Sunday, April 07, 2019

桐山襲を読む(3)それぞれの闘いの物語を


桐山襲『戯曲 風のクロニクル』(冬芽社、1985年)


先に出版された小説『風のクロニクル』における「劇中劇」「小説中劇」を独立の作品にした戯曲である。構成、粗筋、登場人物等は共通だが、加筆がなされていて、桐山自身は「全く異なった作品」と述べている。大半の読者は「同じ作品」と受け止めるのではないだろうか。


初演は1985年12月、青年座である。作・桐山、演出・越光照文。主な役者は新谷一洋、まつうらまさのり、水木容子。


1968年に大学に入学し、サークルで出会った若者たちが、全国の学園と同様に紛争に突入し、学生会館占拠に突入する。大学当局、警察との闘いと、<革命の葬儀屋>との闘い。

他方、その一人の祖父が闘った神社合祀阻止。民衆の神々を殺戮して、天皇に服従する神々の日本を作り出す政府に対して、民衆の神々を守る闘いの中、村人によって惨殺される神官夫妻。

小説と大きく異なるのは、全共闘のその後、を描いていることだ。闘いから抜けた元学生は1985年のクリスマスに、企業の課長補佐となり昇進をめざす。学生運動と言えば小説『僕って何』しか知らない若者たち。


<本当はきみに書いてもらいたいんだ。誰かが書かなくちゃならない、俺たちの時代のことを>


あの闘いの事実を、意義を、誰かが書き留め、世間に公表していかなければ、闘争そのものが忘却されてしまうという不安を、この世代は持っているようだ。

ガンダムの安彦良和も、あの闘いが描かれていない、みんな沈黙してきた、と述べていた。

これは不思議な話だ。全共闘世代による回想録は山のように出版されてきたからだ。全共闘世代による記録、回想はおびただしい。同時代を生きたさまざまな世代による論評も膨大である。それにもかかわらず、当事者の一部は、誰も書いていない、書かなくては、と訴える。

おそらく、あの闘いは一つの闘いではなく、同時並行の多様な闘いで蟻、いつ、どこで、誰とともに、どのように闘ったのか。これによって物語が異なるのだろう。AにはAの闘いの物語があり、それはいまだに書かれていない。BにもBの物語がある。そして、CにもCの物語。このため、桐山も焦燥感とともに、パルチザン伝説や風のクロニクルを書いたのではないだろうか。