榎透「権力の濫用――ヘイト・スピーチ規制を考える前に」『専修法学論集』144号(2022年)
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2 権力の濫用問題はずっと議論されてきた
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榎は法の解釈や運用における恣意や濫用を論じて、「ヘイト・スピーチ規制に飛びつく前に、こうした権力の性格を十分に理解しておくことも必要ではないだろうか。」と結ぶ。
しかし、集団的自衛権をめぐる解釈変更や、臨時会の招集要求の無視問題や、検察官の定年延長をめぐる解釈変更の事例をいくら積み重ねようと、ヘイト・スピーチ規制法の濫用問題とは距離が大きすぎる。
榎論文を読んだ読者は、あたかも「ヘイト・スピーチ規制論者は、こうした権力の性格を十分に理解していない」と思い込まされることになる。
また、表現の自由への介入を定めた法令が表現の自由を委縮させたり、解釈が恣意的になって不当に表現の自由を侵害する危険性は、従来から繰り返し指摘されてきた。しかし、憲法学者の議論は一般論にとどまり、具体性がない。
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ヘイト・スピーチ刑事規制消極派の憲法学者は、なぜ、ヘイト・スピーチ刑事規制法の実際の解釈・運用を基にその恣意や濫用の事例を検討しないのだろうか。世界の150か国にヘイト・スピーチ規制法がある。素材には事欠かない。各国のヘイト・スピーチ規制における濫用事例、不当介入事例の調査・研究を、なぜしないのだろうか。
ヘイト・スピーチの刑事規制において濫用がありうること、濫用を最小限に抑止しなければならないことは、いまさら指摘するべき新しい論点ではない。ヘイト・スピーチ規制積極論者こそが何十年も繰り返し取り上げてきた問題である。しかも単なる一般論ではなく、具体的に論じてきた。
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その情報はあまりにも膨大である。列挙し始めるとえんえんといつまでも終わらない。ごく一部の代表例だけ紹介しておこう。
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第1に、ラバト行動計画作成過程の議論である。
2013年3月の国連人権理事会第22会期に提出された国連人権高等弁務官事務所報告書は『差別煽動禁止に関するラバト行動計画』は、ヘイト・スピーチ規制のための国際人権法の基準を示した文書である。その準備過程で、2008年10月にジュネーヴで開催された専門家セミナーでは、「表現の自由の制約の限界――基準と適用」という分科会がもたれた。分科会の発言を見てみよう。
アスマ・ジャハンギル(国連人権理事会・宗教の自由特別報告者、国際法律家委員会委員)は、宗教的ヘイト・スピーチの規制に関して、宗教に関する法律が曖昧な場合には、問題解決ではなく悪化につながる。世界を「敵と味方」に分けないように学ぶ必要がある。人種と宗教は異なるので、人種的事例の解決と宗教的事例の解決がどのようなものとなるかはさらに議論が必要であると述べた。
アブデルファタ・アモル(国際自由権規約委員会委員)は、自由権規約第19条3項は第20条によって補強されたと見るが、不確実さが残り、明確な解釈がないと言う。第19条3項には個人と集団の責任と義務が含まれていることを強調し、この責任と義務は表現の自由を促進する目的に従わなければならない。第19条3項は制約の必要性を正確に示しているが、制約の必要性の判断は国家によって、文化によってさまざまでありうると指摘した。
モーゲンス・シュミット(ユネスコ表現の自由部局事務局次長)は、プレスの自由の制約には、2つの条件がある。第1に制約が法律によること、第2に公共の領域や他人の権利を保護するために必要なことである。真実の言明を理由に処罰されてはならない。ヘイト・スピーチの処罰についても、差別、敵意、暴力の煽動の意図があったと証明される必要がある。表現の自由の抑止は最小限の手段でなければならないと述べた。
こうした具体例はラバト行動計画の準備過程の議論や、行動計画それ自体の中に、たくさん示すことが出来る。
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第2に、人種差別撤廃委員会の一般的勧告第35号である。
https://www.hurights.or.jp/archives/opinion/2013/11/post-9.html
パラグラフ10以下、特に12、14,15、19、20、26、45、47参照。
その後の、「ベイルート宣言」や「国連ヘイト・スピーチ戦略」をはじめとする国際文書においても、まずヘイト・スピーチを刑事規制するべきこと、その際に自由や人権を不当に侵害しないこと、そしてヘイト・スピーチの規制と表現の自由は対立するのではなく、相補的であることが前提とされている。
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第3に、各国における濫用事例の研究・分析、反省である。
ヘイト・スピーチの犯罪化は当たり前であり、150か国で処罰がなされる。必然的に濫用や誤判が起きるので、そうした事例を踏まえた議論がなされている。人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会は、各国の情報を基に、濫用や不当な解釈事例を抑止するように繰り返し指摘してきた。私の『ヘイト・スピーチ法研究原論』では、ベラルーシ、ロシア、カザフスタン、アゼルバイジャン、ジョージア、レバノン、トルクメニスタンに対する人種差別撤廃委員会の勧告を紹介した。
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第4に、欧州人権裁判所の判例である。
EU枠組み決定はすべての加盟国がヘイト・スピーチを処罰するよう求め、実際にすべての加盟国でヘイト・スピーチは犯罪化された。それゆえ膨大な適用事例が見られる。必然的に濫用や不当な解釈事例も生じる。各国における事案が欧州人権裁判所に持ち込まれる。中には、不適切な立法、不当な解釈、過剰な処罰と判断された事案がある。
https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post.html
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ギュンデュズ対トルコ事件(2003年12月4日)、ファルーク・テメル対トルコ事件(2011年2月1日)、スタマキン対ロシア事件(2018年5月9日)、レイデューとイソルニ対フランス事件(1998年9月23日)、ディンク対トルコ事件(2010年9月14日)など、いくつもの事例で欧州人権裁判所は、ヘイト・スピーチ刑事規制の在り方について積極的に判断している。刑罰権の濫用を防ぐ重要な監視システムが機能している。
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もう十分だろう。150か国にヘイト・スピーチ規制法があるのだから、世界中で膨大な濫用事例がある。そうした濫用事例を研究し、濫用の抑止に努める必要がある。それこそが憲法学の任務である。
榎論文のように、濫用の恐れがあるという一般的理由を根拠にヘイト・スピーチの刑事規制を否定する見解を、国際社会に見出すことはできないだろう。