1)ジュネーヴ
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人種差別撤廃委員会と国連人権理事会諮問委員会の傍聴のため、7月30日にジュネーヴに来ました。今年は東日本大震災のため授業が5月から開始となり、その分、7月末まで授業でした。ぎりぎりまで雑用に追いかけられ、テキトーに荷造りをしてきたため、あれもない、これもない状態で、いろいろ買わなくてはなりません。でも、涼しくて快適だし、雑用に追いかけられずにすむので、気分はしっかり夏休み。
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本日はスイスの建国記念日で休日。日曜日と建国記念日が続く連休、観光に出かけず、グランサコネの丘をのんびりお散歩して、展望台で読書でした。
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2)渡辺裕『歌う国民--唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書、2010年)
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「日本人はこんなにたくましい」「鉄道唱歌、郵便貯金唱歌、卒業式の歌、校歌、うたごえ、そして現代までをたどるもう一つの近代史」と称して、近代国家において「国民」をつくるために歌がどのような役割を果したか、果させられたかを追跡しています。明治政府が西洋音楽を調査し、取り入れていく過程は、歌を通じて健全な国民を形成していくためであったことを初めとして、それぞれの時代に国民がいかなる歌を通じて一体感を形成していったかを、コミュニティ・ソングとして把握しています。天皇制軍国主義の時代にも軍歌に限らず多く利用されましたが、イデオロギー的利用だけではなく、文化とはそういうものであるとして、さまざまな観点から分析する試みを展開しています。卒業式の歌では、<仰げば尊し>と<旅立ちの日に>の興亡が興味深く、県民歌として、長野県民の歌や秋田県民歌のエピソードもなかなかおもしろい。また、うたごえについても、上からの国民形成とは逆の、下からの国民形成ではあるが、フランス革命歌、ソビエト革命・社会主義建設との関連では、同じパターンであるとの指摘も。もっとも、近代日本と言いながら、対象は現在の日本(列島)のみで、台湾、韓国などの植民地は対象外です。また、世界は西欧と日本でできているというかのような狭い視野。
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3)古賀茂明『官僚の責任』(PHP新書、2011年)
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経済産業省の官僚で、『日本中枢の崩壊』で知られ、公務員制度改革を巡る発言のため、仙石由人官房長官から”恫喝”されたという著者の最新刊。辞職を迫られているそうです。あとがきによると、「どういうわけか、人事権者である海江田万里経済産業大臣とは結局、一度も会わせてもらえなかった」とのこと。著者によると、東日本大震災で幹部官僚は「これは、大チャンスだ」と考えたはずで、その中味は「これで新たな利権と天下りポストを確保できるぞ・・」ということ。本文で、こうした官僚の思考様式を次々と暴露し、優秀なはずの官僚がなぜ「国益」など少しも考えず、「省益」、個人益ばかりを追求するのかを論じ、公務員制度の大改革を提言しています。腐敗構造にどっぷりつかっている官僚はどうにもならないが、若手の中には本当に国民のためにいい仕事をしたいと思っている官僚がいるので、上をやめさせるとともに、若手のやる気をなくさせないようにしないといけないそうです。自民党政権はまともな改革ができないのは当たり前だが、民主党政権もなぜ改革できないのかの理由も分かりやすく書かれています。長妻昭大臣が追い落とされた過程に見事にあらわれているわけです。すでに日本崩壊のカウントダウンが始まっており、東日本大震災でその過程が一層早まったという現状認識は私も同じです。もっとも、私は著者ほどの危機感がなく、むしろ今の日本なら崩壊した方がましかも、と思っているのですが。