Tuesday, October 08, 2019

東アジアにおける歴史否定犯罪法の提唱(二) ――「アウシュヴィツの嘘」と「慰安婦の嘘」


統一評論584号(2014年6月)ヒューマン・ライツ再入門66



東アジアにおける歴史否定犯罪法の提唱(二)

――「アウシュヴィツの嘘」と「慰安婦の嘘」



前田 朗



一 はじめに

二 なぜ「アウシュヴィツの嘘」を犯罪とするべきか

三 東アジアにおける歴史否定発言犯罪の根拠

四 「慰安婦の嘘」犯罪の条文案

五 「慰安婦の嘘」犯罪法の意義





一 はじめに



 前回は西欧における「アウシュヴィツの嘘」処罰法、歴史否定発言処罰法の紹介を行った。その要点は、第一に、「アウシュヴィツの嘘」のような一定の歴史否定発言はヘイト・スピーチの一種である犯罪とされていること。第二に、ドイツだけでなく、一〇カ国もの刑法に規定されていること、である。

 それを受けて今回は次の諸点について考えたい。第一に、なぜ「アウシュヴィツの嘘」を犯罪とするべきなのか。その保護法益論である。第二に、東アジアで同様の刑事立法をするべき積極的根拠である。「慰安婦の嘘」犯罪を制定するべき国際法及び歴史上の理由である。西欧の経験と努力の成果に学びつつ、東アジアでいかなる努力をなすべきかである。第三に、東アジアで制定するべき「慰安婦の嘘」犯罪の条文案である。最後に、この種の犯罪規定を設けることの現在的意義を考えたい。






 「アウシュヴィツの嘘」を公然と主張すると犯罪とされるのはドイツだけではなく、フランス、スイス、スペイン、ポルトガルなど多くの諸国に共通である。それではその根拠はどのように説明されているか。これまでこの点についての研究は、ドイツ刑法に即したものしかないと言ってよいであろう。

 前回紹介したように、スイスでは、アルメニア・ジェノサイド否定事案について、最高裁が、当該犯罪は公共秩序犯罪であるとした。スペインでは、罪質に関連して、人間の尊厳に反するか否かが問われ、単なる伝達は人間の尊厳に反するとしても犯罪とはならないと限定している。しかし、処罰根拠や保護法益についての具体的な紹介がなされていない。

 他方、ドイツに関しては櫻庭総(山口大学専任講師)による周到な研究がある。以下では、櫻庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服――人種差別表現及び「アウシュヴィッツの嘘」の刑事規制』(福村出版、二〇一二年)に依拠して、ドイツの議論状況に学ぶことにする。

 櫻庭によると、民衆扇動罪の保護法益について、ドイツでは二つの見解が唱えられている。

 第一は保護法益を「公共の平穏」と理解する。理由は、刑法第一三〇条の位置が刑法典各則第七章「公共の秩序に対する罪」の中に置かれているからである。従って、民衆扇動罪は、個人的法益を保護する侮辱罪とは性格が異なることになる。この見解に対しては、公共の平穏概念は不明確であるといった批判が差し向けられる。

 第二は保護法益を「人間の尊厳」とする見解である。民衆扇動罪は第一義的に人間の尊厳を保護するものであり、公共の平穏は間接的に保護されると見ることになる。

 実際には多くの論者が、人間の尊厳と公共の平穏の両方を保護するものと見ているようだが、両方を保護するにしてもどちらを優先して理解するかでさまざまに見解が分かれている。

 刑法第一三〇条第三項の「アウシュヴィツの嘘」罪については、一九九四年改正に際して「人間の尊厳に対する攻撃」という文言が削除されたため、人間の尊厳を保護法益とすることでは説明がつかないとされ、第三項については公共の平穏で説明する見解が多いと言う。

 他方、「歴史的事実」を保護法益とする見解も唱えられた。櫻庭によると、オステンドルフは次のように述べていると言う。

 「ナチス犯罪という歴史的事実の否定を処罰する場合、犠牲者の追憶を保護するためにそれが行われるのは、ナチス体制の犠牲者の利害のためだけでもなければ、生き延びた当事者の利害のためだけでもない。ナチス支配により何らかの形で暴力及びテロを体験したすべての生存者が、自らの受苦への真実要求、つまり歴史的アイデンティティーのなかで保護されるべきなのである。それ以上に、この事実、そしてこの事実を知ることが、[過ちを]繰り返さないための最大の防止策なのである。それゆえ、意見表明の自由の制限に対する個人の利害関心を考慮することだけではなく、ナチス専制の再発防止という一般的利益も考慮されねばならない。」(櫻庭一六二~一六三頁)

 櫻庭は「この見解はホロコースト否定表現の刑事規制の本質を言い表している点で注目に値しよう。しかしながら、それを保護法益と理解するかどうかは別問題である」とする。 その上で、櫻庭は人道に対する罪に着目する。

「民衆扇動罪における『人間の尊厳への攻撃』に『過去の克服』を読み込む別の方法としては、それをナチス犯罪の典型である『人道に対する罪』の延長上に位置づけることも考えられよう。つまり『人間の尊厳への攻撃』概念における『共同体における同等の人格としての生存権を否定され、価値の低い存在として扱われる』という部分に着目し、民衆扇動罪をナチス犯罪である『人道に対する罪』の第一段階を防止する規定として理解するのである。」(櫻庭一七一頁)

櫻庭はドイツにおける判例・学説を検討した結果、最後に次のように述べている。

「ドイツの刑法第一三〇条をめぐる議論は、マイノリティに対する差別扇動行為をナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の原因と言う構造的側面から把握し、『過去の克服』を内面化する試みに基づく刑法規範として結実した点に注目すべき意義がある。しかし、それは一九六〇年代の創設時のように、刑罰法規以外の精神的、政治的取組と一体化したものでなければ、実効性の観点からも、濫用の危険性の観点からも、批判を生むこととなるのである。」(櫻庭一七九頁)。

楠本孝(三重短期大学教授)は、ドイツにおける民衆扇動罪に関する判例を検討して、「個人の人格権として把握されるのは、人が主体的に作り上げてゆくものとしての人格であって、このような意味での人格について、人は価値尊重欲求を有しており、これを侵害するのが侮辱であり名誉毀損である。これに対して、人間の尊厳への攻撃とは、その人自身によってもどうしようもなく決定されている人格の中核部分も含めた人間存在そのものを否定し又は相対化しようとするものである。人間の尊厳は、人間それ自体に固有のものとして内在しているものであって、個人の業績を基準にして尊厳が割り当てられるといったものではない」とし、「さらに、人間の尊厳への攻撃とは、いわば人間の尊厳を破壊し尽くし、否定しさる場合だけを包含するものなのか、これを下回る攻撃は、人間の尊厳を傷つけても、『人間の尊厳への攻撃』とみなされないのか、ということも問題になる。人間の尊厳を尊重することの中に表現されているのは、人間を人格、すなわち、その素質に応じて自分自身をその特性において意識し、自由に自己決定し、自らの環境を形成し、かつ他者と交際しうる存在として認知することである。平等者が他の平等者と交際する可能性は、彼が平等者であることを否定された場合だけでなく、他者が彼に率直に、偏見なくかつ先入観なしに出会う可能性が深刻に制限されている場合も、既に侵害されている。他者を重大な犯罪的寄食者として表示することによって、他者との率直で、偏見なく、かつ留保なく交際し得る可能性は深刻に侵害される」と解説する(楠本孝「ドイツにおけるヘイト・スピーチに対する刑事規制」『法と民主主義』四八五号、二〇一四年)。

他方、金尚均(龍谷大学教授)は、「ヘイトスピーチは、単に『公共の平穏』を害するから処罰されると解するべきではない。それは、一般的に社会におけるマジョリティからマイノリティに対して向けられる。民主主義は、全ての社会構成員が自分の存在する社会におけるさまざまな決定に参加することができるというのが基本である。しかし、ヘイトスピーチは、一定の属性を有する個人又は集団に向けられることによって、当該集団に属する個々の人々を蔑むことになる。それが意味するところは、彼らを同じ社会の民主制を構築する構成員とは認めないということにあり、それにより、民主制にとって不可欠な社会参加の平等な機会を阻害することになる。ヘイトスピーチの有害性は、主として、社会のマイノリティに属する個人並び集団の社会参加の機会を阻害するところにあり、それゆえ、ヘイトスピーチを規制する際の保護法益は、社会参加の機会であり、それは社会的法益に属すると再構成すべきである」と主張する(金尚均「名誉毀損罪と侮辱罪の間隙」『立命館法学』三四五・三四六号、二〇一二年)。

 保護法益を人間の尊厳と見るか、社会参加の機会を中心に理解するべきか、さらに議論が必要と思われるが、他の可能性も検討するべきである。



三 東アジアにおける歴史否定発言犯罪の根拠



1 保護法益論



 「アウシュヴィツの嘘」罪の保護法益論に学んで、日本軍国主義による侵略と植民地支配の犠牲となった諸民族の歴史的経験をどのように考えるべきだろうか。

 ここで確認しておくべきことは、第一に、日本軍国主義による被害が、犠牲を被った人々にとって非常に重要で深刻な歴史的体験であったことである。第二に、それにもかかわらず、第二次大戦後の国際情勢の下で、被害者に対する謝罪も補償も何一つ行われることがなかった。第三に、一九九〇年代以後、被害者たちが立ちあがったことによって、ようやくこの問題が国際的に取り上げられるようになり、重大人権侵害の被害者の補償を受ける権利が議論されるようになった。第四に、それにもかかわらず、日本政府は誠実な謝罪と補償を行うことなく、さまざまな弁解をし続けている。そして今日、安倍晋三政権は村山談話の見直しや、河野談話の見直しなど、歴史修正主義の立場から、歴史の事実を否定しようと躍起になっている。このため二〇一三年には、経済的社会的文化的権利に関する国際規約に基づく社会権委員会は、日本政府に対して「慰安婦」に対するヘイト・スピーチに適切に対処するように勧告を行った。

 つまり、侵略の事実の否定、植民地支配の事実の否定、南京大虐殺の事実の否定、「慰安婦」の否定は、これらの巨大な歴史的犯罪の被害を受けた人々の「人間の尊厳に対する攻撃」となるのではないか。この点を今後きっちりと議論していく必要がある。

 その際に気をつけなければならないことは、古典的刑法理論の保護法益論に囚われる必要はないことである。刑法理論では保護法益を個人的法益、社会的法益、国家的法益に分類してきたため、ヘイト・スピーチや「アウシュヴィツの嘘」の保護法益もこれに強引に押しこんできた面がある。

 しかし、「慰安婦の嘘」処罰を検討するならば、そこではアジア各国の被害者とその子孫の法益が焦点になるはずである。もちろん在日朝鮮人をはじめとする在日・在留の外国人に対するヘイト・スピーチも規制が必要であるが、「慰安婦の嘘」に関してみると、古典的な保護法益論では説明がつかなくてもやむを得ない面があるのではないだろうか。

 「慰安婦の嘘」発言は、被害を受けた人々の歴史的アイデンティティを否定し、同時に彼ら彼女らを嘘つき呼ばわりすることで二重に傷つけている。そのことを通じて彼ら彼女らの社会参加の機会を奪い、制限する。被害者は日本という地理的空間に存在するのではなく、日本が侵略と植民地支配を行った全域に存在している。次項で見る第二次大戦の戦後処理の文書も国際文書であり、連合国、そして国連による文書が基礎になっている。その意味で、国際的法益についても検討する必要がある。

 国際的法益については、すでに一九九七年の国際刑事裁判所規程の採択、それに基づいた国際刑事裁判所の開設と運用実務によって、国際刑法が飛躍的に展開を示してきたのであり、個別国家においても刑法が国際的法益を保護する諸規定を有する例が増えている(前田朗『戦争犯罪論』、『ジェノサイド論』、『侵略と抵抗』、『人道に対する罪』いずれも青木書店)。



2 第二次大戦の戦後処理



 それでは、保護法益の中核を成す歴史的事実、被害者集団の国際的・歴史的体験をどのように把握するべきであろうか。この論点になると、侵略や「慰安婦」問題の歴史認識をめぐる議論が巻き起こりがちである。

 もちろん、歴史的事実をめぐって歴史研究を進化・深化させることは非常に重要である。侵略の事実について、安倍首相は「事実」を否定したり、「国際法」を否定したり、その議論は融通無碍に変化するが、とにかく都合の悪いことは次々と否定する姿勢である。安倍首相以外の論者も、都合の悪いところを見つけては否定してみることを繰り返している。その際に、あたかも歴史研究に基づいたかのようなポーズをとるために、あれこれの論文をつぎはぎすることになる。

 しかし、そうした議論に拘泥しても筋違いの議論を繰り返すことになりかねない。ここでは端的に、第二次大戦時に行われた侵略や、それ以前からの植民地支配、そしてそこにおける非人道的犯罪を、当時の国際的評価の中で確認することが重要である。

 第一に、カイロ宣言(一九四三年一二月一日)は「三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ」とした上で、「右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」、「日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ」とし、最後に「前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」としている。カイロ宣言は三大国による一方的な宣言であるが、次のポツダム宣言において、カイロ宣言の「条項ハ履行セラルヘク」と明示・確認されている。

 第二に、ポツダム宣言(一九四五年七月二六日)は「無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ」とした上で、「我等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」、「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」として、日本政府に無条件降伏を迫った。日本政府は八月一四日、ポツダム宣言受諾を決定し、第二次世界大戦が終結した。

 第三に、日本国の降伏文書(一九四五年九月二日)は「『ポツダム』宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト」と明記している。

 第四に、極東国際軍事裁判所憲章(一九四六年一月一九日)は「極東ニ於ケル重大戦争犯罪人ノ公正且ツ迅速ナル審理及ビ処罰ノ為メ茲ニ極東国際軍事裁判所ヲ設置ス」(第一条)とし、次の三つの犯罪について裁くことを明示した。

(イ)平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。

(ロ)通例ノ戦争犯罪 即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。

(ハ)人道ニ対スル罪 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。

 これに基づいて極東国際軍事裁判所が設置され、東条英機ら被告人らの犯罪を裁く「東京裁判」が行われた。これとは別に横浜裁判や、アジア各地での「BC級戦犯裁判」も行われた。なお、東京裁判では人道に対する罪は明示的に適用されていないが、横浜裁判などでは人道に対する罪も適用された。

 第五に、サンフランシスコ講和条約(一九五一年九月八日)は「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」として、東京裁判を受諾することを定めている。

 なお、国連憲章の敵国条項(第五三条、第一〇七条)も確認しておこう。安保理事会による強制行動を定めた国連憲章第五三条は、その第二項で本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」としている。さらに、第一〇七条は「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」としている。これは経過規定の一種であるが、東京裁判もこれに含まれるであろう。

 日本政府は敵国条項の削除を最優先課題と唱えてきたが、国連憲章は改正されることなく、今も敵国条項が残っている。

 以上をまとめると、日本が東アジア各地で行った戦争と植民地支配、その期間における戦争犯罪や人道に対する罪は、無責任な軍国主義による侵略であり、世界征服を狙った過誤であり、朝鮮人民は奴隷状態に置かれたのである。それゆえ、責任者は厳重に処罰される必要があった。

 これらの事実を否定する発言は、悲惨で過酷な歴史的体験を余儀なくされた東アジアの被害者とその子孫の歴史的アイデンティティを否定し、彼ら彼女らを、侵略されても仕方のない人、奴隷状態に置かれてもやむを得ない人として位置づけることになる。それは被害者の人間の尊厳に対する攻撃であり、被害者の社会参加の機会を奪うことにもつながる。

 とりわけ、責任ある地位にあ政治家や影響力のある人物がこれらの発言を繰り返すことは、被害者の人間の尊厳への攻撃となるばかりでなく、カイロ宣言、ポツダム宣言、東京裁判憲章及び判決などによって形成された戦後国際秩序の基礎に対する攻撃になる。このようなことを許していると、国際社会はカイロ宣言、ポツダム宣言などを何度も繰り返さなければならなくなるだろう。

 現に、一九八九年、北方領土返還交渉に際して、ソ連が北方領土領有の根拠として国連憲章の敵国条項を援用したことがある。二〇一二年、尖閣諸島問題に関連して、中国が国連総会で「日本が盗んだ」と繰り返し発言したのは、明らかにカイロ宣言を念頭に置いている。

ソ連や中国の発言の当否はともかくとして、日本が、第二次大戦後の国際秩序に挑戦的な姿勢を示すならば、国際社会は必然的にカイロ宣言、ポツダム宣言、東京裁判、あるいは敵国条項を想起することになるであろう。



四 「慰安婦の嘘」犯罪の条文案



 それでは「慰安婦の嘘」犯罪を具体的に考えてみよう。



1 制定するべき諸国

 

 まず「慰安婦の嘘」犯罪を処罰する刑法を制定するべき国はどこかである。

 言うまでもなく、無責任な「慰安婦の嘘」発言を繰り返してきたのは日本の政治家や評論家たちである。インターネット上でも無責任な放言が氾濫している。「慰安婦の嘘」発言の主体は日本人であることが圧倒的に多い。そして被害者はアジア各国の被害女性(サバイバー)たちであり、その家族であり、彼女らと同じ民族に属する人々である。犯罪を抑止する観点からも、歴史的な責任からも、日本刑法に「慰安婦の嘘」犯罪を盛り込むべきである。ドイツが「アウシュヴィツの嘘」犯罪を制定したように、日本には「慰安婦の嘘」犯罪を制定する責任がある。

 もっとも、「慰安婦の嘘」犯罪を加害国である日本にだけ制定するべきということにはならない。欧州でも、ナチス・ドイツによる被害を受けたフランス刑法に「アウシュヴィツの嘘」規定が採用されている。中立国だったスイスにも、フランコ政権だったスペインにも同様の法律がある。

 それゆえ、日本以外の東アジア各国においても「慰安婦の嘘」犯罪を制定するべきである。朝鮮、韓国、中国、台湾、フィリピン、そして東南アジア諸国においても、「慰安婦の嘘」犯罪を制定することが必要である。

 被害国側から「慰安婦の嘘」発言が出て来ることはないから立法する必要がない、と考えるべきではない。

 第一に、欧州における「アウシュヴィツの嘘」立法と同様に、日本軍国主義による侵略と植民地支配の事実を否定することを許さない国際社会の意思を東アジア各国は明確に示すべきである。「アウシュヴィツの嘘」と「慰安婦の嘘」をともに伸展させることによって、ファシズムと闘い、民主主義を擁護する国際秩序の発展に寄与することができる。

 第二に、日本において「慰安婦の嘘」発言を行った人物が東アジア各国を訪問したならば身柄拘束し、それぞれの国において裁判を行うことができるように、領域的管轄権を明示しておくべきである。普遍主義に立った管轄権である。そうすることによって、「慰安婦の嘘」発言をした人物は東アジア各国を訪問できなくなる。つまり、安倍晋三首相が東アジア各国を訪問できなくさせることができる。現職の首相である間は、一九六一年の外交関係に関するウィーン条約の趣旨から言って安倍晋三を身柄拘束することも裁判にかけることもできないが、将来、首相を辞めた後に東アジア各国を訪問すれば逮捕されるかもしれないという状況をつくることである。「慰安婦の嘘」犯罪法の政治的意義である。

 以上の理由から、日本をはじめとする東アジア各国において「慰安婦の嘘」犯罪を立法するべきである。



2 条文案



 それでは具体的な条文はどのように書かれるべきであろうか。十分な検討はできていないが、欧州における立法例に倣って、案文をつくってみよう。



A案:刑法第**条 公開集会、文書配布により、その他の形態のメディア・コミュニケーションにより、又は公開されるべく設定されたコンピュータ・システムによって、人種、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて、特に戦争犯罪又は平和に対する罪及び人道に対する罪の否定を通じて、人又は集団を中傷又は侮辱した者は、六月以上五年以下の刑事施設収容とする。



 A案はポルトガル刑法第二四〇条に倣った記述である。

第一に「公開集会、文書配布により、その他の形態のメディア・コミュニケーションにより、又は公開されるべく設定されたコンピュータ・システムによって」という形で、行為態様・手段を明示している。日本刑法の名誉毀損罪や侮辱罪の規定は、行為態様・手段をほとんど示していない。名誉毀損罪は、公然性と事実の摘示を掲げているが、手段を問わない。侮辱罪は公然性を掲げるだけである。それに比較して、A案は主要な行為態様を列挙している。

第二に「人種、民族的又は国民的出身、宗教、性別又は性的志向に基づいて」として、差別的動機を示す。日本国憲法第一四条は「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」としているので、この表現に合わせることも考えられる。

第三に「特に戦争犯罪又は平和に対する罪及び人道に対する罪の否定を通じて」として、歴史否定発言を視野に入れている。ドイツ刑法は「行為を是認し、その存在を否定し又は矮小化する」、フランス刑法は「疑いを挟む」、リヒテンシュタイン刑法は「否定、ひどい矮小化又は正当化」、スペイン刑法は「正当化」、スロヴァキア刑法は「疑問視、否定、容認又は正当化」、マケドニア刑法は「公然と否定、ひどく矮小化、容認又は正当化」、ルーマニア法は「美化すること」としている。これらに倣って検討する必要がある。

第四に「人又は集団を中傷又は侮辱」として、被害結果を示している。集団を対象とする点が、日本刑法の名誉毀損罪や侮辱罪との相違である。いかなる集団を対象とするかは、右の差別的動機の記述に判断することになる。



B案:刑法**条 いかなる手段であれ、公の場で、ホロコースト、ジェノサイドあるいは人道に対する罪、又はその帰結を、疑問視し、否定し、容認し又は正当化することは、六月以上五年以下の刑事施設収容又は罰金に処する。



 B案はルーマニアのファシスト・シンボル法に倣った記述である。

第一に手段は特定せず、「公の場で」という形で公然性の要件を示している。日本刑法の名誉毀損罪と類似しているが、事実の摘示が掲げられていないので、事実を摘示しない意見表明もこれに含まれる。その点に疑問が生じるようであれば、事実の摘示要件ないし類似の文言を加えるべきか否かを検討することになるだろう。

第二に「ホロコースト、ジェノサイドあるいは人道に対する罪、又はその帰結」として、否定の対象を明示している。これだけだと、人類史上のあらゆるホロコースト、ジェノサイド、人道に対する罪が含まれるとの異論が提起されるかもしれない。東アジアにおける歴史を踏まえれば、このような異論に根拠がないことは明らかである。ただ、異論が強いようであれば、後述の定義規定を挿入する方法も考えられる。

第三に「疑問視し、否定し、容認し又は正当化すること」という行為態様を掲げている。B案では、差別的動機への言及がない。

 A案、B案いずれも、東アジアや日本軍国主義という特定をしていないため、幅広く解釈される危険性が指摘されるかもしれない。しかし、欧州諸国における立法がそうであるように、東アジア各国においてこの種の立法を行えば、その意味内容は直ちに明らかになるのであって、曖昧であるとか、不明確であるということはない。曖昧であるとか、不明確であるなどと主張するのは、加害側の日本人であろう。被害側にとっては、これほど明確な条文はない。

 とはいえ、刑法規定はできうる限り明確である必要がある。被告人となるかもしれない市民の立場から言って明確な犯罪規定が望ましい。東アジアでは第二次大戦後にも朝鮮戦争やベトナム戦争が闘われたので、それらとの区別も必要となる。そうであれば、条文の中に定義規定を設けることが考えられる。例えば、次のような限定である。



C案:刑法**条第二項 前項における「戦争犯罪又は平和に対する罪及び人道に対する罪」とは、一九四六年一月一九日の極東国際軍事裁判所憲章に基づいて設置された極東国際軍事裁判所の管轄権に含まれる犯罪を指す。



 先に触れたように、東京裁判では人道に対する罪が適用されていないが、極東国際軍事裁判所憲章は「極東ニ於ケル重大戦争犯罪人」による人道に対する罪を管轄対象に含めている。

 なお、極東国際軍事裁判所憲章はカイロ宣言やポツダム宣言を前提としているから、日本軍国主義による犯罪を扱っている。それゆえ、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下や東京大空襲などの無差別爆撃の犯罪は対象外とされている。






 最後に、「慰安婦の嘘」犯罪法の意義について考えてみよう。その政治的意義については先に示した通り、第一に、人道に対する罪のような巨大な犯罪の被害をこうむった東アジア各国において、これらの犯罪を許さないことを明確に意思表示し、これらの犯罪被害者を改めて傷つけるヘイト・スピーチに厳しく対処することを意思表示することである。反ファシズムと民主主義の課題は今もなお失われていない。むしろ、現代世界の現実を見るならば、グローバル・ファシズムが席巻しつつある(木村朗・前田朗編『21世紀のグローバル・ファシズム』耕文社、二〇一三年)。

 第二に、具体的には日本で無責任な「慰安婦の嘘」発言を繰り返す人物は東アジア各国を訪問できない状況をつくることである。

 運動論的意義も考えておく必要がある。日本による被害の補償を求める被害者(サバイバー)たち、その要求を支持し、支援してきた戦後補償運動は二〇年以上の歴史を有するが、一部を除いて、要求実現を果たしていない。無念の思いを胸に他界した多くの被害者たち、多くの支援者たちがいる。こうした現状を前に、戦後補償運動は何をするべきなのか。補償と謝罪の要求運動を従来通り粘り強く続けるべきことは当然であるが、それに加えて、さまざまなアイデアを持ち寄り、真相解明、謝罪、補償、再発防止、教育の実現に挑んでいく必要がある。その一環として「慰安婦の嘘」犯罪法の制定運動を加えるべきである。

 憲法的意義も補足しておこう。日本ではヘイト・スピーチ法に反対する勢力が極めて強い。憲法学者の多くが「ヘイト・スピーチといえども表現の自由である」という無責任な主張に固執している。「民主主義国家ではヘイト・スピーチの処罰はできない」などと虚偽を並べたてる。しかし、EU諸国はすべてヘイト・スピーチ法を持っているし、一〇カ国以上に「アウシュヴィツの嘘」法がある。東アジアでは中国にヘイト・スピーチ法があるが、韓国にはヘイト・スピーチ法がないようである。民族紛争や宗教対立を始め世界的にヘイト・スピーチが増加し、その対策が求められている現在、各国において国際人権法に従って個人の尊重や法の下の平等や基本的人権の尊重を考えるならば、ヘイト・スピーチ法の制定が重要となって来るはずだ。その議論を巻き起こすために「慰安婦の嘘」法制定は重要な触媒となるであろう。世界の現実に目をふさいでいる憲法学も、少しは勉強し始めるかもしれない。

 最後に国際人権法的意義である。二〇一二年、国連人権高等弁務官事務所主催の一連のセミナーにより国際法専門家作成の「ラバト行動計画」がまとめられ、国連人権高等弁務官はヘイト・スピーチ処罰法を広く制定することを推奨した(前田朗「差別煽動禁止に関する国連ラバト行動計画(一)~(六)」本誌五七一号~五七六号、二〇一三年)。

 二〇一三年、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会は一般的勧告三五を公表して、ヘイト・スピーチ法の制定を呼びかけた(前田朗「『人種主義的ヘイト・スピーチと闘う』勧告」本誌五八〇号、二〇一四年)。

 それゆえ、東アジア各国は、ヘイト・スピーチ法の一種である「慰安婦の嘘」犯罪法を制定するべきである。「慰安婦の嘘」犯罪法を制定した諸国は、それを人種差別撤廃委員会に報告するべきである。また、国連人権理事会で行われている普遍的定期審査(UPR)においても、各国は互いにヘイト・スピーチ法の制定を促すことができるし、現に行われてきた。「慰安婦の嘘」犯罪を立法した諸国はUPRの際に、日本政府に対して「慰安婦の嘘」犯罪法の制定を勧告するべきである。

 また、東アジアにおける人権状況に関心を有するNGO、及び戦後補償運動は協力して、人種差別撤廃委員会におけるロビー活動を展開し、日本政府にヘイト・スピーチ法、「慰安婦の嘘」法の制定を要求するべきである。国連人権理事会におけるロビー活動を通じて、各国政府に、日本政府に対してヘイト・スピーチ法、「慰安婦の嘘」法を制定するよう勧告することを求めていくべきである。

 以上を通じて、東アジア諸国及び諸人民は国際人権法の発展を強力に推進することができる。