大江健三郎『核時代の想像力』(新潮社、1970年)
1968年1月~12月に紀伊國屋ホールで行われた11回の連続講演記録を1冊にまとめたもので、『万延元年のフットボール』(1967年)の後、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)を発表していた時期である。『ヒロシマ・ノート』(1965年)の後、『沖縄ノート』(1970年)を書いていた時期でもある。
「核時代に人間らしく生きること」を考えるために、すべての狂気について想像力をめぐらせること、そして、想像力を鈍らせる力に抵抗しつつ生きることを掲げる。明治百年の国家的祝祭に抵抗し、沖縄返還へ向けた時期の政治に抵抗し、学生の反乱を自らの問いとして引き受け、アメリカと日本の関係を問い直し、想像力の死とその再生を語る。バルザック、ドストエフスキー、フォークナー、サルトル、ロブ=グリエ、カポーティ、往生要集、魯迅、二葉亭四迷、そして自作を取り上げながら、時代状況に挑む。
上石神井の下宿に住んでいたので石神井図書館で借りて本書を手にしたのは1974年、大学1年生の時だった。平易な語り口で読みやすいと思ったのを覚えている。1974年に出た『状況へ』は大学1年生には難しかったが、本書は読みやすかった。当時読み落としていたことを2つ。
一つは、核兵器と原発の問題だ。3.11の後、「大江は核兵器には反対していたが、原発には反対していなかった」と語られたことがある。たしかに、「核エネルギーの開発とはなれて、原爆は弁護しがたい悪です」といった表現がある(197頁)。しかし、「とくに日本においておこなわれている核エネルギーの開発を考える場合には、いま、ただ文明の名においてのみ進行しているこの問題に、その文明が内部にもっているところの野蛮さということを考えあわすことが必要なのではないか。」(202頁)、「核兵器とすっかり切りはなされた核開発がありうるとして、そのようなもののなかにも、われわれのもっている野蛮さを限りなく大きく拡大して非常に凶暴な力とかえるような契機もふくまれているのではないかと気がかりです。」(203頁)。
二つは、ルネサンスに触れてトーマス・モアとエラスムスを論じつつ、大江は「日本にそれをかぎっていえば、そのようなルネサンスにあたる時代とは、どのような時代であろうかとしばしば考えてきました。いまのぼくの考えは、自由民権の時代、すなわち維新後の一時器がすぎて、明治十五年あたりをピークとして高揚する自由民権の時代が、にほんにおけるそのように本質的な再生の時代、ルネサンスの時代であったといっていいのではないかと思います。それもとくに民衆のがわに、民衆的規模において非常に生きいきとした興奮がおこる。それに伴うイマジネイションが民衆の心に燃えあがる。当然に大きな希望を民衆がもち、陽気な大胆さをもつ、そういうことをいちいち具体的に考えてみれば、自由民権運動の時代は、ほんとうにわれわれの国のルネサンスであったろうと思うのです。」と述べている(267~8頁)。自由民権=ルネサンス論である。『万延元年のフットボール』以後の小説に影響を及ぼし思考がここに明示されていた。