『救援』19年3月
刑罰法規の例
フロンツァの著書『記憶と処罰――歴史否定主義、自由な言論、刑法の限界』の紹介を続ける。日本ではドイツだけが紹介され、あたかも例外であるかのように言われてきたが、欧州には「アウシュヴィツの嘘」のような歴史否定発言を処罰する立法例が多数ある。前回はオーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、チェコ共和国、フランス、ドイツ、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ラトヴィア、リトアニア、ルクセンブルクを紹介した。
マルタ:刑法第八二条b項(二〇〇九年一一月三日)。処罰される行為は否定、矮小化、称賛。対象は人種、皮膚の色、宗教又は民族的国民的出身に基づいて人々の集団に行われたジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪。追加要件は言説の公然性、暴力及び憎悪の煽動であること、公共の秩序を乱す方法で行われたこと。制裁は八月以上二年以下の刑事施設収容。
ポーランド:ポーランド国民に対する犯罪に関する国民的記憶施設及び訴追委員会法第五五条(一九九八年一二月一八日)。処罰される行為は否定。対象は一九三九年九月一日から一九八九年一二月三一日の間にポーランド市民その他の国籍者に行われたナチス犯罪、共産主義犯罪、その他の戦争犯罪、人道に対する罪、平和に対する罪等。追加要件は言説の公然性。制裁は三年以下の刑事施設収容。
ポルトガル:刑法第二四〇条(一九九八年九月二日、二〇〇七年九月四日改正)。処罰される行為は否定。対象は戦争犯罪、平和に対する罪、人道に対する罪。追加要件は言説の公然性、憎悪及び差別を煽動・助長するような方法で行われたこと。制裁は六月以上五年以下の刑事施設収容。
ルーマニア:二〇一五年七月二二日の法律第六条(二〇〇二年三月一四日の緊急命令によって導入)。処罰される行為は否定、論争、称賛、正当化及び矮小化。対象はジェノサイド及び人道に対する罪。追加要件は言説の公然性。制裁は六月以上六年以下の刑事施設収容。
スロヴァキア:刑法第四二四a条(二〇〇五年五月二〇日)。処罰される行為は否定及び矮小化。対象は、国際刑事裁判所規程に定められたジェノサイド、戦争犯罪及び人道に対する罪。ニュルンベルク裁判所憲章に定められた戦争犯罪、平和に対する罪、人道に対する罪。追加要件は言説の公然性、人種、宗教、民族、国民を理由に行われたこと。制裁は一年以上三年以下の刑事施設収容。
スロヴェニア:刑法第二九七条(二〇一一年一一月二日)。処罰される行為は否定、正当化、是認、愚弄、弁護。対象はジェノサイド、ホロコースト、戦争犯罪、人道に対する罪及び侵略の罪。追加要件は言説の公然性、人種、宗教、民族、国民を理由に行われたこと。制裁は二年以下の刑事施設収容。
スペイン:刑法第五一〇条一項c、一九九五年一一月二三日の基本法。処罰される行為は否定、賛美、矮小化。対象はジェノサイド、人道に対する罪及び戦争犯罪。追加要件は言説の公然性、ジェノサイド実行を間接的に煽動する方法で行われたこと。制裁は一年以上二年以下の刑事施設収容。
フロンツァは以上の二一カ国の具体例を示す。他にもデンマーク、エストニア、フィンランド、オランダ、スウェーデン、イギリスの名前を挙げているが、具体的記述はない。またロシアその他にも同様の法律がある。欧州では戦争犯罪や人道に対する罪の事実を否定する歴史否定発言を犯罪とするのが常識である。
否定犯罪規制の潮流
フロンツァは、歴史否定主義を犯罪とする傾向が欧州各国の国内法に始まり、やがて国際的潮流となり、ついにはEU枠組み決定に取り入れられ、刑事規制がEU加盟国の義務となった過程を追跡する。EU枠組み決定はホロコースト否定だけではなく、その他の国際犯罪の否定にも及んでいる。同時に言論の自由を保障するための制約も導入されている。
フロンツァは、国際レベル、EUレベル、EU枠組み決定、欧州人権条約の四段階を考察する。
国際レベルでは、もともと表現の自由を保障する規定と差別を禁止する規定、特に人種主義宣伝を禁止する規定が存在していた。歴史否定発言の規制に向けた動きは一九四八年の世界人権宣言に始まる。宣言第一九条は意見・表現の自由を保障するが、同時に「すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する」とした(第二九条)。
一九六六年の市民的政治的権利に関する国際規約(国際自由権規約)第一九条一項も表現の自由を掲げるが、同時に「権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。(a) 他の者の権利又は信用の尊重、(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」とする(第一九条三項)。さらに同規約第二〇条一項は戦争宣伝を禁止し、同条二項は「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」と定める。
さらに一九六五年の人種差別撤廃条約は人種差別の禁止と撤廃のための措置を列挙したうえで、条約第四条は人種的優越性や憎悪の煽動を規制し、ヘイト目的団体参加や財政支援も犯罪とすることを明示した。人種差別撤廃委員会の一般的勧告第三五号が続いた。
国際自由権委員会はこのテーマに関するガイダンスを提供してきたが、特に歴史否定発言についてはフォリソン対フランス事件に関する通報について、一九九三年一月二日、国際犯罪の事実を否定する公開発言は、暴力及び人種憎悪を煽動する場合にのみ刑事訴追に服すべきであると判断した。
リヨン大学の文学教授フォリソンは著名なホロコースト否定論者であった。フォリソンは一九七八年以後、ナチス・ドイツのガス室はなかったと主張した。これを擁護するノーム・チョムスキー、批判するピエール・ヴィダル・ナケらの間で論争となった。これが一因となって一九九〇年、フランスに否定発言犯罪が導入された。フォリソンは自説を唱え続けたため一九九一年に有罪判決を受け、一九九二年に確定した。そこでフォリソンは国際自由権委員会に提訴していた。フロンツァは、フォリソン事件決定が国際レベルの水準を示すと見る。