1.小林発言の法律問題
東京オリンピック開会式の演出担当だった小林賢太郎が過去に「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」なる差別的揶揄と受け取られる発言をしていたことが発覚して、五輪組織委員会が小林を解任した。
小山田圭吾の差別と差別発言が発覚した時の対応のまずさに比較すると、迅速な解任となった。後手後手との批判を避けるためであったことと、ユダヤ人差別という国際問題になることが明らかだったためだろう。橋本聖子も「外交に関わる」と述べた。
本件は解任によってすでに決着がついた形になった。とはいえ、なぜこのような事態になったかの総括は、後日、組織委員会がきちんとしなくてはならないだろう。
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ネット上の発言のごく一部を見たが、小林発言を「アウシュヴィツの嘘」犯罪と関連付けている例が見られる。
「アウシュヴィツの嘘」犯罪を引き合いに出して考えておかなくてはならないことは確かである。小林発言は、ユダヤ人虐殺をお笑いにしたことによって、「肯定」したものと受け止められる可能性がある。
さらに問われるべきは「矮小化」である。事実を矮小化すると犯罪になる場合がある(後述する)。小林発言は事実の矮小化に当たるか否か、検討しなくてはならない。その意味で深刻な問題であることを理解しておくべきである。
ただ、「アウシュヴィツの嘘」犯罪についての不正確な情報、断片的な情報を基に発言している例が少なくない。
2.「ホロコースト否定犯罪」とは
ドイツにおける「アウシュヴィツの嘘」犯罪については、下記の2点が重要文献である。
1.
櫻庭総『ドイツにおける民衆煽動罪と過去の克服』(福村出版、2012年)
2.
金尚均『差別表現の法的規制: 排除社会へのプレリュードとしてのヘイト・スピーチ』(法律文化社、2017年)
いずれも専門書なので、一般の人が手に取ることは少ないと思われるが、ドイツ法についてはネット上で見ることのできる情報もある。
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ユダヤ人虐殺を正当化したり、事実を否定する発言を犯罪とするのはドイツだけであるかのごとく誤解する人も少なくない。
憲法学者たちが、ドイツではヘイト・スピーチや、歴史否定発言を処罰するが、アメリカでは表現の自由だから処罰しない、という発言を繰り返してきたからである。
極めて大雑把に言えば、これは決して間違いではないが、ちゃんとした法律専門家がこのような発言をすることはない。そもそもドイツだけに絞るのは妥当ではない。欧州を中心に、同種の犯罪類型を持つ国は30近くあるからだ。
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私がこれまでに紹介した国は、ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、ベルギー、ブルガリア、クロアチア、キプロス、チェコ、ギリシア、ハンガリー、イタリア、ラトヴィア、リトアニア、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、マルタ、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニア、アルバニア、マケドニア、スペイン、ロシア、イスラエル、ジブチなどである。
ちなみに、何らかのヘイト・スピーチを処罰する国は約150カ国あることを紹介してきた。
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何を「同種」と見るか自体、実は難しい問題を孕む。
ドイツの場合、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の事実を否定したり、正当化することが犯罪とされる。
フランスの場合、国際刑事裁判で有罪とされた人道に対する罪の事件の事実を否定したり、正当化することが犯罪とされる。これにはナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺だけでなく、それ以外の地域における人道に対する罪の犯罪が含まれる。
スイスも同様であり、このため第一次大戦時のトルコによるアルメニア・ジェノサイドの事実を否定したり、正当化する発言が犯罪となるという実際の裁判例がある。
何を犯罪とするかは国によって異なる。全体を表現する適切な名称がないが、「ホロコースト否定」犯罪、「歴史否定犯罪」、「法と記憶」問題などの言葉で表現される。ヴィダル・ナケの著名な本のタイトルを借りると「記憶の暗殺者」問題である。
ただし、記憶という表現を用いると、記憶の否定が直ちに犯罪になるかのような誤解を与えかねない。
事実を否定し、歴史を歪曲し、記憶を抹消することが直ちに犯罪となる国はあまりないだろう。
これらが犯罪とされるのは、歴史を歪曲することによって被害者集団を中傷・侮辱するからという理解が普通である。
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西欧と東欧とではやや事情が異なる、バルト3国でも同様の法律があるが、その適用に際して、スターリン時代の国家犯罪の否定や正当化を犯罪とする例がある。議論のベクトルが異なるので、単純に一括することは避けたほうが良い。
1.橋本伸也『記憶の政治――ヨーロッパの歴史認識紛争』(岩波書店、2016年)
2.橋本伸也編『紛争化させられる過去――アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』(岩波書店、2018年)
3.ニコライ・コーポソフ「『フランス・ヴィールス』――ヨーロッパにおける刑事立法と記憶の政治」『思想』1157号(2020年)
3 韓国の状況
他方、韓国では同様の法律案が国会に何度か上程されてきた。法律はできていないが、日本よりもずっと研究が進んでいる。
1.康誠賢著『歴史否定とポスト真実の時代――日韓「合作」の「反日種族主義」現象』(大月書店、2020年)
この本に、ソウル・シンポジウムにおける私の報告とホン・ソンス(洪誠秀)の報告が紹介されている。ホン・ソンスの研究が重要である。
日本軍性奴隷制や、植民地支配時代の事実の否定を犯罪とする法案や、軍事独裁政権時代の犯罪をどう扱うかなどの議論が成されてきた。
4 実行行為――矮小化も犯罪となる国がある
もう1つ、実行行為(何をすると犯罪となるか)については、否定や正当化など、これも国によって異なる。
オーストリアでは、否定、重大な矮小化、是認、正当化である。
ブルガリアでは、否定、とるにたりないと矮小化、正当化である。
チェコでは、否定、問題視(疑問視)、称賛、及び正当化である。
スペインでは、法律では否定、賛美、矮小化であるが、憲法裁判所は「否定しただけで犯罪にするのは憲法違反」とした。
矮小化の例は、例えば、1)ナチス・ドイツによって殺害されたユダヤ人の数はもっと少ないとして、事実を小さく見せる場合、2)被害事実はあったが、それは取るに足りないことだ、小さな出来事だと述べる場合、3)被害事実はあったが、被害者の側にも問題があったとして相対化する場合などである。
小林発言の場合、「***ごっこ」として遊びの対象とするお笑いであるので、遊びとお笑いが重なって「矮小化」に当たる可能性が出てくるだろう。
5 刑罰はどうか
刑罰も紹介しておこう。
スロヴァキアでは、1年以上3年以下の刑事施設収容である。つまり、懲役だ。
ポルトガルでは、6月以上5年以下の刑事施設収容である。
イタリアでは、2年以上6年以下の刑事施設収容である
ラトヴィアでは、5年以下の刑事施設収容、罰金、又は社会奉仕命令である。
このように、刑罰がかなり重いことが分かる。それだけ重大犯罪とされている。
もちろん、ついうっかりの発言がそれほど重く処罰されるわけではない。重く処罰されるのは、ネオナチのような確信犯が違法発言を公然と繰り返した場合に限られる。
とはいえ、日本では歴史偽造や歪曲が平気で行われている。重大な被害を生む重大犯罪であり、刑罰は重いことを知る必要がある。