出版である。
https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post_6.html
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「人権の時代へ」とあるように、『テキストブック国際人権法』『国際法の人権化』『国際人権を生きる』の著者であり、国際人権法学会理事長、日本平和学会会長などを歴任し、アジア国際法学会理事でもある著者による国際人権法の入門編である。
国際法が、国家間の外交・防衛等々の法だけでなく、人権を重要な柱にしてきた過程を示すとともに、国内法が国際法、国際人権法を踏まえて一定の変容を示してきた過程も示す。両方の意味で、国際人権法が発展し、それを通じて、各国の憲法体制における人権尊重も進展していく。その総体を120頁の小著で分かりやすく解説しているのは、さすがである。
私は国際人権法の研究者ではなかった。もともとの専攻は刑法であり、日本刑法の批判的検討、<権力犯罪と人権>をテーマとしていた。ところが、1988年の世界人権宣言40周年を契機に、仲間とともに「在日朝鮮人・人権セミナー」という小さなグループを立ち上げた。1990年代に日本軍性奴隷制問題に遭遇したのも、「人権セミナー」の活動を通じて、日本軍「慰安婦」問題について最初の国会質問を清水澄子さんにお願いに行ったのが最初であった。1991年6月、労働省職業安定局長の回答は「日本軍は関与していない」だったが、そこから火が付いた。1994年8月、朝鮮人差別と「慰安婦」問題を訴えるために国連人権小委員会に行ったのが、国際人権法との具体的な出会いであったと言えよう。正直言って、およそ無知だったが、久保田洋、戸塚悦朗、阿部浩己の論考を読んで勉強した。『テキストブック国際人権法』は当時、座右の書だった。
つまり、私の国際人権活動は著者の本を読んで始まったともいえる。何しろ、私は国際人権法の体系的学習をしたことがない。国際人権法学会に入ったこともない。この四半世紀、第1に、著者や申恵丰(青山学院大学教授)の著書に学んだ。第2に、国連人権委員会(現在は国連人権理事会)、国際自由権規約、拷問禁止委員会、人種差別撤廃委員会に参加して、現場で学んできた。第3に、私に国際人権法を教えてくれたのは、国連人権機関の特別報告者たちや、人権NGOのメンバーだった。日本の国際人権法学者とはほとんど交流もない。日本の多くの国際人権法学者に、国連人権理事会で会ったことがない。人種差別撤廃委員会で会ったことがない。以上は余談。
さて、本書である。
国際人権法の、とりわけこの半世紀の飛躍的な発展を踏まえて、本書は国際人権法の過去と現在を、コンパクト、かつわかりやすく解説する。「人権を基軸に据えて変容を続ける国際法の動態的な姿を描き出します」(はしがき)とあるように、国際法の発展の中に人権法を位置づける。
それゆえ、国際法における法の主体として、国家のみならず、国際機関の活動を概説すると同時に、個人や、NGOといった主体に焦点を当てる。国際人権規範が整備され、そこに創出された国際人権保障システムがどのような成果を上げてきたのか。どのような限界を有しているのか。国際法が国内裁判を通じてどのように実現されてきたのか。多様な主体と、多様な手続きに視線を送りながら、その全体像が見えるように工夫している。
国際人権法の教科書や入門書はいまでは珍しくないが、本書は、コンパクトでありながら、動態的把握を試みている。国際人権法の到達点を示しながら、その限界も指摘する。人権NGOの活躍を高く評価しながら、その硬直化にも用心の必要があることを指摘する。その意味では論争的でさえあると言うのが本書の特徴だ。