Saturday, July 02, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(56)民主主義論から考えるヘイト・スピーチ

金尚均「ヘイト・スピーチ」内田博文・佐々木光明編『<市民>と刑事法(第4版)』(日本評論社)
金尚均は、2009年12月の京都朝鮮学校事件以来、ヘイト・スピーチに関する論文を矢継ぎ早に公表してきた。金尚均編『ヘイト・スピーチの法的研究』(法律文化社)については、書評を図書新聞に書かせてもらった。ほかにも『龍谷法学』その他の法律雑誌に関連論文を多数発表している。『<市民>と刑事法』は初版以来、統一的にモチーフの下、内容を入れ替えながら新たな版を送り出し、今春、第4版が出て、ヘイト・スピーチの章が設けられた。
本論文は学生向けの平易な解説だが、著者のこれまでの研究の成果が圧縮して盛り込まれている。特に重要なのは、ヘイト・スピーチを単に表現の自由の観点に収れんさせるのでは無き、より基本的に、民主主義の問題として考察していることである。他者の存在や生命を否定して排除することは、民主主義を破壊することであり、法の下の平等や人間の尊厳を否定することである。民主主義的価値を否定し、具体的に被害を生むヘイト・スピーチを表現の自由の名において正当化することはありえない。そのうえで、著者は、憲法、国際法、刑法に即してヘイト・スピーチの法規制を検討する方向性を指し示す。
これまで日本ではこうした観点が見落とされ、単純極まりない表現の自由論が跋扈してきた。

本年3月18日、国連人権理事会第31会期において「民主主義と人種主義の背反性に関するパネル・ディスカッション」が開催された。私はパネルを傍聴したが、そこでは、人種主義racismは民主主義に背反することが何度も確認された。民主主義を守るためには人種主義を克服しなければならない。人種主義を容認している社会は民主主義社会とは言えない。こうした当たり前のことを、国際人権機関は繰り返してきた。ヘイト・スピーチは表現の自由であるという異常な主張をする日本憲法学は、人権無視、かつ民主主義を理解しない憲法学である。