菊地夏野『日本のポストフェミニズム』(大月書店、2019年)
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b437905.html
第1章 ネオリベラリズムとジェンダーの理論的視座
第2章 日本におけるネオリベラル・ジェンダー秩序
第3章 ポストフェミニズムと日本社会――女子力・婚活・男女共同参画
第4章 「女子力」とポストフェミニズム――大学生アンケート調査から
第5章 脱原発女子デモから見る日本社会の(ポスト)フェミニズム――ストリートとアンダーグラウンドの政治
第6章 「慰安婦」問題を覆うネオリベラル・ジェンダー秩序――「愛国女子」とポストフェミニズム
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『ポストコロニアリズムとジェンダー』(青弓社)から9年、菊池は今度はポストフェミニズムに切り込む。
ナンシー・フレイザーの見解を受けて、菊地は「ネオリベラリズムとフェミニズムの関係性の根深さ」を「共犯関係」として把握する。
「二者の『共犯』関係は、女性たちの市場参加への意欲と承認への欲求、政治参加の要求が資本へ養分を提供するという形で再編成されたのである。
この時点で、新自由主義と新保守主義を分かつ境界線が見えなくなってくる。保守的なジェンダー秩序を唱える新保守主義と、一見『平等』や『自由』を掲げる新自由主義が、女性への抑圧という点では同様の作用をもつ。
だが、おそらく新自由主義と新保守主義は女性の抑圧における共通性において依存しあっている。その間にフェミニズムはあり、翻弄されている。この全体を『ネオリベラル・ジェンダー秩序』として言語化し、批判的な言説や理論を創造することが必要である。」
フレイザーとフーコーに学びつつ、菊地はネオリベラル・ジェンダー秩序が日本の現実を支配している構造を問い直す。これは容易なことではない。「新自由主義は私たちの世界認識に一体化しているため、そこから身を剥がす必要がある。なかでもジェンダーとセクシュアリティは個々の主体化の内部に関わる要素であるため、身を引き剥がすのが難しい」からである。
菊地は、女子力・婚活・男女共同参画、脱原発女子デモといった現象を可能とするネオリベラル・ジェンダー秩序を一つひとつ検証していく。メディアにおける流行においても、学生へのアンケートにおいても、研究者の言説においても、ネオリベラル・ジェンダー秩序が巧みに配備され、これに規定されて、私たちの社会認識が形成されている。
さらに、菊地は「慰安婦」問題のありようもネオリベラル・ジェンダー秩序に貫かれていることを見る。マスコミや支配的言説における「慰安婦」問題の隠蔽、ヘイト・スピーチ論議におけるコロニアリズム認識の欠如、朴裕河の『帝国の慰安婦』の日本知識人による称揚、「慰安婦」否定の日本女子の活躍を貫くのがネオリベラル・ジェンダー秩序なのだ。ポストフェミニズムが「愛国女子」を用意するメカニズムが明らかにされる。
日本フェミニズムはどこへ行くのか。その答えはまだ充分明らかではないが、菊地は運動を支える理論の再生を自らの課題として引き受ける。