Friday, January 04, 2019

目取真俊の世界(13)汚物と天皇と哄笑と


目取真俊短編小説選集1『魚群記』(影書房、2013年)


著者20歳代の短編を集めた1冊で、『平和通りと名付けられた街を歩いて』収録の5作に、「風音」「発芽」「一月七日」の3作を加える。

目取真俊『平和通りと名付けられた街を歩いて』(影書房、2003年)



人類史上特筆される無責任人間の息子から孫への仮面伝承の一年になる2019年の正月に読むべき著書の代表として本書をあげることができるだろう。深沢七郎、大江健三郎、桐山襲に連なる哄笑文学だ。

「平和通りと名付けられた街を歩いて」は、「何で私たちがコータイシデンカのために仕事休まんといかんね、ひん?」という問いとともに、ひめゆりの塔火炎瓶事件を想起させる。1983年7月13日に「献血運動推進全国大会」の訪沖、糸満市摩文仁の沖縄戦没者墓地、沖縄平和祈念堂、ひめゆりの塔参拝のパレードに向けた民衆の決起は、少年の唾とオバーの汚物という「同時多発テロ」として現象する。アキヒトとミチコの乗った車の窓ガラスに汚物をなすりつける騒動で終わる本作品を、1983年から35年を経て、いま、どのように読むべきか。「おばー、山原(やんばる)はまだ遠いかなー」。目取真少年のつぶやきのような問いに、やまとんちゅはまだ答えていない。

「一月七日」は、早朝のセックスの後、女が「ねえ、天皇陛下、死んじゃたんだってさ」と告げる。「おい、ホーギョって何だ」と聞き返す主人公は、責任無能力人間がこの世を去った一日を、タクシーで国際通りに出かけ、パチンコ屋が「自粛」のために閉店していたため、ポルノ映画を観、壺屋のおじいの家に遊びに行き、平和通りでよれよれの新聞を拾って「へーセー」を知り、マクドナウドで高校時代の友人の暴力事件に遭遇し、アメリカーの銃乱射に驚き、最後は自ら暴力事件を引き起こす。「昭和って、たくさん人が死にましたね」。壊れた椅子、テーブル、硝子の破片、糞、小便、涎、血にケチャップ。やじ馬のざわめき、拡声器でがなりたてる声、救急車やパトカーのサイレンにクラクション。富士には月見草が似合うが、天皇には汚物が似合うのだろうか。1989年のスラップスティックから30年、不穏な「非国民作家」は愚鈍な国民国家といかに闘うだろうか。