1)人権理事会諮問委員会における平和への権利
*
人権理事会諮問委員会第7会期は、8日に国連欧州本部で始まりました。会期は5日間です。8日午前は、議長を選出したり、議題を確認したり。8日午後に、平和への権利を巡る審議が行われました。
*
NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR)は、8月8日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会諮問委員会第7会期において、作業が進行中の平和への権利国連宣言起草に関連して、発言をしました(発言草稿を本欄一番下に貼り付けます)。
前半は2008年4月17日の名古屋高裁判決の紹介です。3月の人権理事会の際にも同じ発言をしています。平和的生存権に関する日本の情報が知られていないので、もっと積極的に紹介していく必要があります。
後半はピース・ゾーンについて、日本で取り組んでいる無防備地域運動、27ある軍隊のない国家、フィンランドのオーランド諸島を例にして、「ピース・ゾーンをつくる人民の権利」を訴えました。こんな言葉初めて聞きました(笑)。発言の2時間ほど前につくった言葉です。「ピース・ゾーンをつくる人民の権利」。短い中に、軍隊のない国家と軍隊のない地域、憲法9条と第一追加議定書59条、国際人道法と国際人権法を組み込んだ発言で、スイスの平和運動家クリストフ・バルビーが「最高の発言だ」と喜んでいました。
*
審議では、最初にハインツ委員が「進展報告書」(A/HRC/AC/7/3)のプレゼンテーションをしました。報告書には、人民の平和への権利国連宣言の最初の草案が収録されています。これまでずっと議論が行われ、NGOはいくつもの宣言を発表してきました。国連の公式機関レベルで草案がまとめられたのは今回が初めてです。草案は全14条です。NGOのサンティアゴ宣言からいくつもの取り入れられていますが、また多くが削除されています。
委員、政府、NGOの発言の中心となったのは、第1に、平和への権利の性格、第2に、手続き論・入口論、第3に、監視メカニズムの設置問題です。
第1に、平和への権利の性格というのは、個人の権利だけでなく人民、つまり集団の権利としていることです。アメリカ政府や日本政府は、権利は個人の者で集団権利は認められないと考えています。しかし、人民の自決権、発展の権利、環境権など、すでに集団の権利はいくつも認められてきています。
第2に、手続き論・入口論ですが、平和問題は人権理事会で議論するテーマではなく、安保理事会マターであるというのが中心です(それだけではありませんが)。アメリカ、EU、日本がこう考えています。坂元茂樹委員は、世界人権宣言28条を手掛かりとして、平和な国際秩序は世界人権宣言ですでに対象とされていたのであって、現在いっそうのこと人権としての平和を議論するべきであり、人権理事会に相応しいと発言していたのが印象的でした。
第3に、監視メカニズムは条約でつくるものであって、宣言では履行や監視のメカニズムは設置できないという問題です。NGOは監視メカニズムをつくれと主張してきましたが、ハインツ草案は、監視メカニズムについて議論を継続するべき、というにとどめています。
*
今回発言した政府は、アメリカ(反対意見)、ボリビア、キューバ、パキスタン、コスタリカ、アルジェリア、ウルグアイ、モロッコ(賛成意見)でした。
*
NGOは、国際平和メッセンジャー組織(カルロス・ビヤン・デュラン)、国際人権サービス(アルフレド・デ・ザヤス)、国際人権活動日本委員会(前田)、国際民主法律家協会(笹本潤)でした。
*
平和への権利宣言をつくる動きは、人権委員会時代から10年ほど議論が続いていましたが、具体的な話になってきたのは、2006年にスペイン国際人権法協会がキャンペーンに乗り出し、2008年に人権理事会決議で宣言作成の方向性を打ち出してからです。2010年人権理事会は、諮問委員会に対して宣言草案作成を要請し、今回、ハインツ委員が最初の草案を提出しました。
私たちは、2009年からこの動きに加わり始め、2010年以来、人権理事会会期中に塩川頼男さんの努力でパネルディスカッションを4回ほど開催し、2010年の諮問委員会と2011年の人権理事会でNGOとして発言し、8月7日には専門家協議会を開催しました。8日は私と笹本潤さん(弁護士)が諮問委員会で発言しました。
今後は、ハインツ委員たち作業部会で草案の練り直しを行い、2012年2月の諮問委員会で再検討を行い、2012年6月の人権理事会に宣言草案を提出します。人権理事会で審議の上、国連総会での採択をめざすことになります。
アメリカ、EU、日本が断固反対を貫いているため、先行きがどうなるかは読めません。投票を強行すれば、数の上では賛成多数になるでしょうが、それでは後々よくないので、あちこち討論と妥協を重ねながら、できるだけ多くの国が賛成できるものにしていく経過をたどるでしょう。その意味では、私たちNGOの要望はすでに大半が削除されてしまっていますし、今後も削られていくかもしれません。
自国政府が反対している平和への権利宣言草案作成の担当者はハインツ委員(ドイツ)、NGOとしてこれを支えているのはスペインと日本です。ヒトラー、フランコ、ヒロヒトではありませんが、ドイツ、スペイン、日本政府が反対でなく、せめて棄権にまわってくれるといいのですが。
*
嵯峨野で、シャルドネ・ジュネーヴ2009、にぎり、冷奴、山かけ。
*
2)谷口義明『宇宙進化の謎--暗黒物質の正体に迫る』(ブルーバックス、2011年)
*
おなじみブルーバックスです。銀河は宇宙空間に一様に分布しているわけではなく、密集しているところもあれば、過疎のところもあるということで、あちこちに穴があいたようなものだそうです。なぜこのような構造になったのか。実はその穴の部分には、得体の知れない物質があり、これを暗黒物質と呼びます。さらに暗黒エネルギーもあるということで、宇宙の質量密度でいえば、暗黒物質が23%、暗黒エネルギーが72%で、われわれが慣れ親しんでいる原子物質は5%にすぎない。本書前半の宇宙の階層構造やら泡構造、泡宇宙論、銀河団といった話は知っていましたが、後半の暗黒物質等は断片的にしか知りませんでした。ただ、本書を見てもただちに明らかなことは、宇宙科学が地球基準、人間基準で成り立っていることです。どんなに自然科学だ、宇宙だといっても、理論枠組みも測定基準もすべて見事に「人間」的です。現代科学の最先端でさえこれほど「人間」的なのです。
*
3)桜井哲夫『今村仁司の社会哲学・入門』(講談社、2011年)
*
東京経済大学で同僚だった著者が、2007年に亡くなった今村仁司の研究をフォローし、1冊で丸ごと理解できるようにしてくれました。これから学ぼうとする人には最良のガイドブックです。
『歴史と認識--アルチュセールを読む』(1975年)、『アルチュセール--人と思想』(1980年)でアルチュセール研究者として知られていた今村ですが、『労働のオントロギー』(1981年)、『暴力のオントロギー』(1982年)の2作で独自の思想家として颯爽と活躍し始めました。『排除の構造--力の一般経済序説』(1985年)、『現代思想のキイ・ワード』(1985年)、『現代思想の系譜学』(1986年)、『理性と権力--生産主義的理性批判の試み』(1990年)、『近代性の構造--「企て」から「試み」へ』(1994年)と展開していきます。桜井は、現代思想家としては広松渉と今村がぬきんでていると見ています。確かに、1980~90年代には今村の知的影響力は実に大きかったと思います。アルチュセール、ボードリヤール、マイケル・ライアン、イーグルトンなどの翻訳も続々と発表していました。私も上記の著書はいちおう読んでいました。広松渉の方をずっと熱心に読んでいましたが。
90年代以後の今村は、『タイで考える』(1993年)、『中国で考える』(1994年)、『ベンヤミンの<問い>』(1995年)、『群衆--モンスターの誕生』(1996年)、『「大菩薩峠」を読む--峠の旅人』(1996年)、『アルチュセール--認識論的切断』(1997年)と幅を広げ、思索を深めていったということです。しかし、私はこのうち「ベンヤミンの問い」しか読んでいません。ベンヤミンの翻訳や「マルクス・コレクション」も続きます。
その後も、『近代の思想構造--世界像・時間意識・労働』(1998年)、『交易する人間(ホモ・コムニカンス)』(2000年)、『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』(2000年)、『清沢満之の思想』(2003年)、『清沢満之と哲学』(2004年)、『抗争する人間(ホモ・ポレミクス)』(2005年)、『社会性の哲学』(2007年)、『親鸞と学的精神』(2009年、没後の出版)など、晩年も旺盛に著作を発表しています。しかし、私は一つも読んでいません。
私にとっては、今村は80年代日本を代表する思想家の一人ではあっても、それ以上のものではなく、21世紀にはいってからは過去の思想家と思い込んでいました。これは不適切な思い込みだったようです。桜井によると、今村は80年代から死の直前まで一貫して、人間存在の原基的あり方を追及し、知の領野を渉猟し続けたのです。
近代社会、現代社会を徹底的に研究した今村が、晩年、明治時代の真宗大谷派の学僧・清沢満之にはまり、「目覚め」の哲学を追求し、さらには親鸞にさかのぼっていったことを、桜井は、もちろん、今村の思索の深まりとして把握しています。それはそうなのでしょうが、私には「なんだ今村も日本回帰か」と呟くしかありません。桜井は、単なる日本回帰などではない、と力を込めて訴えるでしょうが。また、マルクス、エンゲルス、マッハをはじめ西欧近代の思想に貫かれていた広松渉が「近代の超克」を経て大東亜共栄圏に「回帰」したことと同断にはできませんが。それにしても。
*
THE JAPANESE WORKERS’ COMMITTEE FOR HUMAN RIGHTS
2-33-10 Minami-Otsuka, Toshima-ku,
tel:+81-3-3943-2420 fax:+81-3-5395-3240 e-mail: hmrights@mx16.freecom.ne.jp
Human Rights Council
Advisory Committee 7th session
Item 3
8-12 August 2011
Right of Peoples to Peace
Statement by Mr. Akira MAEDA
Professor of
on behalf of the
Japanese Workers’ Committee for Human Rights (JWCHR)
Japanese Workers Committee for Human Rights welcome the resolution of Human Rights Council 17/16 on Promotion of the right of peoples to peace and the Progress Report prepared by the drafting group of the Advisory Committee on the human rights to peace. The right of peoples to peace is the fundamental of civil, political, economic, social and cultural rights.
Right to live in peace in
In this regard, we would like to introduce you the relevant decision of Japanese court. As you know, article 9 of Japanese Constitution proclaims the renouncement of war and abandonment of army. In addition, the Preamble of the Constitution reads in relevant part: " We, Japanese people, recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want."
17 April 2008, Nagoya High Court found that the right to live in peace is a concrete right. The high court stated that the integration of the Japanese Self Defense Force's air transport activities with the use of force by coalition forces in
Peace Zone
Secondly we would like to propose a new paragraph on" peace zone" to article 3 of draft Declaration, disarmament. In 2004, Japanese people started the new Peace Zone Campaign demanding the non-military zones to local governments, according to article 59 of the First Protocol of 1949 Geneva Conventions of 1977. The article 59 describes the Non-Defended Locality can be settled in local area. Therefore Japanese people combined article 59 of First Protocol and article 9 of Japanese Constitution. Article 59 describes the local Non-Military Zone and article 9 demands the national Non-Military Zone.
As you know, there are 27 countries without armies in the world. Countries without armies are peace zones in national level.