福島至編『團藤重光研究――法思想・立法論、最高裁判事時代』(日本評論社)
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8228.html
東京大学名誉教授、元最高裁判事、元宮内庁参与の團藤重光(
1913~
2012年)は、戦中から戦後にかけて日本刑事学を代表する研究者であり、戦後の刑事訴訟法制定に大きな役割を果たし、独自の人格責任論をはじめとする刑法理論を構築し、最高裁判事としては「リベラル派」として重要判決にかかわり、退官後は日本を代表する死刑廃止論者として活躍した。その研究の深さと広さは他の追随を許さない。
團藤はその蔵書や膨大な資料類を、親戚にあたる福島至(龍谷大学教授、刑事訴訟法学者)の在籍する龍谷大学に寄贈した。「團藤文庫」と呼ばれる。
龍谷大学矯正・保護総合センターの「團藤文庫研究プロジェクト」は
2013年に活動を本格化させ、さまざまな聞き取りや調査研究を行ったという、成果の一部は「特集 團藤文庫を用いた研究の可能性」龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報第6号(
2016年)にまとめられているが、これに続く成果が本書である。
http://rcrc.ryukoku.ac.jp/research/book34.html
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<目次>
はしがき
序章 團藤重光研究の意義と本書の概要……福島 至
第1部 團藤重光の法思想・立法論
第1章 法学教育史から見る法制史についての一考察
ーー東京帝国大学生・團藤重光の受講ノートをたよりに
……畠山 亮
第2章 満蒙問題と團藤重光
ーー團藤文庫所蔵「蒙古聯合自治政府」法制関連資料の紹介
……岡崎まゆみ
第3章 東大と防空
ーー團藤重光と東京帝国大学特設防護団法学部団
……太田宗志
第4章 法学の研究動員と團藤重光
ーー戦時下の学術研究会議を中心として
……小石川裕介
第5章 改正刑法準備草案と團藤
ーー名誉に対する罪をめぐる戦前・戦後の刑法改正事業
……高田久実
第6章 團藤重光の人格責任論ーーその形成過程に着目して
……玄 守道
第7章 昭和
28年刑事訴訟法改正と團藤重光
……出口雄一
第8章 團藤文庫『警察監獄学校設立始末』から見えてくるもの
ーー明治
32年・警察監獄学校の設立経緯
……兒玉圭司
第2部 最高裁判事としての團藤重光
第9章 最高裁判例の形成過程と團藤重光文書
ーー国公法違反被告事件(大坪事件と猿払事件)をめぐって
……赤坂幸一
第
10章 学者としての良心と裁判官としての良心
ーー共謀共同正犯についての團藤意見を中心として
……村井敏邦
第
11章 凶器準備集合罪の法益と團藤補足意見
ーー
1983(昭和
58)年6月
23日最高裁第一小法廷判決
……古川原明子
第
12章 迅速な裁判を受ける権利の保障をめぐって
ーー多数意見と團藤少数意見
……福島 至
第
13章 流山事件最高裁決定と團藤重光補足意見の意義と特徴
……斎藤 司
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福島至「序章 團藤重光研究の意義と本書の概要」は、1)團藤文庫が寄贈された経緯、2)團藤文庫研究プロジェクトの経緯、3)本書の趣旨と構成、を略述する。團藤文庫の整理、分類、公開はまだ途上にあるが、共同研究の一定の成果を示すために本書を編んだという。
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畠山亮「第1章 法学教育史から見る法制史についての一考察――東京帝国大学生・團藤重光の受講ノートをたよりに」は、團藤の学生時代の受講ノートを基にした研究である。團藤は、牧野英一の刑法、我妻栄の民放、中田薫の西洋法制史等の受講ノートを残した。畠山は、そのうち中田・西洋法制史の受講ノートを基に、法学教育史という観点で研究を進める。中田は学生向けの教科書等を執筆しなかったため、受講した学生たちが作成した講義ノートが多数残されているというが、それらと團藤の受講ノートを比較することによって、一方では中田の講義の変遷が判明し、他方で学生・團藤のまじめな勉強ぶり、受講ノートの完成度の高さを知ることができる。なかなかおもしろい論文だ。
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以下は余談。
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私は学生時代、まじめにノートを筆記したほうだが、その時のための走り書きのノートにすぎず、保存していない。法学部学生時代に受講した授業の記録はなく、記憶もどんどん薄れていくのは残念なことだ。
学生時代に受講した講義で感銘を受けたのは、第1に高島善哉の「社会科学」だ。大学1年の時だから
1974年度の講義である。高島はマルクス主義系統の、アダム・スミス研究者、経済学・社会学者で、当時すでに一橋大学名誉教授だった。視力が弱りつつあった時期で、杖をついて歩き、パートナーや助手らしき人が付き添って教室に来ていたと思う。高島は、ノートも何も見ずに、記憶だけで立派な講義をしていた。平田清明の市民社会論が大きな論争を巻き起こした時期でもあったので、高島の授業を受けることができたのは幸運だった。
第2に佐藤功の「憲法」だ。これも
1974年度である。日本国憲法制定に携わった佐藤は当時、上智大学教授だったが、非常勤講師として中央大学政治学科の「日本国憲法」を担当していた。佐藤の『日本国憲法概説』を手に受講した。佐藤は話しが非常に上手で、冗談が得意だった。教壇に立って、憲法制定過程のエピソードを身振り手振りを交えて、おもしろく語り、学生を笑わせた。どこまでが本当で、どこが脚色だったのか、学生にはわからなかった。
履修したのは、橋本公亘の「憲法」だが、あまりなじめなかった。橋本の『日本国憲法』は、アイヌ民族を「旧土人」とする北海道旧土人保護法を積極的に評価していたので、最初に拒否感を持ってしまったためだろう。後に橋本は「憲法変遷論」を唱えて、自衛隊合憲化に乗り出したことで社会的話題となった。
第3に山田卓生の「民法(債権法)」、
1975年度の講義だ。大学2年生だったので、3年次指定の山田の講義を履修することはできなかったが、次年度に山田がサバティカルでドイツに行くと聞いたので、2年生の時に授業を聴講した。山田は帰国後、ほどなくして横浜国立大学に転じたので、
75年度に無理して全授業を聴講したのは大正解だった。
第4に櫻木澄和の「刑法」、
1976年度及び
77年度の講義だ。私が履修したのは下村康正の「刑法」で、これも面白い授業であったが、たしか夜間部で櫻木が刑法を教えていたので、これもすべて聴講した。櫻木の「刑法総論」は、1年かけて犯罪論の「構成要件論」を終わらなかった。「1年では責任論にたどりつくのがやっとで、未遂論や共犯論にたどりつかない」というのはよくある話だが、櫻木は一番最初の「構成要件論」が終わらない。違法論も責任論も未遂論も共犯論も、
76~
77年度にはやらなかったと記憶している。なにしろ「刑法総論」の講義で、櫻木はシステム工学、創造工学、人格理論の話をしていたし、マルクスの『経済学批判要綱』を取り上げることも良くあった。
78~
79年度、私が修士課程の時には、なんとか違法論や責任論もやっていたが、たぶんどこかからクレームがついたためだろう。
櫻木論文に驚嘆し、「学問」を志すことになったことは、よく話してきた。大学院で指導教授に選んで以後のことは、前田朗『黙秘権と取調拒否権』(三一書房)第7章及びあとがきに書いた。
https://31shobo.com/2016/05/16008/