藤井正希「ヘイトスピーチの憲法的研究――ヘイトスピーチの規制可能性について」『群馬大学社会情報学部研究論集』23巻(2016年)
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藤井は、ヘイトスピーチ規制の必要性について、まず「社会的害悪」を取りあげ、人格権の観点と民主主義の観点を提示する。
人格権の観点では次のように述べている。
「集団を傷つける言論が特定の個人を傷つける言論よりも常に侵害性が乏しいとは決して言えないであろう。この点、ヘイト・スピーチが、個人の尊厳を侵害するとともに、法の下の平等の要請に反し、犠牲者に身体的、精神的、経済的害悪を現実に与えている以上、国家がこれを放置することは、憲法13条・14条に通底する人格権の理念からして決して許されないのである。」
憲法学者の中にはヘイト・スピーチの被害に言及しない例や、言及しても被害は大きくないと断定する例がみられるが、藤井はそうではないと指摘する。金尚均をはじめとする規制積極派が唱えてきたことと同じ主張である。身体的害悪、精神的害悪のみではなく、経済的害悪にも言及しているのは、珍しい。私と同じ見解である。
民主主義の観点では次のように述べている。
「不特定多数人によるヘイト・スピーチの圧力により、それが向けられた人びとのみならず周囲の人びとも、沈黙を強いられ、あるいは功利的に沈黙を選択し、口を閉ざす。とりわけリスクの伴う政治的主張を対外的に行うことは禁忌するようになる。やがて社会の中から気楽にものが言える雰囲気が消滅し、自由な意見交換、とりわけ政治的な意見交換が行われなくなってしまう。これは、民主主義が健全に機能するために必要不可欠な“思想の自由市場”が市民社会の中から消失することを意味する。この点においても、ヘイト・スピーチは民主主義にとって脅威となるのである。」
ヘイト・スピーチを民主主義の観点で規制することを唱えてきたのは金尚均である。藤井は金の論文を引用し、自らの見解を明らかにしている。私も「民主主義とレイシズムは両立しないから、民主主義を守るためにはヘイト・スピーチを規制する必要がある」と言う見解である。
規制消極派は、思想の自由市場論を持ち出してヘイト・スピーチ規制を否定してきた。ところが、藤井は思想の自由市場論の別の側面を提示して、ヘイト・スピーチ規制の必要性につなげている。私は思想の自由市場論を採用しないので議論の仕方は異なるが、藤井説のような組み立てもあるので、再考してみよう。
藤井は、日本における立法動向として人種差別撤廃施策法案を検討し、判例を一瞥し、諸外国の立法例としてアメリカ、カナダ、ドイツ等を見たうえで、憲法学の検討に入る。
第1に、対抗言論の法理と沈黙効果論について、「新大久保等で現実に行われているヘイト・スピーチ・デモをネット動画等で観るにつけ、この場合は対抗言論の法理が機能しないケースである」とする。そして、「被害者が存在し、現実的被害が生じている以上、それを無視することは決して許されないであろう」と言う。
第2に、表現の自由論である。「表現の自由に対する法規制を“敵視”してきたのが、戦後の憲法学と言える」とし、渋谷秀樹や奥平康弘の見解を検討し、これに対する前田朗の批判を紹介したうえで、「何らかの法規制をすべきと考えざるをえない」としつつ、表現の自由に対する委縮的効果も考慮して、「さしあたり刑罰規定の導入は見送り、行政上の措置にとどめるべきである」と言う。
第3に、保護法益論である。集団の名誉は保護法益にならないとする毛利透の見解を検討し、被害を単なる不安感ととらえるのではなく、「社会参加の機会」を考慮すべきとし、保護法益を論じている。
結論として、藤井は次の3点から「早急に法的な規制を行うべきである」とまとめる。
第1に、「通常の判断能力を有する一般人が実際に日本で行われている極端なヘイト・スピーチを見れば、人間の存在自体を全否定する言動に対して、不快感や嫌悪感にとどまらず、衝撃や恐怖を感じざるを得ないと考えるからである。」
第2に、「ヘイト・スピーチ規制はもはやグローバル・スタンダードで国際常識であるからである。」
第3に、「凄惨なジェノサイドや著しい人権侵害は、ヘイト・スピーチや民族排外意識から発生することが多いからである。」
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藤井論文の存在は昨年暮れには知っていたが、読むのが遅くなった。ヘイト・スピーチ規制の憲法論を展開している点で重要である。私の著書では憲法学への外在的批判をするにとどまっていたが、その後、内在的批判を始めた。藤井は憲法学への内在的批判を通じて行政規制を基礎づけている。刑事規制については「さしあたり刑罰規定の導入は見送り」としているように、刑事規制そのものを否定しているわけではない。
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藤井は新大久保や川崎などのヘイト・デモを実際には見たことがないようであり、「ネット動画等で観るにつけ」と書いている。規制消極論の憲法学者の論文では、被害に言及しなかったり、現実から目をそらした議論をしている例が少なくない。現場の実態を知ることが必要だが、現場に行かなくても、ともかくネット動画を見ればそのひどさがわかり、放置できないというまともな判断ができると言えよう。
ヘイト被害の実態調査は、政府レベルでは昨年始まったばかりである。NGOによる調査はすでにいくつも公表されている。人種・民族差別の実態を総合的に明らかにする調査・研究の重要性がますます高まっている。