グランサコネ通信2011-02
2月22日
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1)週末
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東京の花粉症と雑務から逃れてきましたが、原稿締め切りは追いかけてくるので、週末は原稿に専念していました。全部仕上げてから来るつもりだったのですが、できなかったため。平和への権利の原稿は、3月の人権理事会でも多少は議論になるはずなので、いいタイミングで予習兼復習です。NGOとしても、宣伝活動をしなくてはなりません。
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グランサコネはただいまコミューンの選挙期間です。あちこちに選挙ポスターが貼られています。それぞれ「リスト」と書かれていて、候補者の写真が掲載されているのが多いですが、写真のないものもあります。選挙制度がどうなっているのか知りませんが、特定候補者への投票ではなく、党派への投票のようです。
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2)人種差別撤廃委員会
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先週、ボリヴィア、キューバ、ウルグアイの政府報告書審査があり、今週はノルウェー、アイルランド、スペイン、セルビアなどの政府報告書審査です。
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ノルウェー報告
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ノルウェー代表団は7人で、女性が5人。進行役は外務省の女性、総括報告も、サーミ人担当省の報告も女性で、ヘイト・クライムの部分だけ検察官の男性が報告していました。傍聴席に若い男女が15人ほどいました。私の隣に座った男性はオスロ大学学生で、なんとNGOではなく、政府の援助でお勉強にきていました。委員会のノルウェー報告書担当はデグート委員。その後、ディアコヌ、ソンベリ、アフトノモフ、リングレン、クイックリー、ピーター委員が質問していました。質問の多くは、サーミ人、ユダヤ人、ロマ、移住者の権利、教育における人権と非差別、社会統合政策(教育、就労、社会保障)、インターネット上の差別に関するもので、ヘイト・クライムにはついでに触れる程度でした。
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ノルウェー報告書(CERD/C/NOR/19-20. 12 August 2010)のヘイト・クライム記述は2つにに分かれています。一つ目は、条約第2条の部分。
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2006年11月22日、警察は、刑事司法において、人種、民族、宗教、性的志向に基づく憎悪や偏見が動機となった犯罪の報告制度を開始しました。犯罪の動機の登録確認については多くの問題があります。報告されない事案もあります。
オスロ警察と警察庁は、2007年に、警察が指定した憎悪を動機とする犯罪を調査するプロジェクトを始めました。プロジェクトは2008年秋に終了し、今は評価段階です。警察庁は、ヘイト・クライムの適切な登録についての実施措置を発表するでしょう。
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もう一つは条約第4条に関する部分です。
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1902年一般刑法135条(a)は、人種主義表現及び人種主義者のシンボル使用に対して刑罰を課していましたが、2003年1月10日及び2005年6月3日に改正され、民族差別からの保護を強化しました。
2005年新刑法は、報告書作成時点ではまだ発効していません。1902年刑法135条(a)と349条(a)に代わって、新刑法185条と186条が規定されています。新刑法185条の前文は、185条が、旧135条(a)の改正であり、人種差別撤廃委員会の関連する指摘に照らして解釈されなければならない、と明示しています。185条第1項第3文は、行為(発言)が、誰かがいる場で行われた場合にのみ、差別的なヘイト・クライムとなるとしています。つまり、発言が公然と行われたことは要件ではありません(従来は公然と行われたことが必要でした)。新規定は、障害を持つ人をヘイト・スピーチや差別から保護することにしました。2005年一般刑法第16章は、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪を罰することにしています。
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ノルウェー法では、裁判所は量刑に際してかなり幅広い裁量権を有しています。しかし、2005年新刑法77条は、刑罰を加重する事由を掲げています。77条(i)によると、犯罪が「他人の宗教、皮膚の色、同性愛志向、障害その他の事由」を背景に持つ場合、裁判所はそれを刑罰加重事由として考慮しなければなりません。もともと加重事由とできましたが、犯罪が人種的動機に基づく場合の刑罰加重がより明確に規定されました。
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2007年12月21日の最高裁決定は、1902年一般刑法135条(a)が、人種主義表現からの保護を定めたものであることを確認しています。事案は、「Verdens Gang」という新聞に掲載されたインタヴューでユダヤ人に対して述べた発言に刑法135条(a)を適用するか否かというものです。公訴事実は、「Vigrid」の指導者が次のように発言したというものです。2003年7月14日に発行された同紙に、被告人は、「Vigridは社会で力をつけて、ユダヤ人を一掃する」などと述べました。さらに、「ユダヤ人こそ主要な敵だ。奴らはわが人民を殺した。奴らは殺人者だ。人間じゃないし、一掃されるべき寄生者なんだ。奴らはわが人民を何万も殺し、我が国の国力を奪った」と述べました。さらに、Vigridはユダヤ人と戦争状態にあり、メンバーは武装訓練中だとし、ユダヤ人や移住者を攻撃するつもりかと問われて、被告人は、「望ましからざる事態がわが人民に起きさえしなければ・・」という趣旨のことを述べた。
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最高裁は、被告人の発言は、明らかにユダヤ人の統合を侵害する行為を鼓舞し支援するものであり、それによって重大な性質を持った違反であると、明確に認定しました。旧刑法135条(a)に示された、ある集団の人間の尊厳への重大な引き下げに当たると判断されました。
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警察庁とオスロ警察は,2009年1月に「ヘイト・クライム--2007年に登録された申立事例」という報告書を出版しました。報告書によると、2007年には、257件の届出がありました。そのうち、人種や民族に関連する動機が209件、宗教に関するものが19件、被害者の性的志向に関するものが29件でした。
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以上がノルウェー報告書の該当部分の概要です。
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以下は余談。1902年刑法の量刑に関する記述は、日本刑法とも関連します。というのも、1908年日本刑法の条文を一目見れば明らかに1902年ノルウェー刑法に似ているからです。
日本の刑法教科書の多くに、「現行日本刑法はドイツ刑法に学んだ」と書いてありましたが、真っ赤な嘘です。当時も今も、ドイツ刑法と日本刑法はぜんぜん似ていません。基本思想が違います。犯罪成立要件の規定方法も、量刑原則も、基本的に違います。当時も今も日本刑法学者がドイツ刑法学に圧倒的に影響を受けて、ドイツ刑法学を学んでいることは事実です。しかし、刑法典には、影響関係はありません。
1908年日本刑法ともっともよく似ているのはノルウェー刑法です。19世紀末から20世紀初頭にかけての新派刑法思想の産物です。ですから、日本刑法でも、裁判官の裁量が著しく広いのです。例えば、刑法199条の殺人罪の法定刑は、死刑、無期もしくは5年以上の懲役、です。以前は3年以上の懲役でした。3年以上の懲役ということは、執行猶予を付すことができました。つまり、殺人罪には、上は死刑から、下は執行猶予で1日も刑務所に入らなくてもすむというところまで、信じがたい広い裁量の幅が設定されているのです。もちろん、長い年月に量刑相場ができあがっていましたから、裁判官個人の自由裁量というわけではないともいえますが、いずれにしても裁判官の裁量権が著しく広かったのです。
フランス革命期の刑法や、「ドイツ刑法の父」フォイエルバハの思想によれば、犯罪と刑罰は明確な対応関係を有することが必要でした。罪刑法定原則の内容には、犯罪なければ刑罰なし、だけではなく、犯罪と刑罰の均衡という重要な内容が含まれています。この観点から厳密に言えば、日本刑法の刑罰規定は罪刑法定原則違反です。しかし、裁判所も刑法学者もこのことには口をつぐんできました。
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3)山口進・宮地ゆう『最高裁の暗闘--少数意見が時代を切り開く』(朝日新書、2011)
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多少時間の余裕があるので、原稿に追われながらも趣味の読書ができます。20代の頃は年間目標1000冊だったのに、最近は忙しくて2日で1冊クリアするのも困難です。薄い新書・文庫本をまとめて読んで何とか帳尻あわせ。
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本書は、この10年間の最高裁判決を素材とした判決形成過程の追跡です。アメリカ法学では判決形成過程論は非常に重要な研究分野です。ところが、日本では、判決形成過程を研究するための十分な資料を研究者が入手することができなかったため、この分野の研究は低調でした。退職後の元裁判官のエッセイなどをみて、えっ、そうだったのか、と知るということも珍しくはありません。本書の筆者は朝日新聞記者です。死刑、在外邦人選挙権、行政訴訟(藤山判決をめぐって)などで動き始めた最高裁について、元判事、調査官その他への取材も通じて、判事の入れ替わり少数意見と多数意見の変遷を分析しています。かつて政治イデオロギー闘争の前面に最高裁が乗り出した時代とは違って、判決における少数意見と多数意見の対立が、それなりに「法律論」にまとまってきたことが、本書の前提です。
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4)蜷川真夫・石川幸憲『ウィキリークス』(アスキー新書、2011)
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「まるで凱旋インタビューのようだ」という一文で始まります。保釈された記者会見のジュリアン・アサンジの写真が、あたかもアサンジとその仲間・弁護士たちによる凱旋インタビューのように配置されているのはなぜかから本書は始まるのです。ウィキリークスとは何か、どのようにして登場してきたのか。ジャーナリストか、テロリストか。アサンジとは何者か。アサンジ逮捕は何を意味するのか。ウィキリークスはメディアの将来に何を生み出したのか。著者は元「アエラ」編集長と、在米ジャーナリスト。とりあえず話題のウィキリークスについて知るのに便利な1冊です。
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5)服部正『アウトサイダー・アート--現代美術が忘れた「芸術」』(光文社新書、2003)
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アウトサイダー・アートとは、必ずしも明確に定義づけされた言葉ではないそうですが、正規の美術教育を受けていない作者による作品、「生の芸術」「加工されていない芸術」、あるいは、「芸術的教養に毒されていない」表現のことです。「障害のある人の作品がアウトサイダー・アートなのではなく、視覚イメージの社会的な操作という網をかいくぐった表現であるアウトサイダー・アートには、結果的に障害のある人の作品が多く含まれる」。本書はヨーロッパと日本のアウトサイダー・アートの簡潔な歴史を踏まえて、今日の代表作を紹介しています。口絵には、フェルディナン・シュヴァルの「理想宮」、冨塚純光の「明るい話 正しい人」、小幡正雄の「結婚式」、坂上チユキ、寺下春枝などの作品。辛淑玉さんの「となりのピカソ」を思い出しました。
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6)伴野準一『全学連と全共闘』(平凡社新書、2010)
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<「革命って何ですか?」 闘争を知らない世代のノンフィクション作家が描く もう一つの「学生運動」>
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オビの宣伝文句の通り、著者は1961年生れです。全学連にしても全共闘にしても、これまで多くは当事者の回顧や、同時代の人による論評が中心でした。資料集や写真集もずいぶん出ました。渦中の人たちの著作や証言はもちろん重要ですが、ひとりよがりなところも目立つのが実際です。逆に、全く語らない人たちもいます。それに対して、本書は、文献と取材に基づいて、対象から距離を一歩置いて検証しながら、同時に、当時の若者の「物語」として、あの時代を切り取っています。砂川闘争、安保闘争、ブント、東大闘争、内ゲバ、そして連合赤軍へ。島成郎、森田実、生田浩二、清水丈夫、唐牛健太郎、黒田寛一、塩川喜信、青木昌彦・・・・よく知られている時代を取り上げているだけに、後から来た世代には書きにくいところでしょうが、著者は、手際よく新書1冊にまとめています。
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ハチのムサシは死んだのさ
真っ赤に燃えてるお日様に
闘い挑んで負けたのさ
焼かれて落ちて死んだのさ
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実は学生運動の若者たちを歌ったセルスターズの「ハチのムサシは死んだのさ」のエピソードは、おもしろいのですが、この部分の文章は、前後とつながりがなく、浮いているのは残念。