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ちょっと帰国していましたが、10日からふたたびジュネーヴです。東京も暖かくなったり寒くなったりですが、ジュネーヴも10日は少々寒かったです。
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私がユーラシアの上空を往復している間に、「RAWAと連帯する会」の仲間4人がRAWA(アフガニスタン女性革命協会)との連帯のために、とりわけ3月8日の国際女性デーのために、カブール訪問をしています。カブールへは、ドバイ経由です。以前はイスラマバードから車で国境を越えたり、飛行機でしたが、いまはドバイ経由が便利だそうです。成田からドバイ、そしてカブールと結構スムーズにいけるようです。もっとも、アフガニスタンですから何が起きるか分かりませんので、心配。
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岸博幸『ネット帝国主義と日本の敗北--搾取されるカネと文化』(幻冬舎新書、2010年)
--元経済産業省で竹中平蔵大臣補佐官だったそうで、かなり抵抗がありましたが(笑)、グーグル、アマゾンなど米国ネット企業が莫大な利益を上げ一人勝ちしているうえ、オバマ政権のバックアップをえて帝国主義的拡大政策を採っているのに対して、欧州では抵抗が始まっているのに、日本では間違った政策がとられているとのことで、読んでみると、なるほど。初歩的知識がないため、著者の言うことに、ごもっとも、の連続です。特に、ネット社会化の進行によって、ジャーナリズムと文化(具体例としては音楽産業)が衰退し始めていることが指摘され、ジャーナリズムや音楽文化の発展は「国益」であり、業界自身の生き残り戦略が必須であるとともに、政府の政策も重要であるという話はとてもわかりやすいものでした。
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芹沢一也・荻上チキ編『日本思想という病--なぜこの国は行きづまるのか?』(光文社、2010年)
--5人の「気鋭の研究者たちが解き明かす「この国の失敗」の本質」という惹句。「保守・右翼・ナショナリズム」「中今・無・無責任」「文系知識人の受難」「思想史からの昭和史」「ニッポンの意識」の5本で、興味深い戦前期昭和思想史論です。--もっとも、読み始めてすぐに躓きました。はじめにと目次が終わって、本文は19ページから始まります。19ページでは「保守の空洞化」が語られ、最近の状況を「保守の本質を理解しないまま、単なる「反左翼」というアンチの論理が語られているに過ぎない」としています。20ページ1行目にも「自称保守の短絡的な「アンチ左翼」ばかりが拡大することになります」とあります。保守は単なる「アンチ」であってはいけない。保守にはもっと保守なりの思想や論理がある、というわけです。賛成です。納得できます。それでは、保守とは何か。「体系立てて」見るとして、20ページ8行目に次のように書かれています。「まず、保守思想についてですが、保守の一番の基礎のところは、人間の個人的な理性によって理想社会がつくれるという考え方に対する批判です」。いや~~~~眼が点になりました。「保守=アンチ理想社会」だというのです。7行前までは「アンチ」はダメと断言していたのに(!!!)。いや、もしかすると読者を引っ掛けて、意外な展開にもっていくのかも、と思って読み進めましたが、違いました。20ページ13行目には、これが保守の「一番の核心部分です」とあります。保守は「反左翼」「アンチ左翼」ではいけない。もっと・・・、のはずが、「保守=アンチ理想社会」って、そりゃないよね。コメントのしようがありません。失格。ついでに触れておくと、最後のほうには、石橋湛山は「日本の植民地放棄や対外への政治・軍事的進出を常に批判していました」とあります(322ページ5~6行)。湛山が植民地放棄を批判? 校正ミスですね。「なぜこの国は行きづまるのか?」を身をもって再演しようとする素晴らしすぎる行きづまり本は直ちにフランクフルト空港のゴミ箱に(笑)。
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小林正啓『こんな日弁連に誰がした?』(平凡社新書、2010年)
--法曹人口問題、法曹養成問題、法曹一元制、法科大学院創設といった司法改革問題を、「日弁連はなぜ敗北したのか」を国家および司法における権力闘争という問題意識で見直した本です。著者は大阪の弁護士ですが、当時はまったく関心がなく、司法改革問題について発言していなかったそうです。事後的に資料を追跡して検証する試みです。私も90年代はずっと雑誌「法と民主主義」の「司法をめぐる動き」欄の執筆を担当していましたし、本書には知り合いが続々と10数人登場するので、おもしろく読みました。当時はこうだと思っていたが、なるほど事後的検証としてはこういう視点もあるのだ、と。主役はもちろん矢口洪一と中坊公平。80年代から90年代にかけて、私は、法曹養成と法曹一元について、日弁連を初めとする弁護士に批判的でした。弁護士の後継者養成を自分たちで行うという観点が完全に欠落していたからです。最高裁におまかせでした。今は法科大学院ということで大学におまかせです(その制度設計のミスで混乱が続いていることは周知のことです)。いろんな理屈をつけていましたが、実は全部ウソで、後継者養成に責任を持つという発想がゼロだったのです。これで法曹一元などできるはずがありません。案の定、法曹一元という形だけのエサにつられて、中坊日弁連は転落するしかなかった。私はこう見ていました。著者は別の観点から論じていますが、この限りでは私と共通します。一番おもしろかったのは、法科大学院制度導入の先導をして、その実績で後に最高裁判事になった宮川光治・元弁護士に対する批判です。宮川弁護士については、本書112~116、148~149、221~222ページ。「最高裁判所判事になる以前の問題として、その成果を総括する責任があると思う」「これらを後輩法曹と法科大学院生に語り、あるいは弁解しなければ、無責任のそしりを免れないだろう」と指摘しています。上に登り詰めた人は、こういう批判には答えないでしょう。法科大学院制度設計ミスで、いったどれだけの前途有為な若者が被害を被ったのか。権力者はそんなことにはお構いなしですが、著者のようにきちんと指摘しておくことが重要です。
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このブログの活字が読みにくいとのご連絡がありました。原因は、国連欧州本部ジュネーヴの図書館のコンピュータを使ってブログにアップしているためかと思います。日本語は不便です。もっとも、東京にいる間に前回までの分は差し替えたので、日本語で読みやすくなっているはずです。今回からしばらくは、読みにくくなっているかもしれません。