Saturday, March 05, 2011

グランサコネ通信2011-06

グランサコネ通信2011-06

3月 3日

1)人権理事会

人権理事会会場前で、「平和のキルト」展が行われています。Peace Quilts, Women's Power and Resilience in Conflict。3月8日には、アメリカ大使のベティ・キング、コロンビア大使のアリシア・オルモスなどが挨拶するようです。実際に準備したのは「キルト・チャレンジ」というグループのようです。国連の建物なので、アメリカやコロンビアが出ていますが。

10年ほど前でしょうか、国際友和会のジョナサン・シソンさんが、スイスのアーティストと協力して、日本軍性奴隷制被害者の「手」と「声」の展示を企画しました。作品は、台湾や韓国では展示されましたが、国連欧州本部では実現しませんでした。有力政府の後押しがないと、会場を借りることができません。まして、人権理事会開催中にその入り口のすぐ前で展示をするのは、とても難しいことです。

2005年だったでしょうか(時期を正確には覚えていませんが)、「日本財団」が、当時の国連人権委員会の入り口前でハンセン氏病の写真展示をしたことがあります。人権委員会で発言して、日本以外の世界のハンセン氏病の問題を訴えていました。その後、ぜんぜん来てません。当時から、私は、「ハンセン氏病熊本地裁判決を受け入れざるを得なかったので、日本政府もハンセン氏病問題に取り組んでいますというパフォーマンスに走ったにすぎない」と言っていましたが、その通り、最近はぜんぜん来ていません(それでも、あの時、判決を受け入れた小泉首相の決断を私は評価しています。日本政府、厚生労働省の官僚がひどかった)。

問題は、それまでまったく知らぬふりをしていた日本政府・官僚が、突如として、わざわざ国連人権委員会で「日本政府がいかにハンセン氏病に取り組んでいるか」と大宣伝を行い、やはり突如としてその時だけ「日本財団」がやってきてパフォーマンスをしたことです。「日本財団」の人たちがそれぞれ各地で真摯に努力をしているであろうことは疑いませんが、あのときのパフォーマンスは何だったのと言いたい。しかも笑ったのは、人権理事会諮問委員会のルワンダ人の委員が、公式発言で次のような趣旨の発言をしたのです。

「今回、私は諮問委員に選ばれたので、ジュネーヴに来る前に、ルワンダで準備をした。ハンセン氏病問題を取り上げるというので、ルワンダで数十年にわたって世界保健機関WHOと協力してきた医師に聞いてみたところ、彼は驚いていた。ルワンダではハンセン氏病はすでに長いこと発症例がない。先進国の日本にはまだハンセン氏病があるのか、と言っていた。私は、ジュネーヴに来て、日本政府が本当にハンセン氏病のことを取り上げているので不思議に思った」。

これに大笑いしていたのは、私だけでしょう(本当に泣きたくなります)。日本政府の若手外務官僚たちはどんな思いで聴いていたのやら。

話を元に戻すと、国連の建物で展覧会・展示をするためにはそれなりの手続きが必要です。有力な国連関係者か、有力な政府の援助がないと難しい。日本軍性奴隷制の関連の展示を今からでもできないものか。

2月28日から国連人権理事会第16会期がパレ・デ・ナシオンで始まりました。4週間の会期です。直前、2月25日にリビア問題の特別緊急の会期が開催されたことは日本でも報道されたことと思います。28日から3月2日はハイ・レベル・セグメントといって、各国の大臣や大使たちの演説大会です。トップバッターはコロンビア副大統領、続いてロシア外務大臣、オーストラリア、モルディヴ、スペイン、メキシコの外務大臣と続き、ヒラリー・クリントン米国務長官を含め約30カ国の外務大臣らが演説。女性は6人しかいませんが、米、仏、EUは女性でしたので結構活躍。ハイ・レベル・セグメントは外交のご挨拶なので、人権の促進という観点ではあまり目新しいことは出ません。もっとも、今回はチュニジア、エジプト、リビアの事態もあって、それなりに緊張していましたが。具体的な議題に入るのは3日からです。

スペイン国際人権法協会のダヴィド・フェルナンデス・プヤナ氏と会って、平和への権利国際キャンペーンの一環としての日本訪問、東京・名古屋・大阪でのシンポジウムについて相談しました。

3月1日もハイ・レベル・セグメントで、約30カ国の外務大臣などの演説。チェコとカザフスタンだけ少し聞きました。やはりリビア問題。日本政府は山花郁夫外務副大臣(?)。山花親子は八王子、つまり私の地元。親、つまり一代目は優秀で猛烈な努力家だったけど、子、つまり二代目については言及する必要もなし。それでも外務副大臣になってしまう。

スイスに来ている間に、前原外務大臣は政治資金疑惑が出ているとか。無能なだけではなく、汚い大臣だったのね。少しくらい汚くても、有能だったらいいのに(笑)。それにしても、たかが数十万の政治資金報告の不備で騒ぐのってどうかしています。そんなことより、政治家として全く無能でデタラメやってきたことを批判するべきなのに(それで何十億円と損失が出ているかも)、日本の政治学者、政治評論家、メディアはそうはなりません。政策批判がなく、不祥事の足の引っ張り合いしかできないのは情けない。前原みたいな無能な政治家はお蔵入りにして、外務大臣は清志郎クンにしよう!

去年会ったイラン女性と再会。「原理主義に反対し女性の平等を求める女性国際連盟」のソラヤさん。イランの抑圧と女性の状況について、写真や資料をたくさん見せてもらいました。政治的反対者やクルド人は弾圧されていて、逮捕・拷問され、時々殺されている。兄弟や友人も殺されたそうです。日本のグループにも連絡を取りたいというので、アジアの女性の人権に関わっている女性グループのことを話しておきました。

かなり贅沢に、IMPERIAL, Reserve 2004, Rioja. 

平和への権利国連宣言運動はスペインの法律家が頑張っているので(関係ないか)。

2)アルメニア報告書

パレ・ウィルソンで開催中の人種差別撤廃委員会第78会期は第3週目に入りました。最後の週です。アルメニア政府報告書審査ですが、政府代表は7名、傍聴したNGOは僅か3名でした。開会直前に、アルメニア政府の若いスタッフが、周囲をぐるっとまわりながら私を見ていました。いったい何者だろう、と思ったのでしょう。私は作務衣を着ているので目立つし、結構怪しいかも(笑)。アルメニアといえば、なんといっても20世紀最初のジェノサイドの地ですし、映画「アララトの聖母」も見ましたし、ソ連邦からの分離独立後はアゼルバイジャンとの紛争で虐殺事件を惹き起こしていますので、関心があります。一度行ってみたい。

審査では、やはりアゼルバイジャンのことが取り上げられていました。アルメニア政府は、89年の紛争後にアゼルバイジャン人はみなアゼルバイジャンに逃げたので、今はアルメニアにはアゼルバイジャン人はほとんどいない。アルメニア人と結婚したり、その子どもがいるくらいであるが、統計はない、と答えていました。報告書では、アルメニアのマイノリティは、イェジディ人、ロシア人、アッシリア人、ギリシア人、ウクライナ人、クルド人ということです。ところが、ディアコヌ委員は、何度も質問していました。89年の紛争後にみな逃げたというが、1995年の報告書には数万人いると出ているし、2000年のアルメニア政府報告書にもアゼルバイジャン人がいると出ている。話が合わないとくいついていました。この点は、アルメニア政府報告書に、2002~08年にアルメニアではヘイト・クライムは一件も起きていないと書いてあることと関連します。

第5・6回アルメニア政府報告書(CERD/C/ARM/5-6. 20 July 2010)によると、憲法14条が差別を禁止しています。1項「何人も法の前に平等である」。2項「ジェンダー、人種、皮膚の色、民族的又は社会的出身、言語、宗教、外見、政治その他の見解、マイノリティ集団構成員であること、財産状態、出生、障害、年齢、又はその他の人格的自然的性質の条件に基づく差別は禁止される」。一番初めにジェンダーが出てくるのは非常に珍しいと思います。初めて見ました。市民権法第3条では、国籍、人種、ジェンダー、言語、宗教、政治その他の見解、社会的出身、財産その他の状態、が列挙されています。まとまった人種差別禁止法はありません。テレビ・ラジオ法、刑事訴訟法、労働法など、個別の法律には多くの差別禁止規定があります。

2003年8月1日の刑法は、条約第4条に直接関連する規定をもっています。刑法第226条1項によると、国民的、人種的又は宗教的憎悪や敵意の教唆、人種的優越性の表明、又は国民の尊厳の引き下げは犯罪であり、最低賃金の二百から五百倍の罰金、又は二年以下の矯正労働、又は二年以上四年以下の刑事施設収容を課す、としています。刑法第226条2項は、刑罰加重事由として、同様の行為を公然と行うこと、マスメディアを利用すること、暴力又は暴力の威嚇を行うこと、権力を濫用することについて、三年以上六年以下の刑事施設収容としています。刑法第63条は、国民的、人種的、又は宗教的憎悪、宗教的狂信で犯罪を行なうことを刑罰加重事由としています。

刑法第392条は、人道に対する罪に当るような犯罪を、七年以上~五年以下、又は終身の刑事施設収容としています。

人種差別団体規制は刑法にはありません。憲法第28条は結社の自由を定めていますが、憲法第47条2項は、憲法秩序の転覆、国民的、人種的又は宗教的憎悪、暴力や戦争の宣伝のために権利や自由を行使することは禁止する、としています。

2001年12月4日のNGO法は、人種的敵意を教唆することを目的とした組織について、政府は裁判所に其の解散を提起することができるとしています。

アルメニア政府によると、ヘイト・クライムは起きていないということです。しかし、ディアコヌ委員は、入手した情報によると、そうした行為が報告されていると述べていました。

以上、アルメニアには包括的な人種差別禁止法がありません。ヘイト・クライム法は刑法第226条がありますが、(事件がないため)適用されていません。

3)モルドヴァ報告書

モルドヴァ政府は4人、傍聴したNGOは9人。政府報告の初めの方で、大臣秘書官の女性が、モルドヴァには近年、ヘイト・クライムはないし、ヘイトを目的とするような政党や団体もないと述べていました。

第8~9回モルドヴァ報告書(CERD/C/MDA/8-9. 7 July 2010)を見て最初に不思議に思ったのは、前回報告書(CERD/C/MDA/7)審査が2008年だったことです。今回報告書の提出が随分早かったので、委員たちも歓迎していました。古くからいる委員は、自分の任期中にモルドヴァ報告書は3回目だ、と驚きさえ表明。アミール委員は、前回は自分がモルドヴァ担当だったが、また報告を聞けるとは思っていなかった。ダー委員も、前回の時は私が議長だったのでよく覚えている。ICERDには、2年ごとに報告書を提出することになっていますが、締約国が多いため、実際にそんなに審査できません。たいていの国は4年に1回提出しています。今回のモルドヴァ報告書が第8~9回というのも、2回分をまとめて出したということです。日本政府はどうかというと、第1~2回が2001年に審査、第3~4回が2010年に審査です。間があきすぎです。

憲法第16条2項は、市民は、人種、国籍、民族的出身、言語、宗教、ジェンダー、政治的関係、個人財産又は社会的出身に関して差別なく、法と公当局の前に平等である、としています。

モルドヴァには包括的な人種差別禁止法がありません。個別の法律(政党法、結社法、ラジオ・テレビ法、その他多数)には人種差別禁止規定がたくさんあります。2008年1月21日の政府決定により、現在、包括的な人種差別禁止法の草案がつくられていますが、まだ成立していません。法案は国際基準に合致したもので、直接差別、間接差別、抑圧、差別の教唆、是正措置などを定めています。主な内容は次のようなものです。

・労働市場における、個人や集団の区別や優先の禁止(雇用条件、雇用拒否、同一労働同一賃金、ハラスメント)。

・教育、健康、社会的保護の領域における差別の形態の規定。

・人権促進、差別からの保護のための議会の役割。

・責任ある政府委員会の設置。

・差別からの保護の政策策定。

・差別からの保護を強化するための法改正。

・中央政府及び地方政府の監督権限。

・差別撤廃への市民社会の関与。

・被害者の特別の保護。

刑法改正も現在進行中です。2007年12月24日に政府が草案を作成し、現在議会に継続しています。

2003年2月21日の法改正で、公的機関、宗教団体、メディア企業、その他の組織又は個人が、以下の行為を計画、組織、運日、実行すれば犯罪となります。

・暴力によって又は暴力を呼びかけて、人種的、民族的、宗教的憎悪又は敵意を教唆すること。

・民族集団を貶めること。

・イデオロギー的、政治的、人種的、国民的、宗教的又は社会的憎悪又は敵意からフーリガニズム又は野蛮行為に出るようそそのかすこと。

・宗教的関係、人種、国籍、民族的出身、言語、ジェンダー、見解、政治的関係、健康又は社会的出身に基づいて市民の排除、優越性、又は劣等性を主張すること。

報告書作成時点で、検察が取り扱った人種差別事件はないとのことです。

刑法改正案の新規定176条は、個人、集団、コミュニティに対して、合理的客観的正当化根拠なしに、区別、排除、制限又は優先を行うことを犯罪としています。性的志向に基づく差別も犯罪です。

4)菊地俊彦『オホーツクの古代史』(平凡社新書、2009年)

「北海道以北に存在した、誰も知らない古代文化。縄文でも、弥生でもない、知られざる北方諸民族の実像に迫る!」

カムチャッカ半島、サハリン、クリル諸島(千島)、アイヌモシリ(北海道)に囲まれたオホーツク海は、日本史では切り捨てられていますが、ここには独自のオホーツク文化がありました。中国の文献には、流鬼国や夜叉国が記録されていて、それらがいったいどこにあったのか、どの民族なのか、論争も続いてきました。一般には殆ど知られていません。札幌出身の私も、モヨロ遺跡、流鬼、夜叉の名前しか知りませんでした。流鬼国がどこにあったのか、何民族であったのか、諸説あったそうです。 特にカムチャッカ半島か、サハリンか。

文献資料に加えて、各地の遺跡発掘など考古学(日本、ロシア、中国)も総動員しての著者の結論は、流鬼はサハリンのニブフ(ギリヤーク)でオホーツク文化(サハリン、北海道東北部沿岸、クリル)ということです。ニブフは大陸のアムール川河口・下流付近から間宮海峡をわたってサハリンに定住するようになった人々です。モヨロだけではなく、礼文、宗谷、知床、根室、国後、択捉に多数の遺跡があるそうです。流鬼の南側には骨がい(コツガイ)がいて、流鬼の要請で元のフビライが7回にわたってサハリンに征討軍を派遣したということですが、このコツガイがアイヌ民族だそうです。他方、流鬼国から北へ一ヶ月ほどのところに夜叉国があったという中国文献記述に関しては、オホーツク海北側沿岸部に居住したコリャーク民族としています。

ようやく環オホーツク海の古代文化について語ることができるようになったが、まだ不明の部分も多いようです。オビには「北方諸民族の実像に迫る」とありますが、ユカギール民族、コリャーク民族、イテメリン民族、チュクチ民族、アリュート民族、ニブフ民族の言語、宗教、風習、生活などの「実像」はまだ見えてきません。新書のせいか、本書だけでは説明が不十分で、私には疑問も残るところもあります。13世紀に、フビライが7回もサハリンにアイヌ征討軍を派遣し、元とアイヌの間にサハリン大戦争があったのです。しかも、アイヌがサハリンで戦っただけではなく、間宮海峡を渡って大陸(今のロシア領アムール川河口付近になります)にも出征して戦ったことになっています。その記録・記憶が双方に残っていないとおかしいです。しかし、本書に、アイヌ側の伝承は一つも引用・紹介されていません。

5)粟野仁雄『検察に、殺される』(ベスト新書、2010年)

大阪地検特捜部事件を中心に、検察崩壊の実態をまとめた1冊です。FD改竄事件の朝日新聞スクープが昨年9月21日、本書の奥付は11月25日です。著者は、元共同通信記者でフリージャーナリスト。これまでも冤罪の取材をしてきたので、村木厚子さんの刑事裁判の傍聴を続けていたから、これだけ素早く本を出せたのです。「現場主義」を自認してきたとのことですが、さすがに検察については直接取材できないことも多いため、新聞記事を再整理していますが、元検事(土本武司、三井環、郷原信郎)への取材で補強しています。

検察がとんでもない犯罪集団であることを、私たち救援連絡センターは40年にわたって指摘し批判してきましたが、司法界はずっと世間を欺いてきました。裁判所は検察の犯罪を隠蔽・擁護することに協力してきました。マスコミも協力して来ました。今回は大阪地裁と朝日新聞が見事な役割を果し、著者のようなフリージャーナリストもいい仕事をしています。でも、逮捕された前田、大坪、佐賀を非難して事足れリとする向きもあります。著者は、検察上層部の責任追及の必要性を主張しています。その通りです。検事総長以下最高検の失態ですし、本件に限らず、彼らは他にも常習犯なのですから。

思えば、1993年のゼネコン事件で東京地検特捜部に応援に行った検察官による暴行事件が発覚した時も、末端の検事一人を切り捨ててごまかしました。この拷問検事は、ほとぼりがさめるや、なんと弁護士になりました。弁護士会が弁護士登録を認めてしまったのです。当時、これを批判したのは私だけでした。弁護士もマスコミも沈黙。黙っていると、将来、前田、大坪、佐賀も弁護士になるかもしれません。

(大学の先輩や、研究会で一緒だった検察の先輩が犯罪・不祥事で逮捕されています。大学院時代に「権力犯罪」を研究テーマにしていたためにパージされ、いじめられていた私には、楽しくてたまらないこの頃です。拘置所に面会に行きたいくらい(笑)。)