グランサコネ通信2010-23
2010年8月 9日
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1)バーゼル観光
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週末はバーゼルに行ってきました。10数年ぶりに行ってみると駅が立派になっていました。バーゼルはスイスの北にあって、すぐそこがドイツとフランスと国境です。
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バーゼル美術館は、入り口を入ると中庭でミニ・コンサート、カフェ。近代絵画は各時代のものを満遍なく保有しています。スイスの美術館はどこもそう大きくはなく、観光客でもゆっくり見ることができます。バーゼルは3時間もあれば十分。ルネサンス、オランダ絵画、クラナハ、ホルバインに始まって、19世紀ではアミエ、カラメ、セザンヌ、コロー、ドガ、フュスリ、ゴーギャン、ゴッホ、ホドラー、マネ、モネ、ルノアール、アンカー、シャガール、キリコ、レジェ、マレヴィチ、ムンク、マイヨール、ロダン、セガンティーニなど。ホドラーとセガンティーニはスイスの画家なのでいくつかありましたが、ジュネーヴやヴィンタートウールほどではありません。20世紀では、ベックマン、ダリ、エルンスト、ジャコメッティ、キルヒナー、クレー、マティス、ミロ、モンドリアンなど。20世紀後半では、ジャコメッティ、リキテンシュタイン、ピカソ、ウオーホル、ニューマン。アルベルト・ジャコメッティの彫刻だけでなく、絵画、スケッチも展示されていて、初めて見ました。バーゼルの展示はひじょうにオーソドクスで、時代順、あるいは印象派ごと、フォービスムごとにまとまりをもたせています。その意味では、ありきたりで、「発見」がありません。学芸員たちも、大胆なテーマだてにしたがった展示は行わないほうが良いと考えているのでしょう。本音では、あれこれと斬新な展示を考えているはずですが、常設展では控えているのかもしれません。それでも、学芸員が遊んでいる(楽しんでいる)なと思ったのは、一部だけ、時代を飛び越えて、素材の類似に基づいて配列していることです。マルクやブラックの展示がそうでした。これをもっと大胆にやればおもしろいのに。世界がどのように開かれていると、画家は考えたのか。あるいは、その時代の人々が世界はどのように開かれていると考えていると画家は考えて、それに乗ったのか、異議申し立てをしたのか。個人的に見ごたえがあったのは、ホルバインの「イエスの遺体」、フュスリの「横たわる裸婦」、ロダンの「カレー市民」、ゴッホの「自画像」、マルクの「動物の運命」、ジャコメッティの「スクエア」です。
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旧市街をぶらぶら歩いて、歴史博物館、音楽博物館、キルシュガルテン・ハウスも見てきました。地図で見るとバーゼルには大小約30のミュージアムがあるようですが。歴史博物館はもとは教会だった建物をそのまま博物館にしていて、なかなかのものです。もっとも展示の大半はスイスでもフランスやドイツでもよくあるものです。マリアやイエスばかり見ていると飽きてきます。ところが、一番奥の部屋でユニークな展示に出会いました。「バーゼル・死のダンス」です。Der Prediger-Totentanz, Dance of Death. 1335(?)年頃の大火災がきっかけのようですが、15世紀から始まって、図版、絵画、彫刻に「死のダンス」の世界が繰り広げられています。1805年までバーゼルの一番有名な祭りだったそうです。展示は、ミニチュアの「死のダンス」約30、そしてビデオ解説(ただしドイツ語だけで英語がない)。いずれも髑髏が生きた人間を死のダンスに誘うものです。まず2人(2体)の髑髏がラッパと太鼓でアピール、その小屋の中には積み上げたしゃれこうべ。次に髑髏が神父を誘惑、神父は嫌そうにしている。髑髏が騎士や貴族や淑女たちを誘惑。あのてこの手で楽しげにダンス。手を握り、腕を引っ張り、やがては肩を抱き、背中を押して踊り、躍らせ、最後の最後に契約書にサイン(?)をさせるという、怪しげな、楽しい、ミニチュア。とにかく髑髏、髑髏、しゃれこうべ、髑髏、髑髏と、延々続きます。その図版が絵葉書として売られています。受付で販売していた絵葉書にはもう1点、女性を誘惑する死のダンス。歴史博物館の解説書を見てみましたが、死のダンスの解説が書かれてないので、買いませんでした。1805年までは続いていたそうですが、なぜなくなったのか。もったいない。今も、なぜ歴史博物館の奥に展示しているのか。なぜもっと大々的に売り出さないのか。「夏のバーゼル・死のダンス、ライン川と花火の夜」とかにすれば、世界中から観光客が押し寄せる・・・と思うのだけど、ダメかな。
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2)ラインの読書
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中山康樹『ビートルズとボブ・ディラン』(光文社新書、2010年)
これまでにもビートルズ本を何冊も出してきた著者による、<ビートルズとディランの関係>に絞った本です。冒頭に、ビートルズとディランの関係の最初と最後に登場するのが「悲しき街角」のデル・シャノンだなどという話が出て来て、いや~懐かしいと思ったら完全に著者の術中。50年代のプレスリーから、60年代のビートルズとディランへと時代がなぜ、どのように変わっていったのか。その中でジョンやポールはいつ始めてディランを耳にしたのか。ディランはいつビートルズを聴いたのか。お互いの影響関係は。こうした話が数多くの証言や記録を元に展開されています。ビートルズ、とくにジョージとディランの関係はよく知られていますが、60年代を席巻した両者の影響、信頼、時に反発の歴史はとてもおもしろいものです。最後に著者は、これまで共演していないポールとディランの共演もありえないことではないと締めています。ディラン、69歳、ポール、68歳。見てみたいような、見たくないような。でも本当にそろそろ最後。
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マーク・ドランブル『大虐殺、処罰、国際法』(ケンブリッジ大学出版、2007年)
パレ・デ・ナシオンの書籍売店にあったので買いました。国際刑事裁判所規程採択以後、国際刑事法の研究書は山のように出ていて、フォローしきれていません。本書は2007年のものですが知りませんでした。著者は、マギル大学で学び、トロントとコロンビアで大学院、その時期にルワンダ虐殺について書いた本で評価を受け、現在はリー大学教授で、国連ソマリア調査団のメンバーにもなったということなので、この分野ではかなり良く知られているようです。「ようです」というのは、恥ずかしながら、私は知らなかったから。裏表紙には国際刑事法の大御所中の大御所であるウィリアム・シャバスとシェリフ・バシウニによる推薦文がついているほどですから、有望株なのでしょう。本書の大半、特に前半はほとんど知っていることばかりなので、すぐに読めます。この種の本では、ニュルンベルクと東京、旧ユーゴとルワンダ、そして国際刑事裁判所という歴史が整理されていますが、どれも先行研究からの引き写しで、オリジナリティはあまりありません。本書の東京裁判の記述を読めば、欧米の研究者はこの程度しか知らないのだ、ということがよくわかります。およそ何も知らない。ルワンダについてはさすがに詳しく、ガチャチャの記述に力を入れています。本書のオリジナリティは、後半第5章からの法理論分析です。「法的擬制Legal Mimicry」という表題が著者の意図をしめしています。国際刑事法における法の移植、法の客観化、民主主義の欠落、補足性といった問題を検討した上で、選択性や抑止について考える手順です。
Mark A. Drumbl, Atrocity, Punishment, and INternational Law, Cambridge, 2007.