Thursday, July 23, 2020

黒川賭け麻雀問題・検察審査会審査申立書公開


周知のように、7月10日、東京地検は、賭け麻雀の黒川弘義・元検事長を不起訴処分にしました。処分決定通知書には「不起訴」と書いてあるだけで、その理由すら示されていません。
7月21日、私たち121人は東京検察審査会に、不起訴処分を不服として審査請求を行いました。
朝日新聞、産経新聞、赤旗はもとより、共同通信の配信により全国の各紙にも報道された通りです。
検察刷新とやらの御用会議がつくられていますが、検察の焼け太りになる恐れがあります。
黒川と検察と安倍政権の破廉恥な犯罪を、市民の手で追及していきましょう。
審査申立書本文を下記に紹介します。

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  別紙
                審  査  申  立  の  理  由
 被疑者黒川弘務に対する今次不起訴処分は、公訴提起について検察官に付託された裁量権の公正な行使を甚だしく誤り、これを濫用した違法の処分であり、到底認められてはならないものである。以下に、これについて述べる。

1 今次処分について、告発人に対しては単に「不起訴」と通知されたのみであって、理由の内容は全く秘匿されている。ましてや、不起訴に際して地方検察庁庁内に於いて作成されているはずの「不起訴裁定書」ないしその内容は全く秘匿されている。
  このため、告発人としては、不起訴の理由については、東京地方検察庁が新聞記者に対して広報したとされる内容を、新聞等によって窺うほかない。これは、告発人の立場を甚だしく軽視したものであって、極めて遺憾である。
    告訴・告発、また検察審査会の制度の趣旨に鑑みれば、告訴・告発人が不起訴の理由を正確に知り、検察の重要な事務運営に対して主権者としての意見を述べることが出来るようにすべきである。
  したがって、不起訴裁定の内容が正確に告知さるべきである。

2 上記のとおりであるのであるが、不適切な検察行政・事務運営の結果、告発人らは報道によってしか不起訴の理由を知り得ないので、やむをえずこれに基づいて、本件審査申立の理由を述べる。
  今次不起訴処分(起訴猶予)の内容は、以下のとおりとされている。
 ① 被疑者の行為に常習性は認められない。
 ② 掛金も、少額であって、世間で一般的に行われている程度で、違法性がない。
 ③ すでに社会的制裁も受けている。

  しかしこれらは、全く失当であり誤りである。
   以下、これを論ずる。

  「常習性がない」との評価について
  ア 常習性とは、確立した判例・刑法学の通説によれば、「当該犯罪が偶発的・機会的に行われたのではなく、当該非違行為に対する人格の一定の親和性が存在しており、継続的反復への主観的性向の存在が認められ、その発露として犯行が行われたと評価される場合」とされている。
 それゆえ、「多数回反復された場合はもちろんであるが、ただ一回であっても、そのような親和性・主観的性向の存在が認められる場合には、常習性が認められる」とされている。
 そして、「多数回の継続・反復」は、それ自体客観的に「常習」というべきであり、かつ主観的にもそこに強い親和性・主観的性向の存在が推認されると解されている。
 そのような事態は、当該犯行が偶発的・機会的に行われたなどと評価出来ないことが明白である。

   イ 本件の場合、この10年間以上に亘って被疑者が、赤坂・新橋などに所在する麻雀屋で、賭け麻雀に興じてきたことが明らかにされているところ最近では、本件産経新聞記者宅に於いて、頻回に行われて来たことが明らかになっている。

ウ 最近の、被疑者・新聞記者らとの麻雀に於いては、現金が賭けられたことが本人によっても自認されている。
  しかして、現金が賭けられたのは最近の勝負にであって、過去には賭けられていなかったなどと考える事は出来ない。そのようなことはありえない。最近になって特に現金が賭けられ始めたなどという事情は存在していないし、そのようなことは格別に考えられないから、過去に於いても現金が賭けられていたことが明らかである。
  更に被疑者は毎回、産経新聞記者の手配するクシーで帰宅するという便宜を受けていたのであるが(これも違法である)、このタクシーの運転手が過去に、「今日は10万円負けた」などと被疑者がぼやいているのを聞いたという事実もある。
   エ 常習犯の成立には、上記のとおり、多数回・継続・反復という要素は必ずしも必要ないとされているのであるが、本件の場合、これらの要件も充足されていることが明らかである。このような客観的事実に反映され露呈された主観性、被疑者の人格の性向は自ずと明らかであろう。

   オ また、本件犯行は1ヶ月ほどの間に、本件告発に於いて具体的に取上げた行為だけでも、4回にも及んでいるのであって、このような被疑者の姿は、賭け麻雀の継続的実施に向けた強い意欲の存在していたことが明白である。

カ  とりわけ、本件犯行期間は、新型コロナウィルス罹患症の大規模な流行の事態が発生し、政府が「緊急事態宣言」を発し、国民に対して「密閉・密集・密接」のいわゆる「三密」の回避が呼掛けられ、そのために、相当数の事業・業務が自粛要請され、経営者や労働者など関係国民が塗炭の苦しみに喘いでいるという状況であった(すでに、この自粛政策によって、倒産企業は3万件以上に達している、またこれに伴って失業の問題も深刻化している)。
  被疑者は、検察のNO.2という高級国家公務員として、国民に対してそのような自粛を要請している政府行政機関の、重要な一翼にある者であったから、率先垂範して三密回避についてしかるべき行動をとるべき責務があったことは、論ずるまでもなく明らかであった者である。
 しかるに、それにもかかわらず、高級国家公務員としての任務に違背しても、まさに行政府が強調する<不要不急>の典型であり、<三密>そのものである賭博麻雀を行わずにはいられなかったというその心性は、もはや依存症の域にも達していたとさえいうべきである。そこには、賭博麻雀行為に対する強い心的親和性・傾向性の存在が明白である。

   キ 以上、長年の習癖、極く短期間に於ける、職業的・地位からする責務にも敢えて違背した継続的反復という客観面、および、賭博麻雀に向けた依存症的・中毒的心性という主観面、両々相俟って、本件に於ける常習性の存在は、明白である。
 ② 「違法性が低い」との評価について
     今回の処分の理由として、掛け金がさして大きくなかったことが理由とされている。しかし、これは大きな誤りである。
  イ そもそも、一定の賭けが行われた場合にも、それがその場での「一時的な娯楽に供する」ものであった場合には、賭博罪には当たらないと解されているが、しかし、「現金を賭けた場合には、それ自体で『一時的娯楽』などとは解されない」とされており、賭博罪を成立させるものと解釈運用されていることが、決して看過されてはならない。
  ウ また、今回「掛け率がさして高いものではなかった」ことが、違法性判断に於ける重要要素とされている。
 しかし、これも誤りである。仮に、箇々の勝負の掛け率が低かったとしても(これについての被疑者の供述は、全く信用できないが)、この勝負が多数回反復されれば、全体として動く金額は巨大なものになることは当然である。動いた掛け金については、1回の勝負についてのみ孤立的に評価すべきではない。当該勝負の全体が行われた一座において、やりとりされた金額の総額で評価さるべきである。なぜなら、同一人が連続的に行っている一箇の行為であるからである。
 (なお、被疑者が「今日は10万円負けた」とぼやいていた旨がタクシー運転手によって聞かれた事実も、軽視されるべきではない。たしかに、この時の賭博行為の年月日は特定できず、告発対象ではないのであるが、しかし、本件告発にかかる行為は、このような一連の行為の中の一定の行為であることが、決して看過さるべきではない。)
   エ なお、改めて言うまでもないことであるが、最終的な得喪金額の多寡等は一切無関係である。行為者間に大きな技𠈓の差がなければ、結果は自ずと平準化してゆくことになるかもしれないが、しかしだからといって、常習賭博行為の違法性が軽減されるものでないことは当然である。大きな金額が動いた事実は、参加者個人の最終的損得の結果如何には、全く関係がないからである。動く金額それ自体に着目し、その全体によって違法性は判断されなければならない。
     ところで本件被疑者は、折から安倍内閣がごり押ししようとしていた検察官定年延長問題のまさに当事者そのものであったから、本件は世の非常な注目を集めた。
 しかるに、早々となされた本件不起訴処分によって、早くも
    「テンパーであれば賭博罪にならないんだ」
    「この程度の掛金であれば、いくら金を賭けても麻雀賭博はいいんだ」
    「検察庁がそう言っているのだから」
等々の一般的認識が、社会的に醸成され拡大しつつるという現実が存する。
 当然であろう。日本中が注目している、検察官高官の犯罪について、検察庁が不起訴処分にしたのであるから、検察庁自身が一定の規範・基準を世の中に明示したものと、社会は受取ったのである。
 検察官の起訴運用にはいわゆる一般予防的な政策的見地から、しばしば「一罰百戒」ということがなされる。検察の行動は、社会に一定の規範・規準を示すという効果が存在しているのである。本件にあってもしかりである。
 しかしが、本件はまさに「一罰百戒」とは全く逆であって、「一免百許」ともいうべき処分であったのである。このために、賭博・常習賭博について、これを非規範化・非犯罪化するという社会的効果を生んでいるのである。
 本件の違法性評価には、このような事実をも直視すべきである。
 検察庁は、これでよいのであろうか。

  「すでに社会的制裁を受けている」との評価について
   ア 被疑者のような高い地位・権限・責任を負っていた高級国家公務員が、その責務に違背していたのであるから、強い社会的非難を浴びるのは当然のことである。
    しかしこれは、その地位に伴う、一箇の自動的・反射的当然の効果というべきであって、被疑者が個人として具体的に制裁を社会的に受けたというものではない。ここが決して混同されてはならない。
イ そもそも、「国家公務員が賭け麻雀を行った場合、その金額如何にかかわらず懲戒処分相当」というのが、人事院から示されている規範である。
 (東京高等検察庁は、非違行為等防止対策地域委員会を組織し、綱紀の厳正に努めているとなされている。この委員会は「品位と誇りを胸に」との冊子を作成し、検事・全職員に配布し、その実を挙げようとしている。
 三訂版29頁には、「第6 懲戒処分」が記載されている。それによると、
   国民全体の奉仕者たるにふさわしくない飛行のあった場合
には、懲戒処分がなされる旨明記されており、そのうえで、人事院から示されている「懲戒処分の指針」が掲載されている(30頁以下)。
 これによれば、「3 公務外非行」の欄に該当する本件にあっては、常習賭博の場合は、「イ 停職」相当であり、「ア 賭博」に該当する場合は「減給ないし戒告」
とされている。現に、「告発状」(18頁)にも記載したとおり、つい最近である
2017年に、自衛官9名が停職処分を受けている・・・掛金レートは本件に同じ
「点ピン」であった。)
ウ この人事院の指針・過去の運用事例からするならば、当然本件は悪質なケースとして、「停職」が相当であった。本件に於いても考慮されるべき「社会的制裁」ということがあるとするならば、まさにこのことであるのである。
 しかるに、安倍政府は例によって「任命責任を痛感」などと通り一遍の見解を述べつつ、他方で法務省に手を回し、懲戒処分ではない単なる検察内部限りでの「訓告」処分をなさしめて、更に本人に辞職させ、懲戒処分を封じてしまった。むしろ、社会的制裁を封じてしまったのである。
 そして5000万円近い退職金も、間髪を容れず支払われてしまった。
エ こうして、本件では、これ以上のお咎めがなければ、弁護士資格にも影響はないから、いずれほとぼりが醒めた時点での、弁護士登録、開業もありうるとされている。
オ これらのどこが一体、「大きな社会的制裁も受けている」であろうか。
  全くふざけた話である。

 ④ 本件不起訴処分の強い政治性
   ア 以上、東京地検が挙げたとされている「理由」には、全く合理性がない。 本件については、完全に常習賭博罪が成立することは明白である。
    起訴され、厳しく刑事責任が追及さるべき事案であることが明白である。
  イ すなわち、検察は、社会の成員に対しては、厳しく規範遵守を求めて、規範からの逸脱者に対しては、「秋霜烈日」などと標榜しながら、刑事処分を発動し、場合によってはその社会的生命を絶つほどの強い権力を行使してきた。
        賭博罪・常習賭博罪自体も、まさにそのように運用され適用されてきた。
  ウ 東京高等検察庁検事長とは、そのような日本の検察組織にあって、検事総長に次ぐ地位にある最高権力者である。このような存在である被疑者には、強い職業倫理・規範意識を自ら固持しこれを実践すべきことが要求されるものであることは、改めて言うまでもなく当然である。
     ところで、本被疑者は検察官在任中は、何かと政府関係者の犯罪のもみ消しに功があったとみなされていたのであり、「政権の守護神」などとも評されいた。
 上記「ウ」の如き地位にあった検事である被疑者が、前記のとおりの公務員が強い綱紀意識をもって行動しなければならない時期・状況にあって、これに反する事が明らかな、かかる破廉恥犯罪を犯していた(本件処分は、「起訴猶予」であるから、犯罪行為であったことそれ自体は東京地方検察庁も認めているのである)などというのは、全く許しがたい事態である。
 オ  しかるに東京地方検察庁は、早々と本件を不起訴にしてしまった。その理由の不合理性は前記のとおりである。
        なお若干繰返すが、このことの社会的受止め(賭博・常習賭博の違法性に関する合法観)について、指摘した。
    カ   ところで、この規範・規準問題について、本件によって、検察庁として、「賭博罪・常習賭博罪についての解釈運用に関し、従前のそれを改め、非犯罪化の方向に転じたのか」というならば、「そのようなことは全くない」となされることは、間違いがないであろう。
 であれば、そのようにも解され、また世人はそのように解そうとしている状況に於いてなお、東京地方検察庁は、なにゆえに敢えて、早々と不起訴処分にしたのか。
  それは明らかである。本件被疑者の政府(特に安倍内閣)との密着した関係、及びこれに由来する不明朗な検察官・法務官僚としての行動は、国民の間に強い不信感を巻き起こした。しかし政府は、本件被疑者の処遇をも配慮したうえでの、検察庁法改定まで強行しようとした。このため国民の検察不信も沸騰した。これを憂慮した有力な検察OBから声明が出されるに至ったことは周知のところである。
 このような経過を経て、検察庁では、検事総長が交代し、林真琴検事総長態勢に移行した。
 新検事総長は「検察の公正」「国民の信頼の回復」を強調している。
 今回の処分は、そのような検察態勢の再編と、時期を同じくして行われた。
 その意図は明らかである。すなわち、黒川問題を早く決着させることにより、これを旧体制に発した不祥事であり、過去のものとしてしまい、検察の一種の禊ぎとして、行われたものである。検察の新体制は、黒川問題が刑事事件として公開法廷で、その実態が明らかにされることを忌避しようとしたのである。そのための不起訴であった。明らかな政治的不起訴である。
    ク  しかし、そのような隠蔽策によって、検察への信頼感が回復されるものでないことは、多言を要しない。
     国民の信頼感の真の回復は、かつての身内の検事であろうと(過去の身分となってなってしまったことは、安易に退職を認めてしまった、法務省の大きな過誤である)、<罪は罪として厳正に真実を究明し、それに相応しい処罰を裁判所に求める>こと、それによってこそ、初めて達成されるのであることは改めて言うまでもない。
 このように、本人に甘い処遇をなしつつ(5000万円近い退職金など、国民は絶対に納得出来るものではない)、真実の隠蔽に隠蔽を重ねて、検察の自己保身が図られている現状は、「検察の威信と信頼の回復」など到底不可能とするものである。
 検察への国民の信頼の回復は、まず、本件について厳正に検察の責務が果たされること、それが、まず第一の最初の出発点である。
ケ  麻生大臣は、「日本人の民度の高さ」を強調しているようであるが、しかし、「民度」が民主主義社会としての成熟の度合いを言うのであるならば、本件被疑者のような高官を戴き、更に、当該高官の刑事犯罪に対して曖昧至極の処分が急行され、検察自身によって本件処分の如き寛恕がなされて真実に蓋がされ、主権者たる国民には全てが隠蔽されてしまうような社会の「民度」が高いなどとは到底言えないことは多言を要しない。

3 結 語 
     以上、本件不起訴処分は、刑法の標準的解釈・裁判所の判例・国家公務員の綱紀に関する実務等々、あらゆる面からして甚だしい誤謬である。
 本件被疑者の検察官としてのあり方は、政府の守護神などと評されたところの、政治的検察そのものであったが、しかし今又、東京地方検察庁は本件の如き違法の処分を行って、現政府に忖度し、その防波堤となろうとしているというほかなく、主権者として怒りに堪えない。
厳正な処分のなされることを強く求める。

                                            以