Thursday, May 22, 2014

ポスト・フクシマの思想を紡ぐ

徐京植・高橋哲哉・韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(平凡社、2014年)                                                同時代に向き合って問い直すべき問いを問い続け、語るべき言葉を語り直しながら、思想の最前線を駆けてきた在日の作家、日本人哲学者、そして韓国の歴史家3人による5つの鼎談である。副題「日韓の原発・基地・歴史を歩く」の通り、福島、ハプチョンとソウル、東京、済州島とソウル、最後に沖縄で、原発や基地や東アジアの国家と民衆の歴史を語りあう。日本に関わる部分は知っていることばかりだし、済州島の4・3事件やカンジョンマルのことも比較的よく知っているが、何を、どのように、知っていたのか、自らどのように考えていたのかと、振り返る手掛かりをいくつも与えてくれる。読書と思索の愉しみとは、こういう本に巡り合えた時の心境である。つまらないとわかっていても読まなくてはならない本に時間を奪われることの多い最近、こういう本に出会えると、まさに砂漠でオアシスだ。                                                                           国家と民衆の衝突と分裂のさなかに失われ、引き裂かれ、辱められ、忘れられる命と心の軋みと轟く轟音を、いかにして言葉に表現するのか。しかも国家と民衆は単純に2項対立の存在ではない。国家の側に立つ民衆が、自らの中に「敵」を見出し、狩り出していく現実を前に、何度も何度も言葉を失いかけてきた、その経験と記憶にさいなまれながらも、それでも歴史をさかのぼり、言葉を紡ぎ直す志が、ここにある。3人の著者のうち2人は知り合いだ。ちょっと嬉しい。                                                                                              本書の実現のためには優れた訳者が不可欠だが、3人の訳者のうち2人は知り合いだ。ちょっと、ではなく、とても嬉しい。一読者として、6人の著訳者と担当編集者に感謝したい。