Tuesday, January 29, 2019

ヘイト・スピーチ研究文献(122)困った引き写し論文


小笠原美喜「米英独仏におけるヘイトスピーチ規制」『レファレンス』784号(2016年)


2016年5月、国会でヘイト・スピーチ解消法の審議が行われたときに、国立国会図書館作成の論文が国会議員に配布されたことを耳にした。当時、手にすることができなかったが、今頃になって入手した。一読、驚き呆れる低レベル論文だ。


小笠原は「ヘイトスピーチの法的規制をめぐって」、どう対処すべきかと問い、日本における議論を整理する。その上で、米英独仏の規制状況を紹介する。

小笠原は、①法規制に積極的な立場として、師岡康子、金尚均、前田朗をあげ、②法規制が許容される余地があり得るとする立場として、奈須祐治、櫻庭総をあげ、③それ以外の立場として規制消極説があるが、2013年以降の論文にはそれほど見当たらないとしつつ、小谷順子、毛利透だけをあげる。小笠原は、規制消極論の中でもほとんど規制否定論というべき阪口正二郎、榎透、駒村圭吾、市川正人の名をあげない。いずれも著名な憲法学者であるのに、彼らを省略して、上記のような議論をするのは不適切だろう。


小笠原は「規制積極説の中には、欧州諸国を始め世界の多くの国でヘイトスピーチが法的に規制されていることを理由に、日本も世界的な潮流に倣うべきであるとする意見がある」として、前田朗を名指しする。これに続いて、「しかし、一口に欧州諸国と言っても、国によって規制の在り方も、法制定に至った経緯も異なる。本稿では、欧州諸国のうち、イギリス、ドイツ、フランスの主要3カ国を取り上げ、各国においてヘイトスピーチ規制として機能していると考えられる主要な法律を紹介する」(33頁)という。

第1に、私は「欧州諸国を始め世界の多くの国でヘイトスピーチが法的に規制していることを理由に、日本も世界的な潮流に倣うべきである」と主張していない。私の主張は『ヘイト・クライム』『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』『ヘイト・スピーチ法研究序説』『ヘイト・スピーチ法研究原論』で何度も繰り返したとおり、次のような組み立てである。

1)被害が重大だからヘイト・スピーチを規制すべきである。

2)日本国憲法に従って、表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制すべきである。

3)ヘイト・スピーチ規制は国際人権法の要請である。

そして、国際人権法について次の点を指摘してきた。

1)自由権規約も人種差別撤廃条約もヘイト規制を要請している。

2)人種差別撤廃委員会は日本にヘイト規制を勧告した。

3)人種差別撤廃委員会一般的勧告35やラバト行動計画が作成されたので参考にすべきである。

4)国際人権の実行例として、世界の百数十カ国がヘイト規制をしている。

以上の流れの中で、『序説』では120カ国以上、『原論』では70カ国以上の立法例を紹介してきた。

第2に、小笠原は私の名前を挙げた後に、「しかし、一口に欧州諸国と言っても、国によって規制の在り方も、法制定に至った経緯も異なる」と主張する。これでは、私が「欧州諸国では、規制の在り方も、法制定に至った経緯も同じである」と主張していることになる。そうでなければ、「しかし」の意味がない。言うまでもないことだが、私は欧州諸国で「規制の在り方も、法制定に至った経緯も異なる」ことを前提として、多数の諸国の状況を紹介してきた。

第3に、ここが一番重要なのだが、小笠原は欧州諸国と言いながらイギリス、ドイツ、フランスだけを取り上げる。理由は示されていない。私が強く批判してきたのは、こういう「比較法研究」である。一部の国を取り上げて、あたかもそれが欧州であるとか、世界であるかのように描く従来の研究を私は批判してきた。偶然得られた情報を紹介しただけで、いきなりそれを一般化する研究を私は批判してきた。小笠原論文はその典型例である。だから、私は百数十カ国の状況を延々としつこく紹介しているのだ。

そのくせ、小笠原論文には新知見がない。イギリスについては師岡康子、奈那祐治、ドイツについては金尚均、櫻庭総、フランスについては成嶋隆、光信一宏らの先行研究がある。小笠原はこれら先行研究をまとめ直しただけだ。イギリス、ドイツ、フランスの事情は異なると言うが、その前提としてEU議会がヘイト・スピーチ規制方針を打ち出しているが故に欧州諸国でヘイト規制が行われている事実をきちんと位置づけていない。


小笠原は論文の最後に次のように述べる。

「最後に、欧州諸国ではヘイトスピーチ規制と並んで問題となる、いわゆる『アウシュヴィッツの嘘』に代表されるホロコースト否定表現の規制に言及しておく。ドイツ及びフランスはこのタイプの表現を明文で禁止しているが、歴史的事実に関する言論を処罰することに関しては、ヘイトスピーチの規制に積極的である両国においてさえも、表現の自由の侵害であり違憲ではないかとの批判がある。」(42頁)

なるほど、小笠原の指摘は事実である。しかし、小笠原論文はきわめてミスリーディングであり、ほとんど詐欺と言うしかない。

第1に、ドイツ及びフランスについては、「アウシュヴィッツの嘘」規制法制定時に、表現の自由に反するのではないかとの主張があった。しかしそれはごく少数説にとどまり、立法が実現した。さらに重要なのは、ドイツもフランスも、その後、法改正を行って規制を強化したことである。小笠原はこの事実を隠したまま、「ヘイトスピーチの規制に積極的である両国においてさえも、表現の自由の侵害であり違憲ではないかとの批判がある」と結論づける。

第2に、小笠原はドイツとフランスだけを取り上げて、そこから無理矢理結論を引き出している。しかし、「アウシュヴィッツの嘘」処罰法は多数ある。私の『序説』ではドイツ、フランス、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、スロヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニアを紹介した(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』第10章第5節参照)。欧州以外にイスラエル、ロシアや、アフリカのジブチにもある。

欧州については、ボローニャ大学ロースクール上級研究員のエマヌエラ・フロンツァの著書『記憶と処罰――歴史否定主義、自由な言論、刑法の限界』(スプリンガー出版、2018年)によると、同様に歴史否定(歴史否定主義)を規制する法律は、オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、チェコ、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ラトヴィア、リトアニア、ルクセンブルク、マルタ、ポーランド、スロヴェニアにもあるという(フロンツァの著書については、救援連絡センターの機関紙『救援』1月号から紹介を始めた)。小笠原はこうした事実を隠蔽して、ドイツとフランスに消極説もあることだけを肥大化させる。木も見ず森も見ず、一枚の木の葉だけを見ている。

以上、小笠原論文は、その内容が単なる引き写しである上、小笠原個人の見解として打ち出されている部分は、ほとんど詐欺と言うべき珍論にすぎない。


こういう低レベルな論文が、国立国会図書館の調査研究として執筆され、その正規の機関誌である『レファレンス』に掲載され、ヘイト・スピーチ解消法制定過程において国会議員に配布されたというのだから、呆れて物が言えない。不勉強な国会議員をだます目的で書いたのだろうか。研究倫理のかけらもないお粗末ぶりだ。