Friday, December 28, 2018

2018年の泣き納め


おくればせながら『ボヘミアン・ラプソディー』を観た。

レマン湖畔のモントレーの湖岸にフレディ・マーキュリーの像が建っている。駅で下車すると、地下通路を通ってメインストリートを横切ると、すぐ目の前が湖岸だ。斜面をゆっくり降りると、いつもミニ・コンサートが開かれているステージ横を抜け、フレディ像の前に出る。モントレーに行くたびに、フレディを思い起こし、クイーンの楽曲を口ずさんできた。

クイーンが颯爽と登場して日本で売れたのは学生時代だった。70年代ブリティッシュロック、特にプログレ・ファンだったので、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンのコンサートに行った。キャラバン、ジェネシス、ムーディ・ブルースのアルバムもそろえていた。クイーンもその周囲にいたバンドで、しかもとびきりよく売れていた。もっとも、来日コンサートには行っていない。たぶんベイシティ・ローラーズが大流行していたので、当初、クイーンもその類似バンドの印象があったからだろう。でも、実力派バンドに変貌していった。Killer Queenキラー・クイーンからチャンピオンWe are the Championsまで、どれも懐かしの名曲だ。

映画『ボヘミアン・ラプソディー』、行こうと思いつつ、多忙のためなかなか観ることができなかったが、ようやく吉祥寺オデオンで観ることができた。なんと言っても、全編、クイーンだ。単なる懐かしさを越えて、心にしみいる。そして4人の俳優が見事にクイーンを演じていた。まるで本物のよう、なのは当たり前だが、それにしても素晴らしい。

劇場には、60前後の年配者とおぼしき客が半分を占めていたが、20~30代の若い客も結構目立った。単に懐メロのヒット映画ではなく、フレディの生き様が若者の圧倒的な支持を得ているという。ニュースでも紹介されていた。

と、そんなことを考えるよりも、同時代を生きたファンの一人として、途中から涙の観劇、映画鑑賞だった。次回はモントレーでSomebody to loveを歌うことにしよう。

Thursday, December 27, 2018

日本国憲法のレイシズムを問う


暉峻僚三「憲法理念からのネイション意識の再構築」『平和研究』第50号(日本平和学会、2018年)


暉峻は「憲法の理念とレイシズムの現状」について「現行憲法の内包するレイシズムとの親和性」を語る。

第1に、天皇制である。1946年の「人間宣言」の解読を通じて「天皇制そののもがレイシズムと親和性を持っている」と指摘する。

第2に、「国民」である。国会前で首相退陣を求めるシュプレヒコールが「国民なめるな」であることに注意を喚起し、護憲運動も「国民」以外の存在を排除していないかを問う。

以上の2点に加えて、さらに重要なのは「レイシズムに寛容な社会」である。一例として、石原慎太郎・元都知事が、レイシズムに基づいて差別発言を繰り返したにもかかわらず、毎回の選挙で圧倒的に勝利したことは、有権者がレイシズムに寛容であることを確認する。

暉峻は次のように述べる。

「想像上の血統に繋がりを求めるエスノセントリズムが、しっかりと日本社会に根づいているのに比べると、民主主義社会の主役としての日本の市民意識=ネイションの意識は、レイシズムを放置する現状を鑑みて、根づいているとは到底いえないだろう。」

「個の最大限の尊重をベースとし、人権、民主主義、平和主義という理念を共有する、日本の領域に暮らす人民という『我々意識』が社会に定着すれば、レイシズムに限らず、現在日本社会の平和を脅かしている様々な問題と決別するための土台を築くことにもなる。例えば、ヘイトスピーチなどの憎悪扇動・表現は、個を最大限に尊重するネイション意識とは相容れないし、沖縄の基地問題や原発も、領域に暮らす個々が同じように最大限、個として尊重されてこその『我々』というネイションの意識のもとでは、しわ寄せがいく『彼ら』の問題ではなくなる。」


暉峻の着想は私と全く同じと言ってよい。私も、日本国憲法における領土、国民、主権、それゆえ天皇と国民の関係性の中にレイシズムを確認し、日本国憲法におけるレイシズムを克服する方向で考えるか、レイシズムを助長する方向で考えるかを論じたことがある。

前田朗「日本国憲法とレイシズム」『部落解放』744~746号(2017年)

また、私たち、日本で生まれ生きている多くの人々は無自覚の内に植民地主義者になると論じてきた。日本国憲法の下で戦後民主主義を生きてきた私たちは、残念ながら、植民地主義者になる危険性が極めて高いので、植民地主義者でありたくないならば、懸命に努力する必要がある。

前田朗「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」木村朗・前田朗編『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房、2018年)

暉峻が述べることも同じことであり、的確である。

暉峻は「ヘイトスピーチなどの憎悪扇動・表現は、個を最大限に尊重するネイション意識とは相容れない」という。私も同感である。

ところが、憲法学者は全く逆のことを言う。「ヘイト・スピーチを処罰することは、個人の尊重という憲法の基本原則に対する挑戦だ」と言って、ヘイト・スピーチの処罰に猛烈に反対する。

個人主義が何であるのかさえ、憲法学者は理解していない。暉峻論文は非常に重要である。

2018年の笑い納め


今年も最後は社会派コントのザ・ニュースペーパー、銀座博品館劇場だった。


ザ・ニュースペーパー30周年だ。昭和天皇危篤の自粛騒動の中で生まれたのがザ・ニュースペーパーだ。そのときにたまたま見ることができて、やがてファンクラブ会員となったので、30年間、笑い続けてきた。

この30年と、2018年という年を笑い飛ばすため、ぎっちり詰まったネタの山。アベシンゾー、コイズミジュンイチローをはじめ、次々と政治家が登場する。もちろんトランプとキムジョンウンも。

スポーツ・芸能の話題も取り上げつつ、日本の政治と社会を浮き彫りにする。

2018年物故者の総攬では、BGMに西城秀樹の「ブルースカイブルー」。

最後はお約束の「さる高貴なご一家」。いよいよ代替わりである。ご長男様は「遅すぎた」と一言。

ザ・ニュースペーパー、メンバーはこのところ安定していたが、若手が加わってパワーアップ。2019年も楽しみだ。

愚かな国際捕鯨委員会(IWC)脱退


愚の骨頂というしかない。

安倍政権が愚者の集団であることはわかりきっているが、あまりにもひどい。国際協調主義をかなぐり捨てて、国際捕鯨委員会から脱退を決めてしまった。

水島朝穂(早稲田大学教授)は「国際機関への加盟の根拠となる条約の締結について、憲法73条は、事前もしくは事後の国会承認が必要としている。その趣旨からすれば、条約や国際機関からの脱退も国政の重大な変更であり、国会での議論抜きにはあり得ない。だが、安倍政権はIWCからの脱退について、野党や国民にきちんとした説明をしないまま、臨時国会閉会後に決めてしまった。国際機関からの脱退を内閣が勝手に行い、国会にも説明せず、記者会見もすぐに開かない。この『聞く耳を持たない』姿勢は一貫しており、安倍政権の『国会無視』『憲法軽視』の姿勢の到達点ともいえる。」(東京新聞2018年12月27日)と述べる。

安倍政権の姿勢は属国主義の終着点だ。アメリカの言いなり、トランプの命令につき従うことしか考えない安倍首相と外務官僚だからだ。

第1に、国際協調主義の軽視。トランプのアメリカ・ファーストに倣ったつもりの、日本ファーストだ。国際社会における不名誉な地位につくことをなぜこれほど願うのか。

第2に、国会や国民・市民の軽視。これもトランプ流の猿真似だ。トランプと面会できることを自慢するくらいだから、骨身にしみた忠臣だ。

愚かな政策のツケは国民・市民が払うことになる。


国際司法裁判所の捕鯨中止命令に思う(2014年3月31日)


絶対負けるとわかっている裁判を、「勝てる、勝てる」と大騒ぎして、国際弁護士に大金を支払い、無能な御用国際法学者を総動員したあげく、予定通りに負けたのが日本政府だ。恥を知らないし、反省能力もないから、今回も、およそ説得力のない理由しか示せないのに暴走している。

Wednesday, December 26, 2018

対米自立はいかにして可能か


木村三浩『対米自立』(花伝社)



第1章 横田から見えてくる日本の現実

第2章 “属国”日本と“宗主国”アメリカ 

第3章 日米地位協定という不平等条約 

第4章 裁かれていないアメリカの戦争犯罪 

第5章 対米従属の行く末 

第6章 対米自立・「生涯一ナショナリスト」の決意 

対談 孫崎享×木村三浩 対米従属を脱し、自主独立を果たすために


木村三浩(きむら・みつひろ)

1956年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。統一戦線義勇軍議長、一水会書記長を経て、2000年より一水会代表。月刊『レコンキスタ』発行人。一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事。


木村とは2冊の本を一緒に作った。

木村三浩・前田朗『領土とナショナリズム』(三一書房)


木村三浩・前田朗『東アジアに平和の海を』(彩流社)


民族派右翼と非国民派の対話と称して、北方領土、竹島/独島、尖閣諸島などについて議論を戦わせたが、左翼界隈ではあまり評判が良くなかった。なぜ右翼と一緒にやるのか、というわけだ。たぶん、木村も「なぜあんな非国民を相手にするのか」と言われたことだろう。


本書で木村は「対米自立」を主題に据えた。日米安保条約の下、アメリカの「属国「植民地状況」と言われる日本だが、自称右翼の多くが「属国」状態に満悦し、ナショナリズムを見失っている。日本には、アジアを貶め差別しながら、アメリカにこびへつらうことしか考えない異常な右翼ばかりだ。右翼といい、国士といい、保守というが、実はCIAから金をもらって蠢いた連中だ。

これに対して、木村は対米自立を掲げ、アジアとの対話も重視する。出入国管理の実情を見ても、自衛隊の米軍への下属を見ても、アメリカからの武器輸入の経過を見ても、いたるところでアメリカの言いなりで、およそまともな独立国とはいえない実情がある。しかも、政府も政治家も国民もメディアも属国であることに不満を持たず、むしろ当たり前に思っている。この現状をどう変えていくのか、木村はさまざまに考え、行動してきた。それゆえ、小泉政権や安倍政権の対米追随には批判的だ。その思考過程が詳しく書かれている。

ナショナリズムや天皇崇拝など、木村と私とでは立場が異なる面も大きいが、対米自立の必要性や、イラク戦争への視線、あるいはウクライナ問題など、木村の行動と思索には学ばされることが多い。東アジア共同体論との関係でも、木村の発想には類似性もみられる。本書は木村の「本気度宣言」だ。

Tuesday, December 25, 2018

植民地における強制連行を問う


飛田雄一『再論 朝鮮人強制連行』(三一書房、2018年)

https://31shobo.com/2018/10/18011/


神戸学生青年センター館長の飛田はこのところ『現場を歩く現場を綴る』、『心に刻み 石に刻む』『旅行作家な気分』など、矢継ぎ早に出版を続けている。活動家人生と理論研究人生の総決算を考えているのだろう。歩んできた道は異なるが、私も『旅する平和学』のように、旅やフィールドワークでの思索と現場での闘いを念頭において理論活動を続けてきたので、飛田とは共通する点が少なくない(と勝手に思っている)。


本書は4部構成である。

第1部 講演録

第2部 神戸港平和の碑

第3部 論考

第4部 交流集会他

著者の関心は「歴史を刻む──神戸の外国人」「強制連行真相究明運動の展望」の2本に集約されている。「〈神戸港平和の碑〉の建立と朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜の強制労働」「〈神戸港平和の碑〉に込められた思い──アジア・太平洋戦争と朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜」などでも、朴慶植が始めた強制連行の調査研究を継承して、発展させる共同研究の中心人物の一人としての経験と理論が提示されている。


敗戦後の日本政府と企業の、中国人強制連行と朝鮮人強制連行への対処が異なる。中国と朝鮮の差異は2つある。第1に、占領地の中国と植民地の朝鮮の差異である。第2に、日本敗戦直後に、国家を有していた中国人と、国家を有しなかった朝鮮の差異である。

中国人強制連行については、占領地における違法行為であり、しかも日本敗戦後、当時の中国政府が戦勝国側から日本政府に申し入れができた。それゆえ、日本政府も企業も一定の責任を取らざるを得なかった。

ところが、植民地・朝鮮における強制連行について日本政府も企業も責任逃れを続けている。植民地支配の違法性を認めず、植民地支配下における強制連行の責任も認めようとしない。(しかも後には日韓条約のあいまいな「解決」がなされた)

このことが徴用工問題において改めて問われている。国家の立場の立論にとどまらず、被害者中心アプローチをとり、人権論からの解決を図る必要性が強調される。国連国際法委員会における議論のように「植民地支配犯罪」を明確に掲げるべきであろう。あるいは、ダーバン人種差別反対世界会議以来、植民地支配を人道に対する罪に関連させて検討する議論が参考になる。

Monday, December 24, 2018

「1968年の思想」を読み直す


鈴木道彦『私の1968年』(閏月社、2018年)


11月にスペースたんぽぽで、1968年の思想を再び解読し直すための講演会が開かれた。講演は鵜飼哲。2018年の無残な日本で、1968年を問い返すことは、いかなる意味を有するのか。いかなる不可能性にさえぎられているのか。そのことを鵜飼は繰り返し語った。その中で鵜飼が本書を紹介したので、今回、読むことにした。


1968年に中学生だった鵜飼や私の世代は、運動の現場に立ち会ったとはいえない。ほんの数年の違いで、当事者ではありえなかった。事後に書籍で追体験するしかなかった。70年前後の激動の一端をTVニュースで見ていたが、それは非常に矮小化されたニュースでもあった。そこには思想史的に振り返るべき何物もなかった。運動の現場を知らないことは、思想の表層を追体験することしかできないことでもあった。


それでも、それぞれに理解できること、はある。特に、運動の現場にいた者が本当にその思想的意味を理解・把握していたわけではないこと。このことは、その後数多く出版された著作、回想録、記録集から読み取ることができる。現場は大切だが、現場にいても見えないこと、現場にいるからこそ見落としていることもあるのだろう。現場体験のほんの一断面を絶対化することもあるだろう。


本書のもとになった、鈴木道彦『アンガージュマンの思想』(晶文社、1969年)は、学生時代に図書館で読んだ。たぶん1975~76年だ。鈴木道彦『政治暴力と想像力』(現代評論社、1970年)は記憶にない。大江健三郎、小田実、鶴見俊輔などをよく読んでいた時期に、その流れの中で『アンガージュマンの思想』を読んだのだが、どれだけ理解し得ていたかはわからない。


ただ、一つだけ、何よりも重要なこととして鈴木から学んだことが植民地主義批判であったことは間違いない。その後の私の読書体験、市民運動、人権運動、そして刑事法研究を貫く重要モチーフとなったからだ。他方で、高校の先輩に小説家の李恢成がいたことから、大学時代に李の小説やエッセイをかなり読んでいた。大学生となった年に『北であれ南であれわが祖国』が出版されたので、すぐに読んだ。金大中拉致事件の時には日比谷公園での抗議集会の片隅でチラシを懸命に読んでいた。在日朝鮮人に知友のいない状況で、頭の中だけで在日朝鮮人の人権問題を考えていた時期だ。実際に人権運動に取り組むようになったのは1980年代後半からだ。植民地主義批判を自分の頭で考えるようになったのもそれ以後のことだが、ともあれ鈴木道彦や小田実をはじめとする一連の思索には触れていた。


1929年生れの鈴木は全共闘世代ではなく、大学の教員、知識人の一人として時代に向き合っていた。羽田闘争、ベ平連、金嬉老事件を経験し、パリに渡るや五月革命に遭遇する。東京とパリをつなぐ思想的課題の中心に植民地主義批判があった。ベトナム、アルジェリア、朝鮮をベースに歴史と社会を捉え返すならば、東京という町で日本の若者がいかに生きるべきかも違って見えたことだろう。


鈴木の著作を読んでいなければ、その後の1968年に関する凡百の回想記(実際は1968年否定の思想)を真に受けていたかもしれない。多くの回想記が植民地主義問題を見事に見失っていることは言うまでもない。そうした落第レポートの集大成がベストセラーになってしまうのがこの国だ。だが今回、本書を読むことで、植民地主義批判、人種主義批判の課題に日本の知識人がいかに取り組んでいたかを再認識することができた。


日本の良質な思想家の中にも、植民地主義問題では認識の思索の甘さを露呈する例が少なくない。鶴見俊輔や花崎皋平がその例だ。大日本帝国と現在の日本の近現代史を総合的に把握するためには避けて通れないはずの問題を素通りしてきた知識人も少なくない。50年とは長い歳月であり、短い歳月である。1968年から2018年にかけて、私たちはどれだけの前進をなしえたのか。それとも、どれだけの思想的頽廃に塗れることになってしまったのか。

Wednesday, December 19, 2018

目取真俊の世界(12)歴史・記憶・物語


スーザン・ブーテレイ『目取真俊の世界(オキナワ)――歴史・記憶・物語』(影書房、2011年)


「歴史・記憶・物語」というのは危険な言葉の連なりである。論壇でも文壇でも、この言葉群は表向きは歴史に向き合う姿勢を見せながら、実は歴史を圧殺するために用いられてきた。主要な系譜は2つある。第1は、「国民の歴史」を物語として構築する系譜であり、歴史改竄主義者の語りである。第2は、これよりも一見すると洗練された体裁をとっているが、生きられた歴史の中から記憶や証言を取り上げながら、研究者やマジョリティの欲望の中に回収していく特権的語りである。日本的な自称「フェミニズム」にその典型がみられる。いずれも「記憶の暗殺者」の領分だ。
本書はこうした2つの系譜とは異なる地点で、歴史・記憶・物語に新鮮な光を当てる。著者はニュージーランド国立カンタベリー大学文化原語学部(出版当時)とのことだが、大学院時代以来何度も日本に留学、滞在してきた研究者である。


第一章 目取真俊の世界

第二章 「水滴」論

第三章 「風音」論

第四章 「魂込め」論

結論


本書は目取真の初期の代表作3作品を取り上げて、沖縄戦を中核とする沖縄近現代史を背景とし、沖縄近現代史を読み替え、そして沖縄近現代史を生きる「文学」の闘いを、ともに一緒に「闘う」。はげしい叫び声の中から、かすかな悲鳴の中から、かすんだ涙の向こうから、ひびわれそうな脳漿の彼方から、文学の精髄をつかみ出し、自らの言葉で語りなおす。


「以上、作家目取真俊は、自らの作品に通底するテーマとして、沖縄戦を取り上げながら、沖縄戦をめぐる従来のディスクールに大いなる疑問を提出し、琉球支配から始まり植民地化、戦争、戦後処理、米軍支配、日本への『返還』、そして現在に至るまでの日本と沖縄をめぐる歪んだ政治的・経済的関係性、及びそのような不均等かつ抑圧的関係に甘んぜざるを得ない沖縄人への批判も含め、沖縄の過去と現在を捉え直そうとする試みをしており、その意図が語りの特徴にも現れていることを述べてきた。」

このまとめの一節はだれにでも書けそうな文章かもしれないが、ここに集約される分析はだれにもかけない。著者は、3作品の徹底分析を通じて、この地点にたどり着いた。著者は目取真の3つの「解体手法」を提示する。

第1は、天皇のために命を捧げ、勇猛果敢に戦って死んだという兵士像および類型化した叙述の解体である。

第2は、戦争に巻き込まれ甚大な被害を受けたにもかかわらず、英雄または被害者として描かれる男性を中心とした戦争の集合的な記憶から排除されている民間人――特に老幼婦女子といわれる人々――の個別独自の戦争体験を焦点化することによる解体である。

第3は、常にタブー視され隠蔽されてきた事実、物事を暴露する中から行われる解体である。これは米軍兵のみならず日本兵による強姦や性奴隷といった女性への暴力などを含んでいる。

何のためか。それは次のように指摘される。「これらの戦争神話の解体を通して、集合的記憶から忘却され欠落させられているものを呼び覚まし、とてつもない暴力としての戦争を全体像として浮かび上がらせるという試みが実践されているのである。そして、自らの戦争体験を語ることができない死者および生き残りに<声>が与えられると同時に、読者はその記憶を『読む(聞く)』ことを通じて、沖縄戦の一部を経験し、同時に証言の場に立ち合うことになる。」

ここで著者は、死者の沈黙への応答について語る。それは不可能なことである。不可能なことを可能とする文学の手法が、「非現実的・幻想的要素の取り込み」であり、読者に疑似的体験をさせることであり、「断片的なイメージや言葉の連鎖」である。時には、語らないことによる語り、である。

目取真俊とスーザン・ブーテレイ――2つの魂が、文学が衝突し、スパークし、鮮やかな流星群の散乱を見せる。ここから光の速度で飛び散った痛みや、悲しみや、激情や、思索はどこをどのように飛んで帰ってくるだろうか。


著者は、その後の目取真の代表作をどのように読んでいるのだろうか。知りたいものだ。たぶん、論文は書かれていて、私が読んでいないだけなのだろうが、入手しやすい1冊にまとめてほしいものだ。