星野智幸『ロンリー・ハーツ・キラー』(中央公論新社、2004年)
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オカミが君臨し、時代を区画する島国の物語。オカミ亡き後、新しいオカミを迎えた社会を、人は如何に生きるのか。果たして、人は生きているのか、生かされているのか。死んでいないだけか、死ぬこともできないのか。自分を生きることは何を意味するのか。
自分とは何か。自分を生きることなど、できるのか。考え始め、悩み始めると、誰もが答えのない中空にさまようことになる。実は誰かの真似をしているだけではないのか、と。お互いにお互いをまねし、向き合うことで合わせ鏡を生きているのではないか。増殖する不安が、諦念を生み、殺意を生み、「本物の、死者たちの世界」への渇仰に見舞われる。
オカミの交代を機に、本物の、死者たちの世界を目指す者たちが現れる。合わせ鏡の仲間を道連れに。無理心中が連鎖する心中時代の始まりだ。他者を道連れにする心中の流行は、ネット空間を支配し、社会に不安と危険を蔓延させる。殺してしまうかもしれない自分と、殺されるかもしれない自分。心中に引き込む恐怖と、心中に引き込まれる恐怖。
心中時代をいかに生き延びるか。いかに終わらせるか。この社会は生きるに値する社会になり得るか。
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今年は「星野智幸を読む」ことをテーマにしてきたが、新型コロナ禍のため仕事の状況も大きく変化し、思うように動けないこともあり、かなりスローペースになった。
『ロンリー・ハーツ・キラー』はネット空間と現実空間の交差の中で不安と恐怖に締め付けられた人々の意識と行動がどこへいくのかを描いている。新型コロナとは違うが、通じるところがあるかもしれない。
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星野智幸を読む(1)現実と妄想がスパークする
星野智幸『最後の吐息』(河出書房新社、1998年)
https://maeda-akira.blogspot.com/2020/01/blog-post_22.html
星野智幸を読む(8)人生の折り返しで再スタートするために
星野智幸『虹とクロエの物語』(河出書房新社、2006年)
https://maeda-akira.blogspot.com/2020/06/blog-post.html