Sunday, March 28, 2010
Wednesday, March 24, 2010
グランサコネ通信2010-16
*
すっかり春めいてきました。国連欧州本部の中庭の芝生も徐々に青くなってきましたし、小さな小さな花がたくさん開いています。わが宿舎、わが部屋の前の芝生もご機嫌そう。小鳥のさえずりも賑やかになってきました。
*
1)人権理事会
*
22日は、議題7の「パレスチナその他占領下アラブ地域における人権状況」でした。実は人権理事会今会期の決議案は19日までに仕上がっていて、事務局に提出されています。関連する決議案は5本出ています。24-25日に採択です。22日に討論をするといっても、本当の議論は終わっています。あとはセレモニー。今会期に提出された報告書は、ガザ攻撃における重大人権侵害に関する人権高等弁務官事務所報告書(A/HRC/13/54)、国連ガザ調査委員会勧告の実施に関する事務総局報告書(A/HRC/13/55)、イスラエルの検問所における妊娠したパレスチナ女性に関する人権高等弁務官事務所報告書(A/HRC/13/68/Rev.1)です。他にシリア政府による報告やNGO報告書。たくさんの発言がありました。ごくごく一部のみ紹介。
*
(最初のパレスチナ発言を聞き逃しました)
イスラエル--ガザにおける武力紛争法の違反事件を、2008年12月と2009年1月にイスラエル国防軍は調査した。2つの報告書を公表した(Operation in GazaとGaza:An Updateのこと)。英米豪加などの調査報告書と同じ民主的水準のものである。150件の申立てがあり、うち36件は刑事事件の申し立てである。ほぼ100人のパレスチナ人から証拠提供を受けた。その結果として2週間前、ガザのあるビルで捜索中に、ブービートラップを保持しているかもしれないと疑って、子どもにカバンを開けるように命令した2人の兵士に対して(やりすぎなので)刑事事件として起訴状が提出された。本件はNGOのディフェンス・フォー・チルドレン・イスラエルの申し立てによるものである。国連ガザ調査委員会(ゴールドストーン委員会)報告書に掲載されていない事例も丁寧に調査した。・・・・等々。
パキスタン(イスラム諸国機構を代表して)--イスラエルによる侵略、人権侵害、戦争犯罪、禁止された兵器の使用、国際人道法違反、民間人攻撃を指摘した上で、人権高等弁務官事務所報告書にあるように数々の証拠が明らかである。報告書には重大人権侵害の「激増」とある。調査のフォローアップが必要だ。
イスラエル(2度目)--3月18日にガザでロケットが発射され、タイ人労働者(?)が死んだ。2009年1月以来イスラエルに打ち込まれたロケットは300以上になる。ゴールドストーン報告書も述べているように、戦争犯罪と人道に対する罪である。ハマスとその仲間はイスラエル民間住民を狙って殺戮戦を繰り広げている。過去62年もの間、イスラエルは平和を創るために対話を呼びかけてきた。エジプトやヨルダンは平和に前向きになってきたが、まだ紛争が続いている。1947国連決議、1967など歴史を振り返り、平和と人権について演説。人権理事会をハイジャックしようとしている勢力に警戒を。
パキスタン(イスラム諸国機構を代表して、2度目)--占領下の戦争犯罪、特に女性と子どもの被害を強調。宗教遺産、文化遺産の破壊。占領下ゴラン高原にも言及。パレスチナ人民の自決権、イスラエルによる重大人権侵害に関する歴代の決議を想起せよ。今回の決議案への支持を要請する(註:決議案の提案者は、パレスチナ、パキスタン、スーダンの連名です)。
シリア--報告書を歓迎。イスラエルによる戦争犯罪と人道に対する罪。一部の諸国の沈黙は遺憾。平和を破壊し、民間人を殺すイスラエルの責任はすでに十分すぎるほど明らかである。イスラエルが平和を願っているとはいえない。
この後、ナイジェリア、スーダン(アフリカ諸国を代表)、バーレーン、インドネシア、カタール、サウジアラビア、キューバ、バングラデシュ(ガザをディストピアだと言っていました)、オマーン、モロッコ、アルジェリア、マレーシア、イエメン、クウェート、リビア、イラン、スリランカ、アラブ連合、チュニジア、朝鮮、アラブ首長国連邦、レバノンなどが続々と発言。その間、ロシア、アメリカ、スペイン、スイス、アイスランドも発言(平和的解決のための対話を呼びかけるだけ)。日本は沈黙。
*
NGO報告書のうち、ノース・サウス21、アラブ法律家連盟、全アラブ女性連合、国際民主法律家協会など10団体によるジョイント文書は、イスラエル国際刑事法廷(ICTI)設置を求めています。旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY)やルワンダ国際刑事法廷(ICTR)と同じような国連主導の法廷設置です。これは従来の理解では、安保理事会でないとできないことですが、この報告書は国連憲章22条に基づいて国連総会で決議して設置せよと主張しています。
*
23日は、議題8のウィーン・フォローアップと議題9のダーバンのフォローアップでした。ウィーン・フォローアップは発言が少なく1時間でささっと終わり。議題9に今回提出された報告書は4本です。「宗教への中傷と闘う」ための人権高等弁務官事務所報告書(A/HRC/13/57)、アフリカ系人民に関する専門家作業部会エクアドル調査報告書(A/HRC/13/59)、(ダーバン宣言・行動計画の)補足基準仕上げアドホック委員会第2会期報告書(A/HRC/13/58)、ダーバン宣言・行動計画効果的実施・政府間作業部会第7会期報告書(A/HRC/13/60)です。それぞれのプレゼンテーション、関係政府の応答、そして一般討論でした。
*
報告書58は、2009年10月19-30日の会期の報告書です。そこでの議題は次の20です。人種憎悪等の主唱・煽動、包括的反差別法、宗教・信念に基づく差別、差別予防のための国内人権機関設立、ジェノサイド、ヘイト・クライム、人権教育、既存規範・基準の実施、人種主義行為等の不処罰、文化間・宗教間対話、人種差別撤廃委員会のモニター手続き、複合形態の差別、自然災害犠牲者救援における非差別、移住者の保護、外国占領下の人民の保護、難民や国内避難民の保護、人種的プロファイリングおよびテロリズムと闘う手段、人種的サイバー犯罪、被害者の補償・救済、外国人排斥。これらをめぐる様々な討論の概略が報告書に記載されています。報告書を受けて、これからどうするかを23日に議論しました。
*
報告書60は、2009年10月5-16日の会期の報告書です。これまでの人権理事会決議の実施、移住、子どもの保護、雇用に焦点を当てて議論がなされ、勧告がまとめられています。その報告書をめぐる議論が行われました。いずれも、報告書を読んでいなかったので、よくわかりませんでした。各国の発言は、みな前向きでした。なんだか信用できませんが、見事にみな、明るい未来に向かって・・・。参考になったのは、日本で始めた「東アジアNGO歴史・人権・平和宣言」を国際社会にどう発信して行くのか、ターゲットがわかった点です。人権高等弁務官事務所と、人権理事会、ということは最初からわかっていますが、その下に設置されている作業部会と、人権理事会の議題を確認できました。
*
イタリア・シエナのDella Robbia, Brunello Di Montalcino, 2004. 最初の一口は、うん、なかなか。その直後に大蒜ニンニクを齧って見事に”当たり”、舌が痺れて味がまったくわからなくなりました(泣)。
*
2)機中の読書予定
*
予定を早めに切り上げて本日の便でまっすぐ帰国します。25日成田。当初予定ではフランクフルトで遊ぶはずでしたが。機中での読書予定は、次の2冊。
エファ・ゴイレン『アガンベン入門』(岩波書店、2010年)
ブライアン・レヴィン編『ヘイト・クライム第1巻 ヘイト・クライムを理解し定義する』(プレーガー出版、2009年)
アガンベンは『ホモ・サケル』『人権の彼方に』『アウシュヴィッツの残りもの』『例外状態』を読み、それらの訳者解説もすぐれていたので勉強になりましたが、必ずしもよく理解できていません。2月16日にスイスに持ってきて、まったく読まずに、この機会までとっておきました(嘘)。本当は、読みやすい本を優先していただけ。本書のオビに書かれた「強烈なアクチュアリティをもつ思想家の知的全貌」という宣伝文句が本当だといいのですが、「思想家の知的全貌」って、尋常ならざる奇怪奇妙奇天烈な言葉です(笑)。正しい日本語は「思想家の全貌」です。これしかないし、これで十分。「思想家の非-知的-所業」が多くて、まともな日本語が分からなくなっている出版社が、「知的」以外でどれだけ苦労してきたか、知られざる幾千のエピソードがあるのでしょう。あるいは「知的」に憧れる訳者の自己認識の発露か。本書「岩波=アガンベン」は、何を教えてくれるか、楽しみです。
後者ヘイト・クライムは、私の研究テーマそのもの。昨年出版された全5巻本で、ヘイト・クライム研究の決定版、の第1巻です。ヘイト・クライムについて、これまでもその都度、発言はしてきましたが、今後はいっそう本格的にやることにしています。などと言わなくても、この「グランサコネ通信」をお読みいただいただけでも、十分理解いただけることでしょう。もっとも、ちゃんとやるつもりでも、「やります」と公表しておかないと、忙しさにまぎれて自分をごまかしてしまうので--ヘイト・クライム、ヘイト・クライム法、人種差別禁止法が、これから数年の私の主要課題です。
Monday, March 22, 2010
グランサコネ通信2010-15
*
1)人権理事会
*
19日は普遍的定期審査UPRで、ブルネイ、コスタリカ、赤道ギニア、エチオピア。とんとん拍子に進んで時間が余っていました。
*
昼休みに人権高等弁務官事務所主催のセミナー「国際人種差別禁止デーを記念して」がありました。多数の政府も含めて100人以上参加。
ナヴァネゼム(ナヴィ)・ピレイ人権高等弁務官の演説「人種差別禁止デーを記念して」
--私の国で1960年に起きたシャープヴィルの悲劇を記念して3月21日が人種差別禁止デーとなっている。この悲劇から50年を経て、いま、ジェノサイド、ホロコースト、アパルトヘイト、民族浄化、奴隷制のような人種主義を現在及び将来からなくしていくことが私たちの集団的責任である。「人種主義を失格にする」ために、特に人種主義とスポーツの関係に着目したい。スポーツは社会の鏡であって、不平等、偏見、ステレオタイプが見られる。私の国はワールドカップを開催するアフリカ最初の国となるが、そこから人種主義と人種差別をなくしていかなくてはならない。そのためのガイドラインとしてすでに女性差別撤廃条約、障害者権利条約、人種差別撤廃条約などがある。1978年のユネスコ体育教育とスポーツ憲章もある。2007年オリンピック憲章はスポーツは人権であるとした。しかし、スポーツにおける人種主義は世界中で問題を引き起こしている。人種主義との闘いをスポーツ領域でも進めたい。映画「インヴィクタス」で描かれているように、1995年、わが国で開催されたラグビー世界大会はスポーツによる社会統合の挑戦でもあった。この闘いを強化するためにダーバン宣言があり、さらにダーバン検証会議の結果がある。その成果文書はまもなく全言語で出版される。・・・
*
ギト・ムイガイ人種主義・人種差別問題特別報告者の演説「人種差別禁止デーを記念して」(ただし飛行機トラブルのため本人は出席できず、代読)
--ダーバン検証会議から一年を迎えようとしているが、人種主義との闘いにおける集団的努力が必要である。人種主義との闘いのためには反差別法の制定が必要である。しかし、現状は不十分である。今回はスポーツに焦点を当てているが、今年はオリンピック、ワールドカップ、コモンウエルスカップが続く。多数の人々が参加するので、人種主義との闘いを周知するのに良い機会である。スポーツにおける人種主義と差別を克服する決議案はブラジルと南アフリカが準備してきた。サッカーでいうと、FIFAは「人種主義にノーと言おう」というキャンペーンをしている。オリンピックでも、カナダはファースト・ネイション、イヌイット、メティスのダンスパフォーマンスを採用した。他方で、スポーツ分野での人種主義も見られ、有名選手に対する差別事件も知られる。人種主義を克服するために、大規模スポーツ大会を初めとするあらゆる場面で努力を積み重ねよう。
*
会場では、3月21日の人権高等弁務官のメディア向け記念声明文も配布されました。
*
19日午後、国際民主法律家協会IADL主催のセミナー「人民の平和への権利の促進」がありました。司会はチャールズ・グレイブス(インターナショナル・インターフェイス)、報告は4本。
塩川頼男(IADL)「高度に発展した、しかし実は発展途上国における人民の平和への権利」
コリン・アーチャー(国際平和ビューロー)「発展のための軍縮」
クリストフ・バルビー(軍隊のないスイス運動)「軍隊のない国家と平和憲法」
デヴィッド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)「平和への権利の法典化」
*
プヤナ報告は興味深いものでした。2006年10月30日にスペインの専門家による「平和への権利に関するルアルカ宣言」が採択され、2010年2月24日に「同ビルバオ宣言」が採択されました。両宣言を準備してきたスペインの専門家や平和運動は、2010年5月末にバルセロナで集会を持ち、さらに2010年12月にサンティアゴ・デ・コンポステラで開かれる平和への権利NGO国際会議でまとめられるそうです。スペイングループは、国連人権理事会で平和への権利決議を採択させるために努力してきたし、理論的研究も続けてきた。国連人権理事会の次の会期に平和への権利作業部会を開くよう提案している。そのための文書提出もしてきた。その経過が報告されました。
*
平和的生存権は、1960年代、恵庭訴訟、長沼訴訟の闘いのなかで、日本の平和運動と弁護士と憲法学者が、憲法前文と9条を元に主張し、理論化し、平和の闘いの武器としました。それが今日でも、日本の平和運動の一つの柱となっています。しかし、スペインの法律家たちは、そのことをあまり知りません。欧州の平和運動家たちは憲法9条を良く知っています(ぜんぜん守られていないことも)。ヒロシマ・ナガサキもよく知っています。しかし、日本の平和的生存権の議論はあまり知らないようです。このため、プヤナ報告でも、平和への権利の根拠は、国連憲章、世界人権宣言、2005年サミット文書、2005年国連総会決議に求められ、2008年と2009年の国連人権理事会決議が中心になっています。いま、国際人権法の分野で平和への権利が取り上げられ、体系化されようとしているときに、9条の日本の憲法学は何も貢献していません。日本の憲法学者は完全に蚊帳の外です。どこにいて、何をしてるんだろう(もしかして名前は出ていないけど、どこかで少しは貢献しているのでしょうか)。それどころか、日本政府に至っては、2009年6月17日の国連人権理事会における「人民の平和への権利の促進」決議(11/4)に、反対投票しています。政治家も学者もNGOもちゃんと監視していないから、外務官僚が勝手に決めているのです。これに対して、塩川さん(IADL)が孤軍奮闘しています。少しは協力しないといけないと反省して、私もフロアから発言しました。一つは軍隊のない国家の調査の話。バルビーに教わって、27カ国全部を旅して本を出したけど、日本語なのでごめんなさい、と。もう一つは無防備地域宣言運動という新しいピースゾーン運動が日本で展開されていることを紹介しました。
*
夜はちょっと贅沢して嵯峨野のお寿司。
*
2)ヌシャテルの読書
*
週末は観光モードでヌシャテルでした。ヌシャテルはヌシャテル湖に面した小さな坂の町です。ローザンヌと似てますが、ローザンヌほど派手ではなく、やや田舎で、落ち着いていて、優雅。15年ほど前に行った時は快晴でしたが、今回は曇天ときどき雨。駅前にモダンなビルができていて景観が損なわれているのが残念。坂を下りたり、登ったり。中華料理・美景Mei Jingで青島ビール。湖畔のヨットハーバー、ヌシャテル大学、公園、博物館。湖畔のホテルのカフェで食事中、キャット・スティーヴンスの歌が流れました。随分懐かしい。
*
Chateauneuf du Pape, Domaine du Vieux Lazaret,2007.
*
中村文雄『大逆事件と知識人--無罪の構図』(論創社、2009年)
--幸徳秋水らの大逆事件の研究者で、同じ表題の『大逆事件と知識人』(三一書房、1981年)、『大逆事件の全体像』(三一書房、1997年)などの著者による最新刊です。昨春出版時に入手していましたが読んでいなかったので。同じ時期に私が出した『非国民がやってきた!』(耕文社)では、管野すが・幸徳秋水、金子文子・朴烈、、鶴彬などを、石川啄木を核にして「非国民」という線でつないで描いてみました。啄木つながりの非国民群像です。2冊目では小林多喜二つながりの非国民群像の予定です。中村著『大逆事件と知識人』は、第一部で「大逆事件とは」の基礎知識、第二部「大逆事件と啄木、鴎外、漱石」、第三部「大逆事件と同時代人たち」。啄木についてはよく知られている話ですが、鴎外と漱石と大逆事件のかかわり(どう見ていたか)はおもしろかったです。同時代人として、小泉三申、被告人の大石誠之助、内山愚童、他方、検事の平沼騏一郎、アナキストの石川三四郎がとりあげられています。大逆事件100年に向けて出版された好著。
*
『石川啄木全集第四巻』(筑摩書房、1980年)
--非国民としての啄木については「時代閉塞の現状」「所謂今度の事」「日本無政府主義者穏謀事件経過及び附帯現象」「A LETTER FROM PRISON」をもとに見ていけばよいわけで、私の本でもその一部を紹介しておきましたが、啄木の評論をまとめて読んだことがありませんでした。どうしても「時代閉塞の現状」が中心になりますし、『一握の砂』や『悲しき玩具』と、そこには収めなかった(収めることのできなかった)短歌に目が向きます。そこで全集第四巻に収録された評論を全部読むことにして、今回持参し、ヌシャテルで通して読みました。初期の、つまり10代終わりから20歳そこそこの「天才詩人」時代の評論から、晩年(といっても25~26歳ころ)の作品まで。初期の評論は天才詩人らしい美文で、語彙もきわめて豊富、素晴らしい文章ですが、底が浅く、言葉が踊っているだけ。おもしろかったのは、社会主義者や非戦論客に対する批判を懸命にやっていて、「平和の美名に酔ふ者の戯言」を笑っていることです。同時に、日露大戦の勝利を高々と誇示していますが、ただ、勝利に浮かれることを戒め、大勝利の恐怖にも言及しています。文明論的な思考がすでに見られます。ロマン主義を批判し、自然主義をも乗り越えようとしていた時期の思想の変遷がよくわかるのも、評論ならでは。結局やはり「時代閉塞の現状」に帰り着きますが、「文学と政治」「性急な思想」「きれぎれに心に浮かんだ感じと回想」「日露戦争論(トルストイ)」など重要な評論がいくつもあります。非国民・啄木を理解するためには、評論、短歌、詩を執筆・発表の時系列に直して再読してみる必要があります。もっとも、ヌシャテルには啄木は似合わないというか、スイスのどこへもって行っても似合いません。啄木は、友人が盛岡をスペインに比肩していると書いているので--全然根拠がなく説得力がないので、こんなことは、誰も言っていないでしょう。啄木の願望でしょう--、そう遠くはないのかもしれませんが。次回は函館、札幌、小樽、旭川、釧路と旅して啄木を読みたいものです。