ハーシュ&バーギル論文を簡潔に紹介する。
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5 米州人権裁判所が命じた記憶の碑の影響を評価する
ハーシュ&バーギルは、2019年6月から12月にかけて、これらの記念碑の近くで168人にインタヴューを行った。男女ほぼ半数。ブカラマンガの記念碑以外は、記念碑が裁判所近辺に建立されているため、多くが法律専門家である。
記念碑がコロンビアの集合的記憶にどのように影響を与えているかを評価するために、マスメディアの調査も実施した。新聞、週刊誌、ウエブサイトである。人権侵害事件や記念碑について言及しているかどうかである。さらに被害者遺族17人にインタヴューした。
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元になった事件を知っていたのは、サン・ギルの記念碑では58.53%、ボゴタの記念碑では33.33%、メデリンの記念碑では16.66%、ブカラマンガの記念碑では12.19%である。
この数値を高いと見るか低いと見るかは、他の事件についての人々の認識がどの程度であるかとの比較による。例えば1985年のボゴタのコロンビア最高裁に対する襲撃事件については66.85%~88.88%が記憶していた。4つの記念碑の周辺の人々の多くが、記念碑の元になった人権侵害事件よりも、最高裁襲撃事件を記憶していた。
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マスメディアの調査結果としては、5つのマスメディア期間を調査したが、記念碑のもとになった人権侵害事件についての記憶は低い率にとどまる。2018~19年の187本の記事が最高裁襲撃事件について論じているが、ハラミロ暗殺事件を論じたのは45本、ロシェラ虐殺事件を論じたのは17本の記事、19人の商人事件は4本に過ぎない。記事の表題を見ると、最高裁襲撃事件は97本、ハラミロ暗殺は15本、ロシェラ虐殺事件は6本、19人の商人事件は1本に過ぎない。その意味では、米州人権裁判所判決による記念碑の事件の認識度は低いということになる。
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被害者遺族17人には長時間のインタヴューを行った。記念碑がどのような意義を有するかが中心である。17人のうち14人が、記念碑は遺族にとって非常に大きな意義があると回答した。1人は自分にとっては意義があると答え、2人はある程度意義があると回答した。毎年のセレモニーについての質問もしたが、それは後述。
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6 司法が命じた記憶の碑の影響を説明する
ハーシュ&バーギルは、これらの記念碑が社会的記憶としては低い比率しかないことを、コロンビアに政治暴力の文化が蔓延していることに一因があると見ている。コロンビアでは憲法的民主主義があるとはいえ、政治暴力が繰り返されてきた。1世紀にも及ぶ紛争が続き、虐殺、暗殺、失踪が起きた。
インタヴューで次のような回答があった。
「コロンビアではまだこんな虐殺が起きるのは悲しいことだ。何円も続いているし、終りがない。今後も見続けることになるだろう。いまだに止めることが出来ず、暴力が起きている。」
ハーシュ&バーギルは、これらの記念碑の建立に人権の専門家コミュニティが必ずしもかかわっていないために、メディアにおける認知度も高くないという。
他方、被害者遺族は記念碑について88.23%の認識を有しており、遺族にとっては非常に重要であることがわかる。被害者遺族には、記念碑が殺された被害者とその存在のシンボルであると同時に、集合的記憶を形成することに参加する場である。遺族、友人、同僚らが毎年の記念式典を催し、被害者の写真を持ち寄り、悲劇的な死を想起する。
「とても重要です。去年は娘、夫、孫たちを連れて行きました。記念碑に行って、事件を想起し、名前を読み上げました。あれこれ思い起こしました。当時の出来事、おじいさんに何が起きたかを孫たちに話して聞かせました。だから、とても重要な場です。」
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<私のコメント>
歴史的に重要な出来事や人物についての博物館や記念碑は日本にも数多い。
ただ、日本による侵略戦争や植民地支配に関連する記念碑は、この20年あまり、独特の意味合いを持たざるをえない状況にある。
忘れられていた歴史、隠された歴史の真相が明るみに出されて、各地に新たに記念碑、追悼碑が作られるようになったのは1990年代だったと思うが、同時に歴史修正主義、歴史否定主義が登場し、さまざまな形で都合の悪い歴史が消去されるようになった。
日本軍性奴隷制にかかわる「平和の少女像」は、日本では常設することができず、その展示に対する猛烈な攻撃が生じている。アメリカやドイツにおける少女像等に対する日本政府からの妨害も激しい。
強制連行・強制労働問題では、群馬の森の事例にみられるように、公共の場からの撤去が求められるありさまである。
横網町公園の関東大震災朝鮮人虐殺の碑の前での追悼の会は、右翼による妨害の対象となっている。追悼式典への東京都知事のメッセージは、小池都知事が拒否する始末だ。
いずれも歴史否定主義による攻撃のため、政治問題化することで、記憶の継承や被害者への追悼が静かに行われる場ではなくされてしまっている。むしろ、ヘイトや暴力について語らなければならない状況である。
ハーシュ&バーギルはコロンビアの事例を取り上げているが、他方、イギリスやアメリカでは奴隷制時代を象徴する人物の銅像が撤去されたことがニュースとなっている。欧米でも歴史否定主義が繰り返し問題となるが、それでも人権侵害の歴史を反省することが、一定程度なされていると言える。バルト3国では、ナチス時代の蛮行よりもスターリン時代の悲劇の記憶の継承をめぐって論争が生じた。それが記憶の継承だけでなく、現在の政治対立やヘイトに直結しているようだ。
日本での歴史博物館や記念碑の在り方、追悼の在り方についてさらに議論が必要だ。