Tuesday, July 19, 2011

人種差別撤廃委員会と日本(1)

雑誌「統一評論」534号(2010年4月)


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ヒューマン・ライツ再入門16


人種差別撤廃委員会と日本(一)



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高校無償化問題



 二〇一〇年二月二四日、ジュネーヴ(スイス)のレマン湖畔にあるパレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所)で、人種差別撤廃委員会が第二回日本政府報告書審査を行った。審査の中で、直前に明らかになったばかりの、高校無償化について朝鮮学校だけを対象外とする中井大臣発言について、懸念が表明された。


 アレクセイ・アフトノモフ委員(ロシア)は次のように述べた。


 「高校無償化問題で(中井)大臣が、朝鮮学校をはずすべきだと述べている。すべての子どもに教育を保証するべきである。朝鮮学校の現状はどうなっているのか。差別的改正がなされないことを望む。今朝、新聞のウエブサイトを見たところだ。朝鮮人はずっと外国人のままでいるが、なぜ日本国籍をとらないのか。国籍法はどうなっているのか。条約と整合性のない規定があるのではないか。国籍取得を阻んでいるのは何か。朝鮮人や中国人は国籍法の手続きにアクセスできるのか。」


 また、ホセ・フランシスコ・カリザイ委員(グアテマラ)がこれに続いた。


 「朝鮮学校に関して、もっとも著名な新聞の社説にも、高校無償化から朝鮮学校を排除するという大臣発言への批判が出ている。すべての子どもに平等に権利を保障するべきだ。」


 翌日の日本各紙もそろってこの事実を伝えた(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信、時事通信)。



人種差別撤廃委員会



 一九六五年、国連総会は人種差別撤廃条約を採択した。六〇年代初頭に、西ドイツ(当時)でネオナチが台頭し、ユダヤ人に対する差別が吹き荒れた。これに危機感を抱いた欧州各国がリードして、まず人種差別撤廃宣言をつくり、続いてて条約をつくったのである。


 日本はこの条約をなかなか批准しなかったが、三〇年後の一九九五年、アメリカが批准した直後に慌てて批准し、一九九六年一月に発効した。条約によると、政府は条約批准後一年以内に最初の報告書を委員会に提出し、審査を受けることになっている。日本政府報告書の締切りは一九九七年一月であったが、大幅に遅延して二〇〇〇年一月に提出した。二〇〇一年三月八日と九日、人種差別撤廃委員会は、第一回(実は第一・第二回)日本政府報告書の審査を行った(詳しくは、前田朗「問われた日本の人種差別――人種差別撤廃委員会日本政府報告書審査」生活と人権一二号、二〇〇一年)。


 審査の結果、人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して数多くの勧告を出した。人種差別禁止法について、アイヌ民族や沖縄/琉球について、部落差別について、国内人権機関の設置についてなど数多いが、在日朝鮮人に関連して次のような勧告を出した。


「14.委員会は、朝鮮人(主に子どもや児童・生徒)に対する暴力行為の報告、およびこの点における当局の不十分な対応を懸念し、政府が同様の行為を防止し、それに対抗するためのより断固とした措置をとるよう勧告する。」


「16.朝鮮人マイノリティに影響を及ぼす差別を懸念する。朝鮮学校を含むインターナショナルスクールを卒業したマイノリティに属する生徒が日本の大学に入学することへの制度的な障害のいくつかのものを取り除く努力が行われているものの、委員会は、とくに、朝鮮語による学習が認められていないこと、在日朝鮮人の生徒が上級学校への進学に関して不平等な取扱いを受けていることを懸念する。日本に対して、この点における朝鮮人を含むマイノリティの差別的取扱いを撤廃し、公立学校におけるマイノリティの言語による教育を受ける機会を確保する適切な措置とるよう勧告する。」


「18.日本国籍を申請する朝鮮人に対して、自己の名前を日本流の名前に変更することを求める行政上または法律上の義務はもはや存在していないことに留意しつつ、当局が申請者に対しかかる変更を求めて続けていると報告されていること、朝鮮人が差別をおそれてそのような変更を行わざるを得ないと感じていることを懸念する。個人の名前が文化的・民族的アイデンティティの基本的な一側面であることを考慮し、日本が、かかる慣行を防止するために必要な措置をとるよう勧告する。」


 以上は二〇〇一年の勧告である。


 それから九年、人種差別撤廃委員会は第二回日本政府報告書の審査を行った。もっとも、二度目の報告書は二〇〇三年に提出しなければならなかったのに、日本政府報告書が出されたのは二〇〇八年一二月のことであり、このため第二回といっても、実際は第三回から第六回をまとめて行うことになった。


 今回も様々な論点が取り上げられ、委員会で数々の質問が出された。委員会に向けて、日本から「人種差別撤廃NGOネットワーク」が参加して、ロビー活動を展開し、日本における人種差別に関する情報提供を行なった。


 審査当日には直前のNGOブリーフィングも開催した。委員会は一八名であるが、そのうち一二名が参加した。ブリーフィング冒頭には、昨年一二月に起きた人種差別集団による京都朝鮮学校襲撃事件のDVD映像上映を行なった(写真参照)。委員からは「在特会は非合法団体か」との質問があり、「これは日本では合法団体である」との答えに驚いていた。


まずは在日朝鮮人に関連する質疑応答を見ていこう。



在日朝鮮人の人権



 日本政府報告書担当のパトリック・ソンベリ委員(連合王国)が、冒頭に次のような指摘をした。


「朝鮮人については、前回の審査でも話題になった。帰化の際の氏名変更や、定住者とか永住者というカテゴリーもある。一九五二年、外国人登録法によって、五〇万の外国人が一夜にして生まれた。これはいったいどういうことか。日本国民とも、他の外国人とも違う存在がつくられた。政治的権利は区別する必要もあるかもしれないが、人権という観点ではできるだけ幅広い枠組みで認めるべきである。特別永住者には帰化を望んでいない人がたくさんいるが、なぜなのか不思議である。名前を変更しなければならないからか。同化の問題があるのか。エスニック・マイノリティの権利に注意が向けられていない。エスニック・マイノリティの権利を保障すれば多くが日本人になるのではないか。在日朝鮮人について、公教育の教育課程の中で、マイノリティの教育をどうしているのか。歴史では、さまざまな民族が日本建設に貢献したことを教えているのか。すべての子どもに歴史、文化、言語を保証しているのか。朝鮮学校は不利な状況に置かれている。税制上の扱いも不利になっている。」


 続いて、レジス・デ・グート委員(フランス)である。


 「アイヌを先住民族と認めたことは分かったが、他のマイノリティはどうなのか。二〇〇八年の国連人権理事会の普遍的定期審査(UPR)でもとりあげられた。人権理事会のディエン人種差別問題特別報告者も日本に勧告した。国内マイノリティ、旧植民地出身者、その他の外国人のそれぞれについて情報が必要だ。人種差別撤廃条約四条について進捗がない。四条abを留保したままである。表現の自由が強調されているが、二〇〇一年の勧告でも触れたように、四条は不可欠だ。人種差別の禁止と表現の自由は両立する。朝鮮学校生徒への嫌がらせが続いている。」


 他方、ファン・ヨンガン委員(中国)はこう指摘した。


 「旧植民地出身者であるが、第二次大戦が終わって、歴史的状況から定住していたものが、一九五二年に外国人とされ五〇年以上たって、二世、三世がいるが、日本社会への統合が成功していない。高齢者には、民族的優越感を持つ人がいて、平等な扱いがなされず差別的扱いである。日本において大きな貢献をした人は、日本人と同じように権利を享受しなければならない。」


 イオン・ディアコヌ委員(ルーマニア)も続いた。


 「朝鮮人は一九五二年に外国人とされたが、日本に居住している。彼らは失った国籍を回復することができるのか。取得したいと求めているのか、いないのか。朝鮮学校はどうなっているのか。他の学校と同等になってきたというが、全体はどうなのか。大学受験資格を認めないことは、ペナルティを課していることになるのではないか。朝鮮学校生徒に対する嫌がらせや攻撃について、処罰しているのか。朝鮮学校はよりよく保護するべきである。最近、日本と朝鮮政府の関係が悪化しているが、それを理由に朝鮮学校に影響を及ぼしているのではないか。国際関係が日常生活に影響を与えてはならない。まして子どもに影響を与えるべきではない。朝鮮学校だけ免税措置を講じていないのは差別ではないのか。」


 また、カリザイ委員が最後に再質問した。


 「年金問題のギャップも重要である。朝鮮人高齢者、及び朝鮮人障害者が年金の対象になっていない。法律のギャップである。一部の人たちはその大きさに気づかないかもしれないが、気づく人たちもいる。ギャップを埋める努力が必要だ。」



日本政府の応答 



 二月二五日、日本政府は委員からの質問に回答した。まず、高校無償化問題である。


 「高校無償化法案について、朝鮮学校を除外する旨の(中井)大臣発言が報道されているとの指摘があった。高校無償化法案は、本年一月に閣議決定がなされ、今国会に提出されたものである。指摘のあった記事の内容は承知しているが、法案では高等学校の課程に類するものを文部科学省できめるとしている。今後の国会審議を踏まえつつ適切に考慮していきたい。」(外務省人権人道課長)


 このほかの問題については次のような回答であった。


 「経済的支援、税制上の措置について、外国人学校間の差別があるとの指摘があった。学校教育法一三四条にもとづく各種学校として都道府県知事の認可を得ている外国人学校には、地方自治体からの助成があり、税制優遇もなされている。認可を受けている学校は一定の要件を満たせば、消費税が非課税となり、授業料も非課税である。学校法人の場合、所得税、法人税、住民税が非課税となる。さらなる優遇措置については、短期滞在者を多く受け入れている一部の学校に認められている。対象外の学校への差別とは考えていない。範囲の拡大には新たな政策目的、基準について検討が必要である。」(文部科学省)


 「在日朝鮮人への嫌がらせについて指摘があった。嫌がらせについては、人権擁護機関において、啓発活動、『人権を尊重しよう』という年間を通しての啓発活動を行っている。人権相談所では、人権相談に応じて、事案を認知した場合は速やかに調査し、適切な措置をとっている。北朝鮮の核実験を契機に、嫌がらせが懸念される場合、啓発、相談、情報収集、侵犯事件など、迅速に調査し、人権擁護の取り組みを強化するよう指導している。最近では二〇〇九年四月、飛翔体発射の後に、このような指導を行なっている。」(法務省人権擁護局)


 「朝鮮人の子どもが独自の文化について学ぶ機会が担保されている。朝鮮学校は各種学校として認可されており、寄付金にかかる取り扱いを除き、非課税とされている。韓国学校については、韓国語、韓国文化の学習もしているが、学校教育法一条の認可もある。一条校は学習指導要領にのっとった教育をしている。朝鮮学校の多くのものについては各種学校として認可され、補助金を受けている。二〇〇三年九月、大学受験資格の弾力化を行い、高校修了者については外国政府により位置づけられている場合、あるいは国際的評価団体の認定を受けた学校修了者、および個別の入学資格審査をすることができると追加した。従って、すでに広く認められている。」(外務省人権人道課長)


 「モニタリングメカニズムや統計について質問があった。外国人に対する差別を含む人権問題について、全国の法務局は、適切な助言を行い、関係機関の紹介をしている。人権侵害の疑いある場合、侵犯事件として調査する。人権侵害の排除、再発防止につとめている。二〇〇八年、新規の事件数は一二一件であり、うち差別待遇九七、暴行虐待一六である。」(法務省人権擁護局)


 「特別永住者については、サンフランシスコ平和条約の締結により、朝鮮、台湾が日本国から分離したので、本人の意思に関わりなく日本国籍がなくなった。その後、特例法が定められ、その他の外国人と比べて退去強制事由が限定され、三年の再入国許可上限は四年となった。これは歴史的経緯を配慮した措置である。また、特別永住者は帰化できる。特別な地縁、血縁があれば、帰化条件は緩和されている。永住者が帰化しない理由について質問があった。帰化する、しないということは、申請者の意志に基づくものであり、それぞれの方がどのようなメリット、デメリットを感じているかについてコメントすることはむずかしい。帰化の際の氏名変更について質問があったが、日本国籍を取得しようとする際に氏名変更を促す事実はない。氏名は帰化しようとする本人の意思で自身で決定できる。文字については、日本人についても制約があり、帰化後も平易に読み書きできる文字、広く日本社会に適応している文字であることが必要である。漢字しか使えないわけではない、ひらがな、かたかなも使える。」(法務省)


 「年金には国籍要件はない。外国人も対象となっている。一九八一年以前は国籍要件があったが、一九八二年に撤廃された。法改正の効力が将来に向かってのもののため、現在、八四歳以上の外国人、四八歳以上の外国人障害者は年金にはいっていない。彼らが苦労しているのは事実であるが、福祉的措置を今後とも検討したい。」(厚生労働省)


 日本政府の回答は従来と同じ弁解をしているだけで、まともな回答とはいえない。人権擁護とは無縁の姿勢である。


 一例だけ批判しておくと、法務省人権擁護局が、朝鮮人に対する嫌がらせ(差別と犯罪)について対処しているかのごとく主張しているが、ほとんど虚偽答弁でしかない。


第一に、人権擁護局が出している人権ポスターや人権ボールペンには「人権を大切にしよう」と書いてあるだけで、朝鮮人のことは一切出てこない。


第二に、テポドン騒動の際に、筆者は人権擁護局を訪れて話を聞いたが、人権擁護局がやっていたのは、新聞記事の切り抜きを集めることだけであった。


第三に、事件が長期にわたって何度も何度も起きてきたのに、人権擁護局は被害者(個人被害者、朝鮮学校校長、教育会関係者)からの被害聞き取りさえしていない。無視し、人権侵害を放置してきた。


そのことを十年以上批判し続けてきたが、まったく改善していない。にもかかわらず、人種差別撤廃委員会には平気で、人権擁護をしています、と嘯くのだ。

Wednesday, July 13, 2011

紹介:デュラン・れい子『フランス流節電の暮らし』





――「エコでもケチでもない、大震災後(これから)の生活術」――







ベストセラー処女作『一度も植民地になったことがない日本』に続いて『地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本』『意外に日本人だけ知らない日本史』で、長年の欧州生活から見た日本や日本人、そして日本から見たフランスの生活の知恵やものの考え方を比較してきた著者による3.11後の節電本です。





と言っても、日本政府や東京電力が押しつけているような節電ではなく、もっと普通に、しかももっとエレガントに、知恵と工夫で過ごす節電の暮らしです。「夜の光は文明。でも、明るすぎるのはエレガントではありません。」という著者は、必要な明るさ、不必要な明るさを、普通の暮らしの中で、友人たちとの会話の中で一つ一つ示していきます。





たとえば、フランスでは、階段の電気は点けっぱなしではなく、登っていくと一階ごとに点き、人が過ぎていけば自動的に消えていきます。電気に頼った明るさばかりではなく、キャンドルが暮らしの中に位置づいています。テレビだけでも十分明るいのに、余計な照明は不要です。冷房の効きすぎ、暖房の効きすぎも気になります。建物についても、光をさえぎり、風を通す知恵があちこちにあります。パリやプロヴァンスでの暮らしの中で垣間見たフランス人の生活の知恵に学びながら、よりエレガントな暮らしを提案しています。





これだけの紹介だと誤解する人が出てくるかもしれないので、あわてて付け加えておきます。著者は単なる出羽の守ではありません。出羽の守とは、何かと言うと「フランスではこうだ」「フランスではこんなことはしない」と海外経験をひけらかし、押しつけようとする人のことです。著者は、長年の欧州経験を紹介しますが、押しつけたりしません。日本には日本の素晴らしい伝統や経験があることをしっかり見たうえで、日本の良いところを西欧に紹介するとともに、西欧の日常の暮らしの知恵に学べるところを探していくのです。ですから、著者の提案は、「ちょっと考えてみてはどうでしょうか」「参考にするといいかもしれませんね」という形になります。





それでは著者は、まったく謙虚で控えめで二歩も三歩もさがっているかというと、実はそうでもありません。著者には『フランス流「肉食」恋愛術』や『いまさら英語を勉強しなくても、グローバル・エリートになれる39のルール』という、きっちり上から目線の楽しくコワ~~イ快著もあります。





他方で、話せるフランス語は2語だけでも、60歳で南仏生活を実践した経験を書いた、なんともパワフルなのに、なぜか爽やかな『還暦、プロヴァンス、ひとりぼっちで生きる』もあります。一筋縄ではいかないデュラン・れい子、うかつに接近すると大けがのもと(嘘です)。





著者とは一度お目にかかったことがあります。私の『軍隊のない国家』(日本評論社)に関心を持たれた著者から申し込みがあって、インタヴューを受けたからです。日本国憲法9条は日本の憲法でありながら、その大切さが見失われがちな現在、世界で唯一の9条についても言及しようということで、同時に世界に軍隊のない国家が他にもあることを加えることにされたのです。後に著者の本で私のことを紹介していただきました。





そのためもあって、今回の著書でも、3.11以後の日本の状況について、私の言葉を紹介していただきました。





3月11日にジュネーヴにいて、帰国を遅らせて様子を見ていた私の印象として、「政府や東電が情報を隠した、情報操作したとは、考えていません。日本政府は、そもそも情報の確認ができず、情報分析もできず、それゆえ情報操作すらできない無能な集団だ、と考えています」とお伝えしたところ、著者が紹介してくれました(同署217~218頁)。私のような見方が妥当か否かはもちろん異論もありうるところですが、情勢について考えるための一つの視点として紹介していただいたのだと思います。





本書では、車は窓を開けっ放しにすれば快適でエアコンなしですむ、冬は湯たんぽ、夏は氷枕、電気をくう自動販売機が多すぎる、電子レンジより圧力鍋、使う分だけの湯を沸かす、「機械」に振りまわされないなど、数々の提案が盛りだくさん。





ちなみに、著者にはお知らせしていませんでしたが、夏は暑く、冬は寒い八王子に住んでいる私の自宅には、38年間、一度もエアコンはありません。札幌生まれ札幌育ちですから、人生56年間、エアコンは一度も持っていません。そればかりか、なんと扇風機も持ったことがありません。夏になると、「太陽の町~~、八王子~~」という暑苦しい歌が流れる町の中心部に住んでいますが、ずっと団扇しか持っていません。テレビもないし、車もありません。そして、冬の暖房もありません。私の電気エネルギー消費量は普通人の数分の一です。





それなのに、ここ数日、郵便受けには東京電力から節電指令のチラシが3回も届きました。これ以上、どう節電しろと言うのか、腹が立ちます(笑)。智恵もエレガンスも絶無の東京電力ですから仕方がないのでしょう。





著者のプロフィルや著書については、下記のサイト参照。





デュラン・れい子応援団



http://www.duland-reiko-ohendan.ecnet.jp/

Monday, June 27, 2011

裁かれた差別集団・在特会(法の廃墟39)


京都地裁判決



 東日本大震災と福島原発事故のため首都圏ではほとんどまったく報道されなかったが、四月二一日、京都地裁は、二〇〇九年一二月四日に京都朝鮮第一初級学校に押しかけて差別暴言を撒き散らした「在日特権を許さない市民の会(在特会)」メンバー四人に懲役一~二年(執行猶予四年)の判決を言い渡した。この数年間、各地で差別と暴力をほしいままにしてきた愚劣な犯罪集団に初めて司法による裁きが実現した。


 起訴の対象となったのは京都事件と、二〇一〇年四月一四日に徳島県教組事務所に乱入して暴れた徳島事件の二つであるが、京都事件について判決は大要次のように述べた。


被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれた各のぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『早く門を開けろ』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た


これらが、学校の授業運営などを妨害した威力業務妨害罪、朝鮮学校に対する侮辱として侮辱罪、および器物損壊罪と判断された。検察官は名誉毀損罪や脅迫罪を訴因としなかった。また、日本にはヘイト・クライム法がないため、威力業務妨害罪や侮辱罪を適用するしか方法がなかった。差別や虚言がそれ自体として裁かれたわけではない。


 法令の不備、訴因構成のあり方のいずれも限界があり、事案の本質を把握しえていないが、在特会の蛮行に有罪判決が出たことは大きい。



ヘイト・クライム研究会



 京都地裁判決の意義はさまざまな観点で語ることができる。


 第一に、初の司法判断である。在特会による嫌がらせ行為について、朝鮮学校への接近禁止仮処分決定という例はあるが、彼らの責任を問う初の判断である。それゆえ第二に、これまで在特会の犯罪を黙認してきた警察にとっても判決が与える影響は少なくないだろう。第三に、インターネットで在特会を知り、「本音を言っている」とか「新しい動きだ」などと勘違いして安易に同調する付和雷同組が減少することが期待できる。風向きが少しは変わるだろう。第四に、執行猶予四年の間は主犯格による朝鮮学校襲撃は大幅に減るだろう。もっとも、在特会は五月二八日に大阪・鶴橋駅前で街宣を行うなど、他の各地での動きを強めようとしている。違法行為を厳しく監視していく必要がある。


 五月二一日、龍谷大学において第一回ヘイト・クライム研究会が開催され、関心を有する刑事法研究者、平和学研究者、弁護士、市民が参加した。呼びかけは次の通りである。


 「近年、日本における人種差別、民族差別などの差別現象に、ひじょうに過激で卑劣な侮蔑や、暴力を伴う事例が顕著になってきたように思われます。日本国憲法体制の下でも連綿と続いてきた差別が、いわばヘイト・クライム的なものへと変質し始めたようにも見えます。日本社会の現実は、人種差別禁止法の制定に加えて、いまやヘイト・クライム法の検討も必要となっているように思われます。しかし、日本政府は、ヘイト・クライム法を制定するどころか、人種差別禁止法の制定さえ否定しています。法律学にもヘイト・クライム法の制定に否定的な傾向が見られます。それ以前に、日本においてはヘイト・クライムに関する基礎研究が不十分です。そこで、ヘイト・クライムとは何か、なぜヘイト・クライム法が必要なのかについて議論するために、本研究会では、ヘイト・クライム、およびその法的規制に関する基礎研究を行います。」


 二つの報告がなされた。


金尚均(龍谷大学教授)「ドイツにおける民衆扇動罪の動向――『アウシュヴィッツの嘘』処罰の基本問題」。


前田朗(東京造形大学教授)「『人種差別表現の自由』とは何か――ヘイト・クライム処罰と『表現の自由』について」。


 日本ではヘイト・クライム研究が遅れている。英米では一九九〇年頃からヘイト・クライム法制定の動きが始まり、二〇〇九年のアメリカ合州国のマシュー・シェパード法で、ほぼ出揃った。大陸法では、ドイツの民衆扇動罪や集団侮辱罪があり、形式は異なるものの北欧諸国、西欧諸国には該当法令があり、適用事例も多い。東欧諸国にも同種立法が広がっている。アジアやラテン・アメリカの立法は遅れているが、日本のようにまったく法的に対処しない国は珍しい。人種差別撤廃条約第四条が人種差別思想の煽動や人種差別団体の法規制を掲げているので当然である。


 金報告では「アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺はなかった」といった類の発言を処罰するドイツの民衆扇動罪の歴史と現状が明らかにされた。法規定に変遷があり、批判的な見解もあるが、異様な歴史修正主義を許さない姿勢は確立しているといえよう。オーストリア、フランスをはじめ欧州にはいくつも同種の法律がある。


 前田報告では「表現の自由があるので人種差別思想の煽動を処罰できない」という日本政府、および同様の主張をしている憲法学説を検討した。人種差別撤廃委員会が指摘するように、表現の自由を保障するためにこそ人種差別思想の煽動を処罰するべきである。


 京都地裁では被害者が在特会を相手取って提訴した民事損害賠償請求訴訟が続いている。日本政府による朝鮮学校の高校無償化からの除外問題もある。人種差別を規制するための人種差別禁止法が必要だが、加えて、特に悪質な差別行為を犯罪とするヘイト・クライム法も検討する必要がある。ヘイト・クライム研究会では継続して、ヘイト・クライムの本質、定義、規制法の可能性、比較法の研究を続けていく。

Friday, June 17, 2011

頑張ろうニッポン狂騒曲 拡散する精神/萎縮する表現(3)

 「頑張ろうニッポン」の大合唱が続いている。


 三月一一日の東日本大震災、追い討ちの津波、そして「想定外」の「人災」である福島原発事故。桁外れの三重苦に直面して、被災者はもとより、直接の被災者ではなくても、精神的打撃は甚大である。政治・経済・社会が被った損失も計り知れない。誰もが暗澹たる思いにうち震えている状態で、少しでも被災者を励まし、自らを奮い立たせて、復興に向けた歩みを始めなければならない。そのためのシュプレヒコールが「頑張ろうニッポン」である。


 とりわけ目立つのはTV広告だ。震災下、一定程度の自粛を余儀なくされた企業広告のほとんどが、ACジャパン(旧・公共広告機構)の臨時震災キャンペーンに変更された。連日、朝から深夜まで「頑張れニッポン、頑張ろうニッポン、日本はひとつだ、チームだ、団結だ・・・」の大合唱が、二ヶ月以上にわたって延々と続いている。


 その政治的社会的影響力を精確に測定することは困難だが、ACジャパンとマスコミが一体となって作り出した、前例のない「頑張ろうニッポン」キャンペーンの政治的効果は相当長期に及ぶことは間違いない。一九九五年の阪神淡路大震災の時にさえ、これほどの事態は生まれなかった。それゆえ、即座に思いつく政治的社会的影響について少々書き留めておきたい。


 何よりも「頑張ろうニッポン」はナショナリズムの鼓舞煽動である。当事者たちは政治的ナショナリズムを煽るつもりではない。落ち込んだ日本を元気づけるためにやっている。意識的なナショナリズム煽動と同断の批判はしにくいが、ナショナリズム決起につながる効果は否定できない。ナショナリズムの煽動は、具体的には三つの効果を伴う。


 第一に、「強者の論理」の横行である。負けないために、押しつぶされないために、確かに「強くなる」ことが必要だが、人々が強者の論理を内在化させると、強いリーダを求める政治意識が培養される。東京都知事選挙における石原慎太郎四選もその一現象だ。ここでの「強さ」は人間的精神的能力ではない。空威張りと暴力的な強さがアピールしてしまうのはポピュリズムゆえの勘違いである。勘違いが持つ政治的効果は残念ながら実に大きい。


 第二に、権力と財力の論理、資本の論理として具体化される上からの「頑張ろうニッポン」は、「情報強者」の情報隠しを容易にする。日本政府や東京電力が原発事故に関する情報を意図的に隠したとは言わない。実際は、混乱の中で情報がない、情報の意味がわからない、分析力がない、だけのことだっただろう。意図的に隠蔽するだけの才覚すらなかったと見るべきだ。しかし、長期にわたって情報が正確に伝えられないまま、国民は日本政府や東京電力と一体となるべき存在として再編されてしまう。現に存在する矛盾が隠蔽される。自覚的な「反(脱)原発論者」は別として、多くの国民が東京電力を批判的に見る姿勢を奪われてしまう。かくして「頑張ろうニッポン」は、「直ちに健康に影響のない放射能」とやらの下で「癌になろうニッポン」(萩尾健太弁護士の言葉)に転化する。


 第三に、ナショナリズムが社会に蔓延すれば、やがて排外主義や差別に繋がることは、何度も繰り返されてきたことである。異なる者の無視、異なる者に対する不安が、外国人への眼差しを厳格化させる。「小さな差別」の容認、黙認が始まる。在留外国人のうち短期滞在者のかなりの部分が帰国・離日したといわれるが、日本に在留し続けている外国人も少なくない。朝鮮や韓国からの被災者支援の事実はほとんど報道されず、アメリカによる「トモダチ作戦」だけが大々的に報道される。


 こうして社会の自己破壊が始まる。一人ひとりが生きる場での復興を必要としている被災者を置き去りにした政治劇の世界だからだ。一人ひとりの生きた人間の存在を無視した放射能ばら撒き政治が、人間の創造性を奪い、社会の治癒力を損なう。矛盾を拡大しながら同時に矛盾を隠蔽するアクロバティックな笑劇はいつまで続くのだろうか。



「マスコミ市民」2011年6月号

国際法の都ハーグ(二) 旅する平和学(40)

 ハーグが国際法の都になった要因の一つは、一八九九年にハーグ平和会議が開催され、ハーグ条約が締結されたことにある。一九〇七年にはハーグ陸戦法規慣例条約(規則)が採択され、後の国際人道法の基礎となった。世界会議から百年後の一九九九年には、第三回ハーグ平和会議が開催された。一九九〇年代には旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷、二一世紀には国際刑事裁判所が置かれることになった。



旧ユーゴ法廷



 一九九一年、かつては東欧社会主義圏における独自の自主管理社会主義を誇ったユーゴスラヴィアが崩壊しはじめた。ユーゴ崩壊過程は複雑な経路を辿ったが、世界を驚愕・震撼させたのは崩壊序幕を彩った「民族浄化」であった。民族浄化とは、一定の地域に共存してきた複数の民族のうち特定の民族を排除して、単一民族社会を構築しようとする思想・政策・行動である。直接的な方法としては、迫害、暴力、殺人、強制移送が用いられる。組織的強姦や強制妊娠という手段も用いられる。歴史的にはさまざまな民族浄化があったが、具体的にはボスニア紛争において、諸民族・諸集団が政治的主導権を握るために採用した政策といわれる。この言葉を広めたのはアメリカの広告代理店であったため背後の陰謀を指摘する声もあるが、後の裁判によって数々の蛮行の事実が証明されている。


 旧ユーゴ紛争を前に、国連安保理事会は一九九三年五月、非軍事的措置の一貫として旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)の設置を決議した。一九九一年以後に旧ユーゴ領域内で行われた民族浄化の諸現象のうち国際人道法に違反したものについて訴追・裁判を行う法廷であり、ハーグに設置された。一九九四年にはアフリカのルワンダで民族大虐殺が発生し、同様に安保理事会決議によってルワンダ国際刑事法廷(ICTR)がアルーシャ(タンザニア)に設置されたが、控訴審はハーグに置かれた。


 ICTY設置については、さまざまな観点での議論がなされた。第二次大戦後のニュルンベルク国際軍事法廷と極東国際軍事法廷(東京裁判)以来四〇年間空白となっていた国際刑事裁判が再始動したからである。ニュルンベルク・東京裁判に引き続き設置されるべきだった国際法廷の再発足として高く評価されたが、他方、安保理事会にそのような権限があるのかとの疑問も提起された。ICTY発足時には被告人の身柄拘束が実現せず、裁判も不十分との厳しい批判が続いたが、一九九七~九八年頃から裁判が本格的に行われるようになった。他方、被告人の身柄拘束のためにNATO軍が出動するなど軍事力に頼った事実も批判されている。さまざまな制約と疑問点のある法廷だが、歴史的にはひじょうに大きな役割を果たした。


 第一に、旧ユーゴ領域における平和構築にとってICTYが果たした役割は否定できない。第二に、フォチャ事件やセレヴィチ事件などで、集団強姦など戦時性暴力が人道に対する罪として裁かれた。性暴力判決の積み重ねはその後の国際人道法の発展に影響を与えた。ICTRも、ジェノサイドの罪を認めた史上初の判決を出し、戦時性暴力がジェノサイドに当たることを認めた点で画期的であった。第三に、手続きにおける証人保護の試みが始まった。第四に、ICTY・ICTRの発足に伴って、特定地域や特定時期だけではなく世界の戦争犯罪など重大犯罪を裁く国際刑事裁判所が必要であるとの国際世論が急速に高まり、国際刑事裁判所の設立につながった。



国際刑事裁判所



 ニュルンベルク・東京裁判の後、国連国際法委員会などにおいて国際裁判所設置の試みが続いたが、冷戦・東西対立によって頓挫した。その後の四〇年の空白の時代に、国際人権法が飛躍的に発展する一方、一九七七年のジュネーヴ諸条約追加議定書によって国際人道法も大きく発展した。しかし、空白は続いた。一九九〇年代になって、ICTY・ICTR設置を決めた国際社会はようやく国際刑事裁判所設立の議論を再開し、一九九八年七月、ローマ全権外交官会議において国際刑事裁判所規程を採択した。規程は、六〇カ国の批准によって二〇〇二年七月一日に発効し、ハーグに国際刑事裁判所(ICC)が設置された。


 ICCは、侵略の罪、集団殺害罪(ジェノサイド)、人道に対する罪、戦争犯罪についての個人責任を裁く常設裁判所である。ジェノサイドは、一九四八年のジェノサイド条約と同様の定義をしている。人道に対する罪については、広範又は組織的な殺人、せん滅、奴隷化、性奴隷制などの性暴力、拷問、迫害、アパルトヘイト、強制失踪などが列挙されている。裁きだけではなく、被害者補償のためのガイドラインをつくり、被害者信託基金も置いている。


 ICCの構成は、検察局と、裁判部(予審部、一審裁判部、上訴裁判部)がある。弁護士については、ICCでの弁護を担当するための組織が別に活動をしている。


 二〇〇九年、コンゴ民主共和国における虐殺に関して初の裁判が始まった。また、スーダン・ダルフール事件についてバシル大統領に対する国際逮捕状が発行された。予審部には中央アフリカ事件、ウガンダ事件も係属している。


 ICCは普遍的管轄権を行使する初の刑事法廷として試行錯誤を重ねているが、国際政治における障害も無視できない。第一に、アメリカ、ロシア、中国という大国が参加していない。締約国は一一四(二〇一〇年一一月)だが、超大国の参加がない。第二に、アメリカは参加しないだけではなく、自国民をICCに引き渡させないために二国間免責協定を多くの諸国と結んでいる。第三に、ICCがこれまで取り上げてきたのはコンゴ民主共和国、スーダン、中央アフリカ、ウガンダのため、アフリカ諸国からは差別的な取り扱いではないかとの批判が起きている。


世界のNGOは、ICCに対してアフガニスタンやイラクにおけるアメリカの犯罪や、パレスチナなどにおけるイスラエルの犯罪を告発し、資料を送ってきた。イスラエルによるレバノン空爆やガザ空爆についても、さまざまな国際調査団がICC付託の勧告を出している。しかし、アメリカ及びイスラエルについてICCが動き出す可能性は低いと見られている。イギリスはICC規程を批准しているので、ブレア元首相のイラク戦争に関する責任も問題になりうるが、ICC側に動きはないようである。


ICC規程は裁判所構成法・裁判法・実体刑法・刑事訴訟法を定めた国際条約であるが、その意義はさらに各国国内法にも及んでいる。例えば、ドイツはICC規程批准に伴って国内法を改正して、ICC国際犯罪を国内犯罪としても認めた。日本は二〇〇七年にICCに加わったので、それに伴う国内法の見直しがなされるべきだったが、行われていない。国際刑法研究は進展しているので、今後、国際人権法、国際人道法、国際刑法の国内法への影響が見込まれる。

国際法の都ハーグ(一) 旅する平和学(39)

 ハーグ(オランダ)には、国際司法裁判所と国際刑事裁判所が置かれている。国際刑事裁判所設置の際、いくつかの都市が名乗りを上げようとしたが、ハーグが名乗りをあげるや国際社会の大勢は直ちに決した。国際法の都という地位がすでに確立していたからだ。


国際人道法は、ハーグ法とジュネーヴ法の二つに分けて説明される。ジュネーヴには赤十字国際委員会や軍縮会議が置かれているし、ジュネーヴ捕虜条約、一九四九年のジュネーヴ諸条約などもある。とりわけ国連欧州本部では人権理事会が開かれ、人権高等弁務官事務所が置かれているので、ジュネーヴは国際人権法の都となっている(本誌二〇一〇年五月号~七月号)。



ハーグ法


 


 ハーグもまた国際人道法の都として知られる。『赤十字の諸原則』(一九五五年)、『赤十字の基本原則解説』(一九七九年)、『国際人道法の発展と諸原則』(一九八三年[井上忠男訳、日本赤十字社、二〇〇〇年])を著した赤十字国際委員会のジャン・ピクテは、最初に国際人道法に関する基本的な考え方を解説している。


第一に、国際人道法の目的は、敵対行為を制限し、その苦痛を軽減することにある。人道という理念に由来するもので、武力紛争時において個人を保護することが目的となる。かつての「戦時国際法」がそのまま国際人道法になったわけではない。戦時国際法のうち、人道理念にふさわしい諸原則が引用され、発展させられた。ピクテが初めて人道法という用語を提案したとき、法的概念と道徳的概念が混同されているという指摘があったという。確かに、国際人道法は道徳(人道的関心)を国際法に転換したものであるが、単に混同したのではない。


第二に、ジュネーヴ法、あるいは人道法は、戦闘外にある軍隊の構成員や、敵対行為に参加しないその他の人々を保護するためにある。赤十字国際委員会の発案と努力で形成されてきたもので、一八六四年や一九二九年のジュネーヴ捕虜条約、一九四九年の四つのジュネーヴ諸条約、一九七七年の二つの追加議定書がジュネーヴ法と呼ばれる。武力紛争時において人々を保護する規範を約六〇〇条に及ぶ法体系に法典化したものである。


第三に、かつて戦争法とも呼ばれたハーグ法は、作戦行動中の交戦者の義務と権利を規定し、敵に危害を加える手段の選択を制限する。一八九九年のハーグ会議及び一九〇七年のハーグ会議で採択されたハーグ条約を基本とする、使用を禁止された兵器など戦闘行為を規制する法体系である。ここでは軍事的必要性や国家の維持が前提となっている。初期のハーグ法の一部はジュネーヴ法に移行され、人道的な観点で共通するという意味で合流するようになってきた。


第四に、国際人道法と人権法の関係を見ると、人権法の目的は個人に対し、あらゆる場合において基本的人権と自由の享受を保障し、社会的な害悪から個人を保護することにある。人道法と人権法は、成文法としては別個の起源をもち、それぞれ発展してきたが、思想史的には、同じ歴史的、哲学的な起源を有する。どちらも人間を不正な暴力から守るために生まれたものであり、密接な関係にあるが、別個のものであり、相互に補完しあう。



国際司法裁判所



 国連憲章第一四章が国際司法裁判所の設置を定めている。「国際司法裁判所は、国際連合の主要な司法機関である。この裁判所は、附属の規程に従って任務を行う。この規程は、常設国際司法裁判所規程を基礎とし、且つ、この憲章と不可分の一体をなす」(憲章九二条)とされ、国連加盟国は当然に国際司法裁判所規程の当事国である(九三条)、国家による提訴に加えて、国連総会や安保理事会なども国際司法裁判所に勧告的意見を求めることができる(九四条)。


 国際司法裁判所規程(一九四五年)は、裁判所の構成、裁判官候補者の指名手続き、裁判官の選挙、開廷、裁判所の管轄権、用語、弁論手続き、判決などについて定めている。


 「裁判所は、徳望が高く、且つ、各自の国で最高の司法官に任ぜられるのに必要な資格を有する者又は国際法に有能の名のある法律家のうちから、国籍のいかんを問わず、選挙される独立の裁判官の一団で構成する」(二条)とされ、一五人の裁判官で構成されるが、そのうちのいずれの二人も、同一国の国民であってはならないとされる(三条)。


 裁判所の管轄は、まず「国のみが、裁判所に係属する事件の当事者となることができる」(三四条一項)とされる。国家間の紛争を解決することが主要な任務の一つである。「裁判所の管轄は、当事者が裁判所に付託するすべての事件及び国連憲章又は現行諸条約に特に規定するすべての事項に及ぶ。この規程の当事国である国は、次の事項に関するすべての法律的紛争についての裁判所の管轄を同一の義務を受諾する他の国に対する関係において当然に且つ特別の合意なしに義務的であると認めることを、いつでも宣言することができる」とされ、具体的には、ⓐ条約の解釈、ⓑ国際法上の問題、ⓒ認定されれば国際義務の違反となるような事実の存在、ⓓ国際義務の違反に対する賠償の性質又は範囲、について判断を下す。また、「裁判所は、付託される紛争を国際法に従って裁判することを任務とし、次のものを適用する」。ⓐ一般又は特別の国際条約で係争国が明らかに認めた規則を確立しているもの、ⓑ法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習、ⓒ文明国が認めた法の一般原則、ⓓ法則決定の補助手段としての裁判上の判決及び諸国の最も優秀な国際法学者の学説。


国際司法裁判所は数々の国際紛争について判断を下してきたが、ここで特筆するべきは、核兵器の使用に関する判断である。一九九六年七月八日、国際司法裁判所は、国連総会の要請に応じて勧告的意見を示した。核兵器の使用や核兵器による威嚇を認める慣習国際法は存在しないが、核兵器の使用や核兵器による威嚇を禁じる慣習国際法も存在しないとしたうえで、全員一致で、国連憲章第二条四項(威嚇・侵略の自制)に反し、第五一条(自衛権)の条件を満たさない核兵器の使用や核兵器による威嚇は違法であるとした。さらに、核兵器による威嚇や核兵器の使用は、核兵器に関する条約のみならず、武力紛争に適用される国際人道法を侵してはならないと判断した。評価が分かれたのは、国際法の現状を考慮すると、国家が存亡の危機にある時の自衛のための核兵器による威嚇や核兵器の使用は、合法か違法か結論できないとした点である。賛成七、反対七の可否同数であった。もっぱら自衛のための核兵器の使用とはいかなる自体か不明である。この点で限界があるが、国際司法裁判所が核兵器の使用について一定の見解を示したことは画期的であった。

Thursday, June 16, 2011

虚妄の民衆思想(3)


昨夏、私は、花崎皋平『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館、2010年、以下「本書」)を読んで、非常に違和感を感じたため、そのことをブログにおいて表明したうえ、夏から秋にかけて、あるミニコミに「虚妄の民衆思想」という文章を書き、その全文を私のブログにアップし、いくつかのMLでご案内しました。


http://maeda-akira.blogspot.com/2010/09/1.html


http://maeda-akira.blogspot.com/2010/11/blog-post_22.html



本年1月19日、中野佳裕さんは、ML[civilsocietyforum21]に「季刊誌『環』 44 号:花崎皋平さんに関する書評。」を投稿しました。



*その書評は、中野佳裕「花崎皋平著『田中正造と民衆思想の継承』――その思想形成を内在的に理解する異色の書」『環』44号(2011年)378~381頁。



中野さんの書評を拝読しましたが、基本的に同意できませんでした。発想が根本的に異なるのだろうかと考えざるをえませんでした。すぐに私の感想を投稿するつもりだったのですが、仕事の忙しさにかまけて投稿しないままに終わりました。また、雑誌が手元に見当たらなくなったため、断念していました。しかし、最近、同雑誌がみつかり、改めて中野さんの書評を目にすることができたので、遅ればせながら感想など書き連ねてみます。



(以下、敬称略)



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中野の書評は3つの部分から成ります。



まず「著者の田中正造研究の集大成」において、「洋の東西を問わず、思想の優れた読み手は、思想書の論理構成の分析に終始することなく、その思想を成立させる根拠にある深い精神性の領域へと入り込むことに長けているように思われる。思想のもつ精神性をわたしたちが直面する現実に対する批判へと転化し、これまでとは異なる形で世界を見つめ、これまでとは異なる行為を起こす契機を開いていく。思想を読むという行為は、『批判』『実践』『解放』のトライアングルを螺旋的に反復する運動そのものである、と言えよう」というスタンスが開示されています。そのうえで、中野は、花崎について「思想を読むことの根本的な意味を十分に理解し、思想と運動との間に良質な循環を起こす独自の哲学の構築を模索してきた人である」とし、「世界のポスト開発思想と問題意識と展望を共有するだけでなく、日本とアジアの民衆運動・思想の独自性と可能性に光を与える無二の貢献を行っている」と位置付けつつ、本書が花崎の田中正造研究の集大成であるとしています。



続いて「実践の中で形成された民衆思想」と題して、中野は、「民衆思想」という言葉に「日本の社会像を構想することを含意する言葉」という側面を確認しつつ、「近現代の日本思想史を、一九六〇・七〇年代から正造の時代へ、そして正造の時代から再び現代へ、と反復する身振りが見られる」とし、正造の思想形成の独自性と花崎の思想形成の独自性、それぞれの独自性とともに、継承や交錯をもからめながら発展的に理解しています。「民衆の生活経験に寄り添いながら思惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想や立憲政治制度の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった一人の実践家」としての「花崎/正造」像を描きます。



最後に中野は「サブシステンスの領域に見出される霊性」と題して、キリスト教の影響を受けた正造が、晩年には「民衆の土着の経験の深みにおいて世俗の権力や近代の経済的価値観には還元されないより普遍的な価値――善、正義、聖性――を見出す」、「人間の生存基盤(サブシステンス)という最も基礎的な物質的領域に、もっとも深遠で神聖な霊性を見出している」としています。最後に、中野は、本書あとがきにおける花崎の主張に賛同して、正造の思想は「アジア地域の周辺において未だ実践されているさまざまな民衆運動を再評価し、経済グローバル化に代わって生命の様式の多様性を重んずるアジア独自の民衆世界を築く重要な布石となるであろう」とまとめています。



中野の書評は、限られた分量(4ページ分)で、内容・エッセンスを紹介して、書評者の思索を展開するという意味で、よくできた書評です。著者の意図を正しく把握して、正しく伝えようとするものです。加えて、著書の受け売りだけに終わることなく、本書を日本の近現代思想史に位置付け、今後の展望の中につなげるという問題意識も示されています。



しかし、疑問もあります。私は前述の「虚妄の民衆思想」において、花崎「民衆思想」について、第1に、正造や貝沢の評価をめぐって、アジアに対する「侵略容認の民衆思想」であること、第2に、正造の「妾」問題や、正造の実践をめぐって「女性差別容認の民衆思想」であることを指摘しつつ、花崎の「民衆思想」に疑問を呈しておきました。



ここでの批判は、もっぱら、本書、花崎『田中正造民衆思想継承』に対するものです。花崎の著作全体を取り上げてはいません。花崎がほかの著書において、長年にわたって取り組んできた運動と思想について開陳していること、そこにおいて日本によるアジア侵略を批判し、女性差別を批判してきたことはよく承知しています。私自身、長年にわたって花崎の著作の読者であり、大いに学ぶべきと考えてきました。



さて、「虚妄の民衆思想」では省略しましたが、それ以前にブログに書いた「結論」を引用しておきます。



<以上、今や社会運動と民衆思想の権威であり、全国にたくさんの教徒をもつ著者の「40年以上にわたるライフワークの集大成」を読んできました。正造、前田、安里、貝澤の思想のそれぞれに学ぶべきところがたくさんあることは、著者が紹介している通りでしょう。しかし、民衆とは何かを考えた時、民衆が民衆であるが故に正当であるという発想は厳しく戒める必要があります。民衆はファシズムの担い手になることもあれば、侵略の手先になることもあるのです。「侵略容認の民衆思想」「女性差別実践の民衆思想」--このことに自覚的であり、自ら問い続けることがなければ、無残で滑稽で危険な民衆思想しか生まれようがありません。>



なお、私はブログでは「花崎教徒」という言葉を使いましたが、実際、何人もの日本人から「花崎先生を非難するとはけしからん」という実に低レベルな意見を受け取りました。彼らはまさに「花崎教徒」であり、問題外です。日本人で、私見に基本的に賛同を示したのはわずか1人でした。在日朝鮮人からは5人以上、趣旨に賛成との意見をもらいました。



残念なのは、私に対する批判の中に、議論に値するようなまともな批判が一つもなく、「花崎先生を貶めるな」「あなたに花崎先生を批判する資格があるのか」といった水準のものしかなかったことです。



さて、中野の書評は、花崎の積極面を適切に評価し、測定しています。その点に異論をさしはさむつもりはありません。私が疑問に思うのは、中野が花崎の思想を全体としてどのように把握しているのか、です。



私は、花崎民衆思想がアジア侵略容認の民衆思想であると批判していますが、そのことによって花崎の全思想を否定するつもりはありません。花崎の生涯、業績は貴重なものであり、学ぶべきことが多いことを否定しません。私にとって重要なのは、そのような花崎の「集大成」においてアジア侵略容認記述がなされているのはなぜなのか。それが花崎の思想全体の中でいかなる位置にあり、いかなる意味を有しているのか、です。換言すれば、花崎の民衆思想の積極面と、そこににじみ出てしまった消極面とはいかなる関係にあるのか。両者は花崎のインナースペースにおいて、どのようにスパークしているのか。その矛盾は何を引き出すことになるのか。あるいは、もしかして両者が矛盾なく同居しているとすれば、それをどのように理解するべきなのか。女性差別についても同じことが言えます。



そもそも「花崎/正造」に侵略容認の一面を見ること自体、中野は認めないのかもしれません。あるいは、それを認めつつも、開発学の研究者である中野にとっては、それはさして重要ではないと考えられているのかもしれません。しかし、戦争認識にしてもジェンダー認識にしても、これは花崎の「民衆思想」の根幹にかかわるはずであり、一言でいえば致命的欠陥であると、私は考えます。



繰り返しますが、ある思想家の言説の中に許容しがたい否定的な個所があることをもって、その思想家を全否定するのは適切ではありません。全体から切り離して、そのことだけを非難するのは適切ではありません。しかし、その否定的言辞が、思想の根幹にかかわる場合、それが思想全体の中でどのような位置にあるのかを問わないことは、思考停止というしかありません。



中野の書評に即して、さらに問いを立ててみます。



第1に、中野は、花崎の本書を、正造「思想形成を内在的に理解する」ものと位置づけています。戦争認識やジェンダー認識を問うことは正造の思想にとって外在的なのでしょうか。花崎の思想にとって外在的なのでしょうか。



第2に、中野は「思想を成立させる根拠にある深い精神性」や「思想のもつ精神性」について語ります。本書にそのような側面を見出すことができることに、とりあえず異論はありません。しかし、その「精神性」とは、「深さ」とは何を意味しているのかこそが重要です。「思想を読むという行為」は、「花崎/正造」の限界を見極めることでもありうるのではないでしょうか。



第3に、中野の言う「民衆思想」とは何でしょうか。私はすでに「花崎/正造」の「民衆思想」が、民衆の中からではなく、民衆の外から登場していることに疑念を呈してきまた。他方、中野は、「名もなき民衆の日常生活において長年培われてきた世界観・知恵・実践を、学者や官僚が用いる専門知識としての哲学・思想と同等の、いやそれ以上に重要な思想として承認し、これら土着の思想文化に基づいて望ましい日本の社会像を構想することを含意する言葉である」と明示しつつ、花崎の正造像を「民衆の生活経験に寄り添いながら思惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想や立憲政治の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった一人の実践家の姿である」としています。ここでは、知の「専門性」に対する「民衆性」と、「西欧近代民主主義思想」に対する「民衆性」が、おそらく不可分のものとして重ね合わせられています。そのような民衆思想を構想し、実践することの重要性について私は同意します。しかし、同時に、中野が「民衆の生活経験に寄り添いながら」と語る時、いささかの疑念を呈さずにはいられません。誰が、なぜ、いかなる資格で「民衆の生活経験に寄り添う」のか。言葉尻をとるわけではなく、これは中野の「民衆思想」とは何なのか、中野自身の専門である開発学とは何なのかを考えるとき、重要な意味を持つはずです。



私はこれまで数々の民衆運動に参加し、民衆法廷運動を提案し、主催し、参加してきました。私の専門である人権論や戦争犯罪論は、民衆運動としての、民衆運動の中での研究です。非国民研究とその運動も、無防備地域宣言運動も、最近取り組んでいる東アジア歴史・人権・宣言運動も、いずれも民衆自身による権利運動であり、平和運動です。民衆以外の誰にも寄り添ってもらう必要がありません。中野/花崎/正造の「民衆思想」を否定するつもりはありませんが、私の考える民衆運動とは無縁の存在であるのだろう、と感じます。先に示した暫定的な結論を再引用して、この文章を閉じます。



<民衆が民衆であるが故に正当であるという発想は厳しく戒める必要があります。民衆はファシズムの担い手になることもあれば、侵略の手先になることもあるのです。「侵略容認の民衆思想」「女性差別実践の民衆思想」--このことに自覚的であり、自ら問い続けることがなければ、無残で滑稽で危険な民衆思想しか生まれようがありません。>