Sunday, August 07, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(204)古典で読む表現の自由01

見平典「第14章 表現の自由」曽我部真裕・見平典編『古典で読む憲法』(有斐閣、2016年)

本書は学生向けの「入門書」であり、研究論文ではないが、佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』が引用していたので、初めて知った。20163月出版の本の1章が表現の自由で、内容はヘイト・スピーチ論である。佐藤は、ヘイト・スピーチ規制の積極論と消極論について、見平の整理を基に議論していた。

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見平は京都大学准教授。著書に『違憲審査制をめぐるポリティクス―現代アメリカ連邦最高裁判所の積極化の背景』(成文堂、2012年)がある。

<目次>

Ⅰ 表現の自由をめぐる闘争

Ⅱ 表現の自由の保障根拠

Ⅲ ヘイト・スピーチの規制

本論文は20163月に出版されているので、2015年以前の状況を基に書かれている。2016年のヘイト・スピーチ解消法よりも前である。

見平は2015年の野党による人種差別撤廃施策推進法案に言及し、反差別、特にヘイト・スピーチが課題となっているという。

「現代の立憲民主政諸国は、こうした表現に規制を加えるべきか長く苦悩してきた。というのも、それらの諸国では、差別の克服や少数者の保護は重要な課題とされているが、表現の自由もまた憲法上の重要な権利として保障されているからである。実際に、各国の対応は割れており、ヨーロッパではヘイト・スピーチに何らかの規制を設けている国も少なくないが、アメリカでは連邦最高裁判所がこうした規制を認めることに消極的である。」(225)

そこで見平は「表現の自由はそもそもなぜ保障されるのかという、原理的な問いに向き合うことでもある」として、表現の自由の歴史を遡る(226頁)。

見平はまずホームズ「エイブラムズ対合衆国事件反対意見」(1919)の思想の自由市場論を紹介する(227頁)。

Ⅰ 表現の自由をめぐる闘争

見平は、アメリカでは表現の自由は優越的地位にあるとし、「日本においても、憲法学界では、アメリカの影響を受けて同様の考え方がとられてきた」と確認する。

近代以前について、紀元前5世紀のギリシアと紀元前3世紀の秦の始皇帝、そして宗教改革のマルティン・ルターに言及する。

市民革命後について、ジョン・ミルトンの検閲なき出版の自由論の意義にふれてイギリスにおける表現の自由の進展を見たうえで、アメリカ憲法修正1条の制定と運用の前進を振り返る。

Ⅱ 表現の自由の保障根拠

見平は、表現の自由の展開を支えた理論・思想として、次の4つを論じる。

1 真理への到達――「思想の自由市場」論

2 自己統治

3 個人の自己実現・自律

4 表現の自由の脆さ

1 真理への到達――「思想の自由市場」論

見平は、ミルトンの議論を検討し、ホームズ判事の「思想の自由市場」論を紹介する。

「そこでは、『思想の自由な交換』が『市場の競争』を通して行われる中で、われわれは最もよく真理に近づくことができると述べられている。そして、表現の自由に対する国家の規制が許されるのは、市場競争による淘汰を待っていては間に合わない、明白で切迫した危険が当該表現によって生じる場合に限られるという。」(232233)

「ホームズ反対意見のもう一つの重要な特徴は、市場のメタファーである。『思想の自由市場』論は、国家による介入を排した完全に自由な市場における競争こそが、国家や社会に最大の利益をもたらすとの当時の経済の自由市場論を、市場に見立てた言論空間に類推している。」(233頁)

見平によると、「現代の経済の自由市場論は、当時とは異なり、自由で公正な経済市場を維持するためには、一定の国家介入の必要な場合があることを認めている」としつつ、現代でも言論空間への国家介入には消極的であるという。

2 自己統治

見平は、「民主政が打ち立てられた諸国においては、真理への到達という点とは別に、民主政の維持という点から、表現の自由を擁護する声も挙がるようになった。」(234頁)という。マイクルジョンの自由な言論の理論を紹介している。

「このような見方に従えば、民主政は表現の自由があってこそ成立しうるものであり、その意味で、表現の自由は特別な意義を有するといえる。」(235)

3 個人の自己実現・自律

見平は、表現の自由論の代表としてエマーソンの議論を紹介する。(237頁)

4 表現の自由の脆さ

最後に見平は、「表現の自由がきわめて脆いものである」とし、表現の自由が手厚く保障されるべきなのは「歴史的経験をふまえ、表現の自由がこわれやすいものであるという認識がある。」という(238)

以上の議論は、見平のオリジナルではなく、アメリカ憲法学で長年にわたって構築されてきた理論の整理である。日本でも同様のことが何度も語られてきた。見平は、その議論を手際よく、コンパクトにまとめている。しかも、ミルトン、ホームズ、マイクルジョン、エマーソンの議論を引用紹介することによって「古典で読む憲法」のわかりやすい解説を行っている。学生向けの入門書として、すぐれた解説に見える。