Sunday, July 11, 2021

非国民がやってきた! 001

田中綾『非国民文学論』(青弓社)

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787292520/

<ハンセン病を理由に徴兵されなかった病者、徴兵検査で丙種合格になった作家、さまざまな手段で徴兵を拒否した者――。総動員体制から排除された戦時下「非国民」の短歌や小説を読み込み疎外感と喪失感を腑分けし、そこから生じる逆説的な国民意識を解明する。>

「いのちの回復」への苦悩の歩みを、「「絶望」を超えて――〈書く〉ことによるいのちの回復」と表現し、ハンセン病療養者の存在、生き様、そして短歌に「〈国民〉を照射する生〉を見る。

歌集『白描』の明石海人に「〈幻視〉という生」の視点から迫り、精神の自由を求めて歌誌「日本歌人」にたどり着いたもう一つの思いを探り、二・二六事件歌に「天刑と刑死」の厳しさを確認する。

次に、ハンセン病療養者とともに非国民とされた徴兵忌避者について、金子光晴『詩集 三人』と丸谷才一『笹まくら』を素材に検討する。

著者は「抵抗の文学」や「反戦の文学」と区別される「非国民文学」という枠組みを設定する。徴兵検査から排除され、国民から除外されながら、なお<国民>的な心性を持ち、国民への激しい希求を抱きながら、やはり「非国民」でしかありえない存在とされたところに「非国民文学」の場を設定する。金子光晴は「抵抗の文学」に数えられてきたが、著者は金子の場合、国家から排除されたために家族によりどころを求めたという。

他方、明治天皇御製が一九四〇年前後(昭和十年代)にいかなる位置を得て、いかなる影響を及ぼしたか。『国体の本義』などにみる明治天皇御製を追跡し、御歌所所員らの「謹話」にみる明治天皇御製にも目を配る。

著者は最後に「仕遂げて死なむ――金子文子と石川啄木」として、大逆の文子と啄木の短歌世界を論じて本書を閉じる。

本書で扱えなかった「非<国民>文学」として著者は太宰治、高見順、伊東静雄、亀井勝一郎、保田輿重郎をあげる。「女こどもについてはほとんど言及することができなかった」と述べるように、取り上げられた女性は金子文子だけであるが、少数者への視線――「国家からとりこぼされてしまう人々をこそ見つめたい」という意識を持っていることが分かる。

著者は北海道出身で、北海学園大学教授、三浦綾子記念文学館館長である。

私は長年「非国民研究者」と自称してきた。10年間、勤務先で「非国民」という日本唯一の授業も開講した。<非国民がやってきた!>シリーズを3冊出版している。

『非国民がやってきた!――戦争と差別に抗して』(耕文社、2009年)

『国民を殺す国家――非国民がやってきた!Part.2』(耕文社、2013年)

『パロディのパロディ 井上ひさし再入門――非国民がやってきた!Part.3』(耕文社、2016年)

1作の『非国民がやってきた!』では、やはり北海道を描いた作家の夏堀正元の『非国民の思想』と、ジャーナリストの斎藤貴男の『非国民のすすめ』を手掛かりに、幸徳秋水・管野すが、石川啄木、鶴彬、金子文子・朴烈らを取り上げた。

2作の『国民を殺す国家』では石川啄木、伊藤千代子、小林多喜二、槇村浩、そして治安維持法と闘った女たち・男たちを取り上げた。

3作の『パロディのパロディ 井上ひさし再入門』では非国民にこだわった井上ひさしと、非国民として亡くなった父親を取り上げた。

天皇と国民の野合(憲法第1条)でまとめられた日本という国民主義の世界では、マイノリティ、先住民族、外国人、そして思想的マイノリティ、変革を志す人々は非国民として指弾され、殺されていく。非国民を生み出す国民国家・日本は現在も変わらない。

田中綾『非国民文学論』はハンセン病療養者と徴兵忌避者に焦点を当てつつ、最後には文子と啄木にたどり着く。続きを読みたくなる本だ。

北海道出身ながら、北海道文芸には通じていない私は、夏堀正元の『渦の真空』を文学史のベスト10にいれている。ちなみに『死霊』は個人的に好きではないので、井上ひさしや大江健三郎は別格として、大西巨人の『神聖喜劇』がトップクラスになる。つまり北海道文芸としては夏堀ということになる。

田中綾は三浦綾子記念文学館館長だという。私は三浦綾子をきちんと読んでいない。なんと、『氷点』だけだ。『銃口』を青年劇場で見た時にきちんと読んでおくべきだった。反省。