Saturday, May 30, 2020

時代と格闘するとはどういうことか


鵜飼哲『まつろわぬ者たちの祭り 日本型祝賀資本主義批判』(インパクト出版会)

http://impact-shuppankai.com/products/detail/293

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『思想運動』(1053号、6月1日)の依頼で「いま読みたいこの三作」を紹介したので、その一作にあげて紹介した。3月以来、外出自粛のため時間はたくさんあるが、なかなか本を読めない。原稿を書くのに必要な本はなんとか読んできたが、じっくり読もうと思う本は頭に入らない。集中力がないためだ。オンライン授業の準備に追われていることもある。

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<私たちは「未来の残酷さ」のただなかにいる。

地震、津波、原発事故の三重の打撃によって政治的、社会的な未曾有の危機に陥った日本資本主義が、スポーツ・ナショナリズムの鞭を全力で振るって、なりふり構わず正面突破を図ろうとしている。

天皇代替わり、そして2020 東京オリンピック・パラリンピック――

いま、国民国家主義とグローバル資本主義を媒介する巨大スペクタクルに呑み込まれないために。>

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 「災厄のポリティクス」「境界から歴史をみつめ直す」「日本型祝賀資本主義批判──天皇代替わりとオリンピック・パラリンピック」の3部にまとめられた文章の数々が、鵜飼哲ワールドをつくりあげる。2010年代の日本――福島原発事故、歴史歪曲、天皇代替わり、そして東京オリンピックへ――の狂乱と崩落を、力ずくで統合しようとする「日本型祝賀資本主義」の倒錯と暴力を鵜飼は言葉の銃弾で撃ち抜く。

 鵜飼流の批判の作法は定型化できない。歴史を遡行し、論理を組み替える。言葉の表層を掠めるかと思うと、深層からぶち抜く。直喩あり、暗喩あり、比喩の限界の指摘あり。時の彼方から迎撃することもある。<フクシマ>と<ヒロシマ>の交差点に思想の爆弾を投下する。原発政策と対抗運動の弁証法的展開を追跡するかと思うと、境界のリミットに身を浸して現状を測定し直す。実証的データに基づく批判と、目の覚めるような飛翔する論理を巧みに操る。

 鵜飼流の批判の作法は「ともに考えること、闘うこと」に差し向けられる。どこからでも、だれであっても、ともに闘いのフィールドに参戦できる。思想の愉しみを満喫しながら、自分を鍛え、他者との共感を実感しながら、私たちは鵜飼の闘いをコンマ1秒遅れで滑降することができる。

 とりあえずTOKYO2020は阻止した。モリ、カケ、サクラ、そしてクロカワの<惨事自招型資本主義>のアベシンゾーと別れを告げるため、TOKYO20202021阻止に向けて、次の一歩を。

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鵜飼哲はどこから到来したか

鵜飼哲『テロルはどこから到来したか――その政治的主体と思想』(インパクト出版会)

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/03/blog-post_66.html