Wednesday, March 23, 2011

グランサコネ通信2011-13

グランサコネ通信2011-13

3月17日

先週末はベルンのパウル・クレー・センターに行ってきました。2005年にセンターができて以来、年に2回は通っています。今春は「パウル・クレーとフランツ・マルク展」が開催されていました。画家として出立しようとしていた時期にひじょうに親しく、影響を与え合った2人です。クレーからマルクへのはがき、マルク夫人からクレー夫人へのはがきなどから、2人の作品まで、見ごたえのある展示です。昨夏の「クレーとピカソ展」ほど大々的でないのは、マルクが1916年に若くして亡くなったため、作品数が少ないため。

1)14日の人権理事会

14日は、議題4の朝鮮、ミャンマー、コートジボアール、リビアの人権状況をめぐる議論が中心でした。その前に議題3の残りが行われ、一番最後に発言したのがスペイン国際人権法協会のダヴィド・フェルナンデス・プヤナ氏でした。テーマは人民の平和への権利です。世界の903のNGOの協力を得ていること、2010年12月にサンティアゴ・デ・コンポステラで平和会議を行いサンティアゴ宣言をまとめたこと、2011年1月の人権理事会諮問委員会で議論が行われ平和への宣言草案づくりが始まったことなどを確認した上で、平和への権利は個人的権利であるとともに集団的次元があること、平和への権利は生命権や自由権の基礎であること、平和の教育が重要であることなどを強調しました。

今回平和への権利での発言は、国際人権活動日本委員会とスペイン国際人権法協会の2つだけでした。昨年8月の諮問委員会では5つの発言がありました。しかし、毎回みんながジュネーヴにやってくるというわけにはいきません。

15日の人権理事会では、ゲイ・マクドウーガル「少数者の権利についての特別報告者」の6回目、最後の報告書をめぐる議論、続いて社会フォーラム、少数者フォーラム、人権教育などの報告書の紹介と議論がありました。

ボリビア政府の発言の際に、エボ・モラレス大統領の文書が配布されました。一つは「自然、森、先住民族は売り物ではない」という文書、もう一つは「母なる地球の権利の世界宣言草案」というものです。日付は付されていません。今回の人権理事会のために作成されたわけではないのかもしれませんが、ともかくボリビア政府提案として、2つの文書が配布されました。「母なる地球は生命体である」「母なる地球はかけがえのない、分割できないコミュニティである」「すべての生命は、母なる地球の一部として、その関係性によって規定される」といった条文が列挙されています。

16日の人権理事会は普遍的定期審査UPRでした。対象は、リベリア、マラウィ、モンゴル、パナマ、モルディヴ、アンドラです。

パナマ、モルディヴ、アンドラは軍隊のない国家ですが、審議においてそのことは話題になりません。審議している各国には軍隊がありますから、わざわざ軍隊がないことについて発言などしません。

事前に作業部会が行われ、6カ国それぞれの審議で、トロイカと呼ばれる担当国やその他の諸国による質問や問題点の指摘、そして最後に勧告がなされ、その報告書を受けて、16日の審議です。基本的にはリベリア以下の6カ国が、勧告を受け入れるか、拒否するかを表明していき、関連発言としてNGOも若干発言しています。

2008年6月でしたか、日本政府がUPRで取り上げられた時に、トロイカやその他の各国からの勧告に注目しましたが、その後は、日本の審査ではないためきちんと見ていませんでした。しかし、今頃になって重要なことに気づきました。日本がどのように審査され、どのような勧告を受けたかももちろん重要ですが、それに加えて、しっかりチェックしなければならないことは、日本政府が他の各国の人権状況についてどのような発言をしたか、何を勧告したかです。この点をチェックする態勢を組む必要があります。誰かこうした観点でウオッチしてきた人がいればいいのですが。

今回の6カ国についてみると、作業部会段階で日本政府の勧告はたった1つです。モンゴルに対して、子どもを性的搾取からの保護が適切にできていないのでできる限り必要な措置を取るように勧告しています。非常に少ない。つまり、日本は他国の人権状況の審査に加わってもほとんど沈黙しているのです。自国で人権状況を改善する努力をきちんとしていない国家は、他国の人権について口を出せないからです。

モンゴルに対しては、全部で118の勧告が出ています。フランスは強制失踪条約を批准するように勧告。メキシコは拷問等禁止条約を批准するように勧告。ニュージーランドは拷問等禁止条約選択議定書を批准するように勧告。モンゴルに対して勧告を出した国家の名前だけ列挙すると、他にスペイン、アルゼンチン、イタリア、ブラジル、スウェーデン、ポルトガル、オーストラリア、カナダ、スロヴァキア、スイス、マレーシア、ハンガリー、イギリス、ガーナ、オランダ、インドネシア、ポーランド、イラン、アルジェリア、中国、韓国、ノルウイェー、カザフスタン、スロヴェニア、アメリカ、ウクライナ、キューバ、ドイツ、アゼルバイジャン、チェコ、バングラデシュ、パキスタン、トルコと続きます。このうち1つしか勧告を出していないのはトルコと日本だけです。ノルウェーは12の勧告。カナダは8つの勧告。

6カ国それぞれに100以上の勧告。つまり600以上の勧告。そのうち日本が出したのはたった1つ。自分がちゃんとしていないと他国に勧告を出せません。そのことが実に明瞭に表れています。

過去の例もチェックしてみる必要があります。

La Nomade, Geneve, 2009.

2)宮下誠『越境する天使 パウル・クレー』(春秋社、2009年)

ジュネーヴ-ベルンの往復の車中で読みました。著者の絶筆です。『逸脱する絵画』『迷走する音楽』『ゲルニカ』『カラヤンがクラシックを殺した』の著者で、国学院大学教授でしたが、47歳で亡くなった著者のクレー研究。読むのは2度目です。表紙は「新しい天使」--これはあのベンヤミンの有名な言葉によって「歴史の天使」とも呼ばれています--ベンヤミンの解釈が秀逸であるにしても、クレー自身の作品世界の中で読み解くべきことはいうまでもありません。

「此岸でわたしを捕まえることはできない。

わたしは好んで死者たちと、

未だ生まれざるものとの領域に住みついているから。

創造の核心に近づいているような気もするが、

まだまだだ。

わたしからは暖かさが放出されているのか? クールなのか??

彼岸ではいかなるものも問題にはならない。遥か彼方でこそ

わたしは最も敬虔になれる。此岸ではわたしはおうおう

底意地の悪いものとなる。ことは微妙なのだ。

宗教家たちの敬虔さでは全くもっと不十分。

律法学者の説教にはいらだつばかりだ。」

           --パウル・クレー

子どもっぽい絵を描く、誰にも人気のクレーという一般的理解は完全に間違いであり、クレーは、欺き、隠蔽し、迂回し、先回りし、闘いつづけた「底意地の悪い」画家です。

「世界の悪意に対して命懸けで抵抗し、一歩間違えれば奈落の底に真っ逆さまに落ちてゆくような、危険に満ちた世界の遥か上方に掛かった、細く、今にも切れそうで、撓んでもいる一本の、蜘蛛の糸のようなロープの上を、絶妙のバランスを採りながら、細心の注意で一歩ずつ、ゆっくりと進んでゆく、画家自身が好んで描いた綱渡り師のような足捌きで彼は20世紀前半を生き抜いた。」

3)高澤秀次『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(平凡社新書、2010年)

大逆事件と韓国併合が、日本文学にいかなる影響を与えたのかというテーマを、佐藤春夫、与謝野鉄幹、夏目漱石、永井荷風、谷崎潤一郎、小林勝、中上健次、金時鐘、梁石日、三島由紀夫、大江健三郎などに即して検討しています。石川啄木が取り上げられていないのは、これまで大逆事件と文学というと啄木が注目されてきたので、あえて他の作家を中心にしています。大逆事件と啄木というテーマがそれほど深められてきたとは私には思えませんが(だから私は「非国民がやってきた!」で今も啄木を取り上げ続けています)。

それはともかく、本書の特徴は、日本文学を語る際に、植民地文学や在日文学を除外せず、正面から取り上げていることです。第4章の「植民地と<日本人>」というテーマでは小林勝の植民地の記憶をめぐる小説に着目しています。第5章では「大逆事件と被差別部落」、第7章「戦後に<在日>する根拠とは何か」、そして第8章「北海道という「植民地」の発見」をそれぞれ論じています。これまでに書かれた膨大な文学論が、日本、日本人、東京中心の「自覚なき植民者」の文学論であったのに対して、高澤は、植民地、在日、被差別部落、北海道に焦点を当てています。このことだけでも大いに高く評価できます。沖縄や台湾や南方の植民地は取り上げられていませんが、1冊の新書では限界があるためやむをえません。

「植民地」北海道の取り上げ方も納得できるものです。もっとも、内容を論じているのは三島由紀夫の「夏子の冒険」と村上春樹の「羊をめぐる冒険」だけです。他には、国木田独歩「空知川の岸辺」、有島武郎「カインの末裔」、本庄睦男「石狩川」、船山馨「石狩平野」、原田康子「挽歌」「海霧」、池澤夏樹「静かな大地」などの名前があがっているだけです。北方文学の系譜をおさえていません。そこまで期待するのは過大な要求でしょうか。また、小林多喜二の位置づけも不明ですし、戦後の、北海道出身で北海道を舞台にした作品を数多く発表した夏堀正元の作品群、特に「渦の真空」を取り上げないのはどうかと思いますが。