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1)人権理事会
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19日は普遍的定期審査UPRで、ブルネイ、コスタリカ、赤道ギニア、エチオピア。とんとん拍子に進んで時間が余っていました。
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昼休みに人権高等弁務官事務所主催のセミナー「国際人種差別禁止デーを記念して」がありました。多数の政府も含めて100人以上参加。
ナヴァネゼム(ナヴィ)・ピレイ人権高等弁務官の演説「人種差別禁止デーを記念して」
--私の国で1960年に起きたシャープヴィルの悲劇を記念して3月21日が人種差別禁止デーとなっている。この悲劇から50年を経て、いま、ジェノサイド、ホロコースト、アパルトヘイト、民族浄化、奴隷制のような人種主義を現在及び将来からなくしていくことが私たちの集団的責任である。「人種主義を失格にする」ために、特に人種主義とスポーツの関係に着目したい。スポーツは社会の鏡であって、不平等、偏見、ステレオタイプが見られる。私の国はワールドカップを開催するアフリカ最初の国となるが、そこから人種主義と人種差別をなくしていかなくてはならない。そのためのガイドラインとしてすでに女性差別撤廃条約、障害者権利条約、人種差別撤廃条約などがある。1978年のユネスコ体育教育とスポーツ憲章もある。2007年オリンピック憲章はスポーツは人権であるとした。しかし、スポーツにおける人種主義は世界中で問題を引き起こしている。人種主義との闘いをスポーツ領域でも進めたい。映画「インヴィクタス」で描かれているように、1995年、わが国で開催されたラグビー世界大会はスポーツによる社会統合の挑戦でもあった。この闘いを強化するためにダーバン宣言があり、さらにダーバン検証会議の結果がある。その成果文書はまもなく全言語で出版される。・・・
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ギト・ムイガイ人種主義・人種差別問題特別報告者の演説「人種差別禁止デーを記念して」(ただし飛行機トラブルのため本人は出席できず、代読)
--ダーバン検証会議から一年を迎えようとしているが、人種主義との闘いにおける集団的努力が必要である。人種主義との闘いのためには反差別法の制定が必要である。しかし、現状は不十分である。今回はスポーツに焦点を当てているが、今年はオリンピック、ワールドカップ、コモンウエルスカップが続く。多数の人々が参加するので、人種主義との闘いを周知するのに良い機会である。スポーツにおける人種主義と差別を克服する決議案はブラジルと南アフリカが準備してきた。サッカーでいうと、FIFAは「人種主義にノーと言おう」というキャンペーンをしている。オリンピックでも、カナダはファースト・ネイション、イヌイット、メティスのダンスパフォーマンスを採用した。他方で、スポーツ分野での人種主義も見られ、有名選手に対する差別事件も知られる。人種主義を克服するために、大規模スポーツ大会を初めとするあらゆる場面で努力を積み重ねよう。
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会場では、3月21日の人権高等弁務官のメディア向け記念声明文も配布されました。
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19日午後、国際民主法律家協会IADL主催のセミナー「人民の平和への権利の促進」がありました。司会はチャールズ・グレイブス(インターナショナル・インターフェイス)、報告は4本。
塩川頼男(IADL)「高度に発展した、しかし実は発展途上国における人民の平和への権利」
コリン・アーチャー(国際平和ビューロー)「発展のための軍縮」
クリストフ・バルビー(軍隊のないスイス運動)「軍隊のない国家と平和憲法」
デヴィッド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)「平和への権利の法典化」
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プヤナ報告は興味深いものでした。2006年10月30日にスペインの専門家による「平和への権利に関するルアルカ宣言」が採択され、2010年2月24日に「同ビルバオ宣言」が採択されました。両宣言を準備してきたスペインの専門家や平和運動は、2010年5月末にバルセロナで集会を持ち、さらに2010年12月にサンティアゴ・デ・コンポステラで開かれる平和への権利NGO国際会議でまとめられるそうです。スペイングループは、国連人権理事会で平和への権利決議を採択させるために努力してきたし、理論的研究も続けてきた。国連人権理事会の次の会期に平和への権利作業部会を開くよう提案している。そのための文書提出もしてきた。その経過が報告されました。
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平和的生存権は、1960年代、恵庭訴訟、長沼訴訟の闘いのなかで、日本の平和運動と弁護士と憲法学者が、憲法前文と9条を元に主張し、理論化し、平和の闘いの武器としました。それが今日でも、日本の平和運動の一つの柱となっています。しかし、スペインの法律家たちは、そのことをあまり知りません。欧州の平和運動家たちは憲法9条を良く知っています(ぜんぜん守られていないことも)。ヒロシマ・ナガサキもよく知っています。しかし、日本の平和的生存権の議論はあまり知らないようです。このため、プヤナ報告でも、平和への権利の根拠は、国連憲章、世界人権宣言、2005年サミット文書、2005年国連総会決議に求められ、2008年と2009年の国連人権理事会決議が中心になっています。いま、国際人権法の分野で平和への権利が取り上げられ、体系化されようとしているときに、9条の日本の憲法学は何も貢献していません。日本の憲法学者は完全に蚊帳の外です。どこにいて、何をしてるんだろう(もしかして名前は出ていないけど、どこかで少しは貢献しているのでしょうか)。それどころか、日本政府に至っては、2009年6月17日の国連人権理事会における「人民の平和への権利の促進」決議(11/4)に、反対投票しています。政治家も学者もNGOもちゃんと監視していないから、外務官僚が勝手に決めているのです。これに対して、塩川さん(IADL)が孤軍奮闘しています。少しは協力しないといけないと反省して、私もフロアから発言しました。一つは軍隊のない国家の調査の話。バルビーに教わって、27カ国全部を旅して本を出したけど、日本語なのでごめんなさい、と。もう一つは無防備地域宣言運動という新しいピースゾーン運動が日本で展開されていることを紹介しました。
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夜はちょっと贅沢して嵯峨野のお寿司。
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2)ヌシャテルの読書
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週末は観光モードでヌシャテルでした。ヌシャテルはヌシャテル湖に面した小さな坂の町です。ローザンヌと似てますが、ローザンヌほど派手ではなく、やや田舎で、落ち着いていて、優雅。15年ほど前に行った時は快晴でしたが、今回は曇天ときどき雨。駅前にモダンなビルができていて景観が損なわれているのが残念。坂を下りたり、登ったり。中華料理・美景Mei Jingで青島ビール。湖畔のヨットハーバー、ヌシャテル大学、公園、博物館。湖畔のホテルのカフェで食事中、キャット・スティーヴンスの歌が流れました。随分懐かしい。
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Chateauneuf du Pape, Domaine du Vieux Lazaret,2007.
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中村文雄『大逆事件と知識人--無罪の構図』(論創社、2009年)
--幸徳秋水らの大逆事件の研究者で、同じ表題の『大逆事件と知識人』(三一書房、1981年)、『大逆事件の全体像』(三一書房、1997年)などの著者による最新刊です。昨春出版時に入手していましたが読んでいなかったので。同じ時期に私が出した『非国民がやってきた!』(耕文社)では、管野すが・幸徳秋水、金子文子・朴烈、、鶴彬などを、石川啄木を核にして「非国民」という線でつないで描いてみました。啄木つながりの非国民群像です。2冊目では小林多喜二つながりの非国民群像の予定です。中村著『大逆事件と知識人』は、第一部で「大逆事件とは」の基礎知識、第二部「大逆事件と啄木、鴎外、漱石」、第三部「大逆事件と同時代人たち」。啄木についてはよく知られている話ですが、鴎外と漱石と大逆事件のかかわり(どう見ていたか)はおもしろかったです。同時代人として、小泉三申、被告人の大石誠之助、内山愚童、他方、検事の平沼騏一郎、アナキストの石川三四郎がとりあげられています。大逆事件100年に向けて出版された好著。
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『石川啄木全集第四巻』(筑摩書房、1980年)
--非国民としての啄木については「時代閉塞の現状」「所謂今度の事」「日本無政府主義者穏謀事件経過及び附帯現象」「A LETTER FROM PRISON」をもとに見ていけばよいわけで、私の本でもその一部を紹介しておきましたが、啄木の評論をまとめて読んだことがありませんでした。どうしても「時代閉塞の現状」が中心になりますし、『一握の砂』や『悲しき玩具』と、そこには収めなかった(収めることのできなかった)短歌に目が向きます。そこで全集第四巻に収録された評論を全部読むことにして、今回持参し、ヌシャテルで通して読みました。初期の、つまり10代終わりから20歳そこそこの「天才詩人」時代の評論から、晩年(といっても25~26歳ころ)の作品まで。初期の評論は天才詩人らしい美文で、語彙もきわめて豊富、素晴らしい文章ですが、底が浅く、言葉が踊っているだけ。おもしろかったのは、社会主義者や非戦論客に対する批判を懸命にやっていて、「平和の美名に酔ふ者の戯言」を笑っていることです。同時に、日露大戦の勝利を高々と誇示していますが、ただ、勝利に浮かれることを戒め、大勝利の恐怖にも言及しています。文明論的な思考がすでに見られます。ロマン主義を批判し、自然主義をも乗り越えようとしていた時期の思想の変遷がよくわかるのも、評論ならでは。結局やはり「時代閉塞の現状」に帰り着きますが、「文学と政治」「性急な思想」「きれぎれに心に浮かんだ感じと回想」「日露戦争論(トルストイ)」など重要な評論がいくつもあります。非国民・啄木を理解するためには、評論、短歌、詩を執筆・発表の時系列に直して再読してみる必要があります。もっとも、ヌシャテルには啄木は似合わないというか、スイスのどこへもって行っても似合いません。啄木は、友人が盛岡をスペインに比肩していると書いているので--全然根拠がなく説得力がないので、こんなことは、誰も言っていないでしょう。啄木の願望でしょう--、そう遠くはないのかもしれませんが。次回は函館、札幌、小樽、旭川、釧路と旅して啄木を読みたいものです。