Saturday, November 13, 2010

先住民族権利宣言と日本

雑誌「統一評論」533号(2010年3月)

ヒューマン・ライツ再入門⑮

先住民族権利宣言と日本

歴史的宣言

 「先住民族は、集団または個人として、国際連合憲章、世界人権宣言および国際人権法に認められたすべての人権と基本的自由の十分な享受に対する権利を有する。」(第一条、集団および個人としての人権享有)

「先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティ(帰属意識)に基づく差別からも自由である権利を有する。」(第二条、平等の原則、差別からの自由)

「先住民族は、自己決定の権利を有する。この権利に基づき、先住民族は、自らの政治的地位を自由に決定し、ならびにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する。」(第三条、自己決定権)

国連総会は、二〇〇七年九月一三日、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を採択した。この宣言は、先住民族に対する普遍的な人権宣言であり、歴史的・画期的なものである。先住民族が国際法の主体であると宣言された一九七七年から三〇年、国連先住民族作業部会が設置された一九八二年から二五年という長い年月をかけ、先住民族と政府の気の遠くなるような話し合いを経て採択された。

日本のNGOとして、アイヌ民族や沖縄・琉球民族とともにこのプロセスに参加してきた市民外交センターがこの宣言の翻訳を行っている。宣言翻訳は市民外交センターのウェブサイト参照。さらに、市民外交センターブックレット『アイヌ民族の視点から見た「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の解説と利用法』二〇〇八年参照。

国際人権法の端緒をつくりだした世界人権宣言は、後に二つの国際人権規約に練り上げられた。子どもの権利宣言から子どもの権利条約へ、人種差別撤廃宣言から人種差別撤廃条約へ、女性差別撤廃宣言から女性差別撤廃条約へ、拷問禁止宣言から拷問等禁止条約へ、障害者権利宣言から障害者権利条約へと、国際社会はまず基本的権利のカタログと基本思考を示す宣言をつくり、後にそれを条約にまとめ上げてきた。

少数者権利宣言が後に少数者権利条約になるか否か定かではないし、先住民族権利宣言も将来において条約になるか否かはまだ明らかではない。しかし、右のような経過を経て採択された宣言だけあって、先住民族権利宣言は全部で四六条に及び、人権のカタログや基本思考については、すでにかなりの程度、熟した内容を持っているように見える。

市民外交センターの翻訳と資料によって、もう少し詳しく見ていこう。

宣言の思考

 一般的な国際文書の前文と同様に、先住民族権利宣言前文は、宣言採択に至るまでに形成されてきた基本思考を整理している。

 出発点は言うまでもなく国連憲章であり、「すべての民族が異なることへの権利、自らを異なると考える権利、および異なる者として尊重される権利」(第二段落)が確認される。先住民族権利宣言らしい規定である。「すべての民族が、人類の共同遺産を成す文明および文化の多様性ならびに豊かさに貢献すること」(第三段落)、「先住民族は、とりわけ、自らの植民地化とその土地、領域(領土)および資源の奪取の結果、歴史的な不正義によって苦しみ、したがって特に、自身のニーズ(必要性)と利益に従った発展に対する自らの権利を彼/女らが行使することを妨げられてきたこと」(第六段落)、「先住民族の政治的、経済的および社会的構造と、自らの文化、精神的伝統、歴史および哲学に由来するその生得の権利、特に土地、領域および資源に対する自らの権利を尊重し促進させる緊急の必要性」(第七段落)が確認される。

 続いて、「先住民族の知識、文化および伝統的慣行の尊重は、持続可能で衡平な発展と環境の適切な管理に寄与すること」(第一一段落)、「先住民族の土地および領域の非軍事化の、世界の諸国と諸民族の間の平和、経済的・社会的進歩と発展、理解、そして友好関係に対する貢献」(第一二段落)が強調される。

 そして、国連憲章、二つの国際人権規約、ならびにウィーン宣言・行動計画が、「すべての民族の自己決定の権利ならびにその権利に基づき、彼/女らが自らの政治的地位を自由に決定し、自らの経済的、社会的および文化的発展を自由に追求することの基本的な重要性を確認していること」(第一六段落)、「国家に対し、先住民族に適用される国際法文書の下での、特に人権に関連する文書に関するすべての義務を、関係する民族との協議と協力に従って、遵守しかつ効果的に履行すること」を述べている。

同化を強制されない権利

 宣言は、準備過程の議論では次の九つの部分にわけられていたという。

人権保障の原則(第一条~六条)

冒頭に紹介した三か条に続いて、先住民族権利宣言は多様な権利を掲げている。

 「先住民族は、その自己決定権の行使において、このような自治機能の財源を確保するための方法と手段を含めて、自らの内部的および地方的問題に関連する事柄における自律あるいは自治に対する権利を有する。」(第四条、自治の権利)

「先住民族は、国家の政治的、経済的、社会的および文化的生活に、彼/女らがそう選択すれば、完全に参加する権利を保持する一方、自らの独自の政治的、法的、経済的、社会的および文化的制度を維持しかつ強化する権利を有する。」(第五条、国政への参加と独自な制度の維持)

さらに第六条(国籍の権利)が続く。

民族的アイデンティティ全体に関する権利(第七条~一〇条)

第七条(生命、身体の自由と安全)に続く第八条は「同化」批判である。

1. 先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する。

2. 国家は以下の行為について防止し、是正するための効果的な措置をとる:

(a) 独自の民族としての自らの一体性、その文化的価値観あるいは民族的アイデンティティ(帰属意識)を剥奪する目的または効果をもつあらゆる行為。

(b) 彼/女らからその土地、領域または資源を収奪する目的または効果をもつあらゆる行為。

(c)彼/女らの権利を侵害したり損なう目的または効果をもつあらゆる形態の強制的な住民移転。

(d) あらゆる形態の強制的な同化または統合。

(e) 彼/女らに対する人種的または民族的差別を助長または扇動する意図をもつあらゆる形態のプロパガンダ(デマ、うそ、偽りのニュースを含む広報宣伝)。」(第八条、同化を強制されない権利)

 そして第九条(共同体に属する権利)、第一〇条(強制移住の禁止)である。

③文化・宗教・言語の権利(第一一条~一三条)

第一一条(文化的伝統と慣習の権利)、第一二条(宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還)、第一三条(歴史、言語、口承伝統など)である。

④教育・情報などの権利(第一四条~一七条)

第一四条(教育の権利)、第一五条(教育と公共情報に対する権利、偏見と差別の除去)、第一六条(メディアに関する権利)、第一七条(労働権の平等と子どもの労働への特別措置)。

⑤経済的社会的権利と参加の権利(第一八条~二四条)

第一八条(意思決定への参加権と制度の維持)、第一九条(影響する立法・行政措置に対する合意)、第二〇条(民族としての生存および発展の権利)、第二一条(経済的・社会的条件の改善と特別措置)、第二二条(高齢者、女性、青年、子ども、障害のある人々などへの特別措置)、第二三条(発展の権利の行使)、第二四条(伝統医療と保健の権利)が続く。

 ⑥土地・領域(領土)・資源の権利(第二五条~三二条)

 「先住民族は、自らが伝統的に所有もしくはその他の方法で占有または使用してきた土地、領域、水域および沿岸海域、その他の資源との自らの独特な精神的つながりを維持し、強化する権利を有し、これに関する未来の世代に対するその責任を保持する権利を有する。」(第二五条、土地や領域、資源との精神的つながり)

 第二六条(土地や領域、資源に対する権利)、第二七条(土地や資源、領域に関する権利の承認)、第二八条(土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利)、第二九条(環境に対する権利)と続く。

 さらに、第三〇条(軍事活動の禁止)、第三一条(遺産に対する知的財産権)、第三二条(土地や領域、資源に関する発展の権利と開発プロジェクトへの事前合意)。

⑦自己決定権を行使する権利(第三三条~三七条)

第三三条(アイデンティティと構成員決定の権利)、第三四条(慣習と制度を発展させ維持する権利)、第三五条(共同体に対する個人の責任)、第三六条(国境を越える権利)、第三七条(条約や協定の遵守と尊重)

⑧実施と責任(第三八条~四二条)

第三八条(国家の履行義務と法整備)、第三九条(財政的・技術的援助)、第四〇条(権利侵害に対する救済)、第四一条(国際機関の財政的・技術的援助)、第四二条(宣言の実効性のフォローアップ)。

⑨国際法上の性格(第四三条~四六条)

第四三条(最低基準の原則)、第四四条(男女平等)、第四五条(既存または将来の権利の留保)、第四六条(主権国家の領土保全と政治的統一、国際人権の尊重)と続く。

日本への影響

宣言以後、アイヌ民族をめぐる動きが急速に展開している。

かつて日本政府はアイヌ民族の権利をなかなか認めようとしなかった。かつての「北海道旧土人保護法」は論外だが、アイヌ民族の運動によって前進をめざした「アイヌ文化保護法」も文化に関する法律であって、権利を認めるものではなかった。日本政府はアイヌ民族を先住民族として認めない発言を繰り返した。二〇〇一年の人種差別撤廃委員会でも、「先住民族の国際法上の概念が確立していないからアイヌ民族を先住民族といえるかどうか判断できない」といった逃げの姿勢であった。

人種差別撤廃委員会や、国連人権理事会の人種差別問題特別報告者は、アイヌ民族を先住民族と認めて、権利保障するよう勧告してきた。

頑なな日本政府だったが、最近は大きく様子が変化した。

先住民族権利宣言採択の翌〇八年六月、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を衆参両院が採択した。国会決議によって行政に対して、アイヌの先住民族性の認知を求めたのである。国権の最高機関である国会なのだから「アイヌ民族は先住民族である」と確認・決議すれば足りるのだが、従来の経緯から、行政に認定を「求める」という形になった。ともあれ大きな一歩を踏み出した。これが画期となった。

翌七月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が設置された。三名の委員中、アイヌ民族委員が一名選ばれた。かつてアイヌ文化保護法制定前後の懇談会等にはアイヌ代表が選ばれなかった。大きな変化である。

有識者懇談会は、二〇〇九年七月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書を提出した。

そして、二〇〇九年八月、「アイヌ総合政策室」(旧アイヌ政策推進室)が設置された。

二〇〇九年一二月には、「アイヌ政策推進会議」が設置された。一四名の委員中、アイヌ民族委員は五名である。二〇一〇年一月、推進会議が活動を開始した。

このように先住民族権利宣言が採択されてから僅か三年で日本政府の姿勢は一大転換を遂げた。

こうした経過を、アイヌ民族の権利を求めて活動してきた市民外交センターの上村英明(恵泉女学園大学教授)は、先住民族権利宣言の精神から、そしてその延長に位置づけて評価する。有懇報告書は、「大和民族」史観からの脱却と植民地主義への反省につながるからである。現状と今後の課題を重ね合わせて次のように述べている(二〇一〇年一月三一日、東京・新川区民館における講演より)。

第一に、アイヌ民族の視点からの歴史枠組みの転換である。アイヌ民族に関する歴史を知ること、アイヌ民族の視点から歴史観を転換することである。

第二に、近代史の枠組みの転換である。日本はどうやって近代国家になったのか。こう問うことは、明治政府の責任(植民地化、制度的差別、強制同化政策)を浮かび上がらせる。また、日本はどうやって「民主主義国家」になったのか。ここでは戦後政府の責任(「単一民族国家」幻想)が問われる。基本に立ち返るならば、日本の植民地主義はどうなったかであり、非植民地化プロセスはいかに辿られたのかである。このことは日本政府に問われているだけではない。日本国民に問われている。

第三に、それでは「具体的政策」とは何か。国民の理解の促進(教育・啓発)、広義の文化に関する政策の推進(国連宣言の遵守という視点から)、推進体制の整備(審議会・行政窓口の設置、法制化など)がすすめられるべきである。

 遅ればせながらも、日本政府が転換を遂げた現在、課題は具体的政策の策定と履行であり、社会的差別の是正である。

 なお、先住民族権利宣言の射程は沖縄/琉球にも及ぶはずである。さらなる議論が必要である。