Saturday, April 30, 2016

大江健三郎を読み直す(59)「最後の小説」の構想

大江健三郎『「最後の小説」』(講談社、1988年[講談社文芸文庫、1994年])
50歳を過ぎたころから、大江は「最後の小説」について語り始めた。三島由紀夫の「最後の小説」や、昭和という時代の終わりを予見したこともあっただろうが、学生時代に作家デヴューし、実作と並行して小説の方法論を模索し続けた自分を振り返りつつ、「最後の小説」の構想を構想したようだ。本書冒頭に収められた「『最後の小説』」において次のように述べている
「僕は、いかにも若い年齢で、ほとんど偶然のようにして小説を書きはじめ、かつは作家の生活をはじめた。その偶然性のなごりが、いまも自分の作品、自分の生き方に否定しがたく残っていることはわかっているように思う。それは三十年近い作家としての生活に、ずっとついてまわって来た。それならば『最後の小説』は、計画をたて、よく構想し、時間と労力を十分につぎこんで達成したい。
「最後の小説」の構想はすぐに放棄され、その後さらに「三十年近い作家としての生活」をおくった大江だが、それ以前の作品とその後の作品を比較する批評は書かれただろうか。

本書は、「国外で日本人作家たること」「僕自身のなかの死」「『明暗』、渡辺一夫」「に保温の戦後を生きてきた者より」などにまとめられたエッセイ集である。「僕自身のなかの死」では、野上彌生子、林達夫、島尾敏雄、小林秀雄、尾崎一雄を論じている。

Saturday, April 16, 2016

ヘイト・クライム禁止法(107)エルサルバドル

エルサルバドル政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/SLV/17-17. 29 July 2013)によると、刑法292条は「公務員や公務被雇用者、法執行官、公的当局者が、国籍、人種、ジェンダー、宗教又はその他の人的属性に基づいて、人に対して、憲法が認める個人の権利を否定した場合、一年以上三年以下の刑事施設収容、及び同じ期間の職務停止とする」。
刑法246条は「ジェンダー、妊娠、出身、市民的地位、人種、社会的地位又は身体的条件、宗教又は政治的信念、労働組合員であること又は組合員でないこと、企業における他の労働者との親類関係に基づいて、職場において重大な差別行為を行った者は、六月以上に年以下の刑事施設収容とする。」
エルサルバドルは、人種的優越や憎悪に基づく行為や観念、人種、皮膚の色又は民族的出身の異なる集団に対する暴力の煽動行為を排除する法規定を有している。
差別や人種府議行為に対する措置については、人種差別を促進・煽動する組織活動や宣伝活動はエルサルバドルには見られない。人種差別を促進・煽動する国家当局の行為はなされていない。
2006年の政府倫理法4条は、公務員の行為原則として非差別を掲げ、国籍、人種、ジェンダー、宗教、イデオロギー、政治的見解、又は社会的経済的条件による差別を禁じている。
司法・公共安全省市民警察は、イサルコ及びナフイサルコ地域における先住民族地域を管轄する。2011年、市民警察人権班は「被害を受けやすい状況に直面する集団」に関するワークショップを全国で行った。

ヘイト・スピーチ研究文献(52)コリアNGOセンター

「特集ヘイトスピーチ規制を求める声」『コリアNGOセンターNews Letter』42号(2016年)
・郭辰雄「大阪市のヘイトスピーチ条例とその課題」
・「人種差別撤廃のための国内法実現を求めて市民団体が参議院で集会を開催」

・「高まるヘイトスピーチ規制を求める声 大阪・京都・神戸で市民集会が開催」

ヘイト・クライム禁止法(106)カメルーン

カメルーン政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CMR/19-21. 9 January 2014)によると、条約4条について各種の措置を講じている。人種又は宗教に対する侮辱は刑法第241条で犯罪とされている。2012年の選挙法89.3条によると、選挙委員会は、選挙文書が暴力の煽動、国土の一体性への攻撃、政府の民主的形態、主権に対する攻撃の煽動、当局、市民、市民の集団への憎悪の煽動を含む場合は発行を拒否できる。人種や宗教に対する侮辱の場合、刑罰は二倍に加重される。刑法242.3条によると、犯罪が、市民の間に憎悪又は軽蔑を鼓舞する行為で行われた場合、刑罰は二倍になる。

Tuesday, March 22, 2016

大江健三郎批評を読む(6)フィールドワーク:<四国の森>

大隈満・鈴木健司編著『大江健三郎研究――四国の森と文学的想像力』(リーブル出版、2004年)
おもしろい本だ。つい最近まで知らなかったが、古書で入手した。
初期の『芽むしり仔撃ち』、代表作の『万延元年のフットボール』、『同時代ゲーム』、『懐かしい年への手紙』、さらには『燃え上がる緑の木』に至るまで、大江の主要作品に登場する<四国の森>は大江の故郷の大瀬をモデルにしたものであることは明らかである。とはいえ、現実の大瀬がそのまま描かれているわけではなく、大瀬の歴史や現在をもとに、大江が作家的想像力で改変し、物語を構築してきたことも当たり前ではあるが、当然、前提として理解されてきた。
ところが、本書は、そうした前提に立ちつつも、現実の大瀬に立ち入って調査し、報告する。高知大学教授の鈴木健が、授業の「総合社会文化研究」で大瀬を調査することにして、学生とともに大瀬に行き、現地で取材・調査を行った。愛媛大学教授の大隈満も加わった。その結果報告が本書第一部に収録されている。
例えば、大瀬の地理・街並み・住居と、大瀬作品に登場する地理・街並み・住居の対応関係が明らかにされる。
あるいは、『万延元年』に登場する「地獄図絵」が、大江家の菩提寺の「地獄極楽掛物四幅容」として実在し、内容も対応していること、それが源信の『往生要集』に由来することを実証的に調査している。
第二部には、そうした報告をもとに、現実と小説作品を見据えながらの分析が展開されている。「虚構と現実の媒介としての音楽室」「倒立する<谷間の村>」「念仏踊り考」など、どれも新知見をもちに考察を加えている。
調査結果の全部ではなく、ごく一部しか収録されていないようなのが残念だが、おそらく執筆者たちがほかの場所で、それぞれ執筆・報告しているのだろう。

活字になった大江作品だけをもとに想像を広げ、思考することもできるし、本書のように現地調査をもとに議論することもできる。現地調査結果によって、読者の自由な想像が制約されることもありうるかもしれないが、逆に、より空想の幅を広げることもありうる。大瀬を訪れたことのない私には、とても楽しい本であった。

アイヌ文化史の複雑性と多様性

瀬川拓郎『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』(ちくま新書)
第1章 アイヌの原郷―縄文時代(アイヌと縄文文化、アイヌと縄文人、アイヌと縄文語)
第2章 流動化する世界―続縄文時代(弥生・古墳時代)(弥生文化の北上と揺れ動く社会
古墳社会との交流、オホーツク人の侵入と王権の介入)
第3章 商品化する世界―擦文時代(奈良・平安時代)(本州からの移民、交易民としての成長、同化されるオホーツク人)
第4章 グローバル化する世界―ニブタニ時代(鎌倉時代以降)(多様化するアイヌの世界
チャシをめぐる日本と大陸、ミイラと儒教)
第5章 アイヌの縄文思想(なぜ中立地帯なのか?、なぜ聖域で獣を解体するのか)
日本史では、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の軸区分が用いられ、これを基準として北海道の歴史を解釈していた時代があった。しかし、北海道には弥生時代や古墳時代は見られない。今では、北海道には続縄文時代、オホーツク文化、擦文時代、アイヌ文化(本書著者はニブタニ時代と呼ぶ)があるとされている。本州以南が縄文から弥生への道をたどったのに対して、北海道では縄文時代が変容しながらも続き、独自の発展を経て、今日のアイヌ民族が形成されてきた。
しかし、縄文人からアイヌ民族に至る過程で、彼らは世界から孤立していたわけではない。屋用時代の日本との接触もあり、交易もあった。北のニブヒ(ギリヤーク)の南下によるアホーツク文化との交流もあった。商品化する世界では、サッケ、オオワシ、アワビ、アシカなどの交易が盛んであった。経済、社会、家族、宗教など複雑な歴史がある。最新研究成果をもとにアイヌ民族形成に至るまでの古代・中世の世界を見せてくれる。

札幌に生まれ育ち、少年時代に教わったアイヌ史のイメージがすっかり様変わりしていることは知っていたし、これまでもいくつか読んできたが、本書でかなり整理がついた。

Monday, March 21, 2016

ワルシャワ・ゲットーで読んだ済州島4.3事件

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)
植民地朝鮮で軍国主義日本の少年として教育を受けた著者が、8.15の解放、その後の済州島の政治的動乱、とりわけ4.3事件をどのように経験し、どのように生き延びて、日本へ脱出したか、を振り返り、4.3事件を問い直し、「在日」を問い直した自伝である。4.3事件については、文京『済州島四・三事件』、金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』があり、記録映画『レッド』もある。済州島現地フィールドワークにも行ったことがある。とはいえ、やはりなかなか理解できない点も多かった。前2著と合わせて立体的に見ることができる。
本書を購入した時に、「この本はワルシャワのゲットーで読もう」と思い付いた。思いついてしまったので、実際に週末はワルシャワへ行ってきた。中央駅の近く、スターリン時代にソ連がポーランドに贈った人民文化宮殿の近くのホテルに滞在し、その裏手側に広がっていたワルシャワ・ゲットーだった地域を2日かけて歩き回った。ワルシャワ蜂起記念碑を見てから、クラシンスキフ公園あたりで読もうかと思っていたが、ワルシャワはまだ寒い。喫茶店をはしごして、本書を読了。

ワルシャワで読もうなどと思い付いたのは、たぶん、ピアニストの崔善愛さんが、ショパンを書いた本の中で「花束の中の大砲」といった言葉を使っていたのが記憶にあったためだ。故郷を離れざるを得なかったショパンの美しい調べに潜む強い意志。指紋押捺拒否を貫いて日本に帰れなかったかもしれなかった崔善愛さん。故郷を捨てざるを得ず、命がけで日本に逃れてきた金時鐘。植民地や「在日」の歴史を知識で知っていても、一人ひとりの個人の思いや体験は測りがたい。そんなことを思いながら、860円の新書を1冊読むために飛行機に乗ってワルシャワへ行ってきた。そこまでしなくても良かったが、あえてそうして良かった。