ハーシュ&バーギル論文を簡潔に紹介する。
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中部マグダレーナを支配した準軍隊メンバーが、コロンビア軍の同意の下に、コロンビアとヴェネズエラの国境を超えて取引をしていた商人集団を殺害した。被害者たちが準軍隊が課した「税金」支払いを拒んだことと、彼らをゲリラ集団に武器を打っていると疑ったためである。1987年10月6日、被害者たちは武器を保持していないか検問で止められた。いったん通過を認められたが、後に、準軍隊メンバーが17人を殺害し、遺体を川に捨てた。15日後、被害者の家族2人が行方不明者を探しに来たが、この2人も殺された。米州人権裁判所は、コロンビア政府が事件を速やかに捜査することなく、遅れた捜査も不十分であったとし、準軍隊がコロンビア軍の支持を得ていたと認定した。
米州人権裁判所は、コロンビア政府に、事件を捜査し、実行犯を処罰し、被害者の遺体を探し、遺族に賠償を提供するよう命じた。コロンビア政府は、被害者を記憶する記念碑を、政府と被害者遺族が協議して決めた場所に設置するよう命じられた。
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記念碑が建てられたのは、商人たちの数人が居住し働いていたブカラマンガのメインストリートの近くの子ども公園で、レストラン、アパートメント、大学、商店、病院のある地区である。高さ5.20メートル、長さ3.21メートル、幅2.87メートルの大きさである。碑文には「19人の商人の記念碑」とある。2004年7月5日の米州人権裁判所の命令に従って、1987年の事件の記念碑として、19人の犠牲者の名前が記載されている。
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ヴァレ・ハラミロ対コロンビア事件
イェスース・マリア・ヴァレ・ハラミロはアンティオキアの著名な人権活動家で、準軍隊及び国軍の協力の下で行われた犯罪を非難した。1990年代にイトゥアンゴ村で起きた虐殺を非難した後、ハラミロは、準軍隊の指揮官の使者から、国から出ていけ、黙れと警告された。殺すとの脅迫もあった。1998年2月27日、2人の武装兵がメデリンのハラミロの事務所に来て、銃撃して殺害した。米州人権裁判所は、コロンビア政府はハラミロを保護する責任ある措置を取らなかったことに責任があり、人権侵害行為を予防できなかったとした。
米州人権裁判所はコロンビアに、被害者遺族に様々の救済を提供し、人権侵害事件を捜査するように命じた。裁判所は、ハラミロの記憶を保持し、人権侵害を予防するために、アンティオキアの裁判所に記念碑を設置するよう命じた。
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メデリンの記念碑
記念碑は、ハラミロが暮らし、働いた下町のメデリンの繁華街に設置された。高さ105センチ、長さ90センチで、27階建ての建物の1階にある裁判所の壁に取り付けられた。ビルの玄関の中央部、エレベータや出入り口の近くなので、通行する人が見ることが出来る。
碑文には、ハラミロの名前、その業績(弁護士、人権活動)、コロンビア政府が1998年の殺害事件を深く遺憾に思うとし、遺族に許しを乞い、米州人権裁判所判判決に言及し、人権擁護の意義を想起している。末尾にサントス大統領の名前が刻まれている。
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(サントス大統領は2011年に重大人権被害者補償法を制定したことで知られる)