Tuesday, August 16, 2011

グランサコネ通信-110816

1)人種差別撤廃委員会



人種差別撤廃条約づいて設置された人種差別撤廃委員会(CERD)、批准国からの報告書、審議、一般的性格する勧告提示します。委員会政府との対話じて、勧告条約履行促進する目的です。日本政府報告書審査2001年2010年われました。「一般的性格」というのは、裁判所ではないので、特定事件解決するための判決すわけではないということです



委員18名、批准国による推薦選挙によって選出されます。地域バランスやジェンダー・バランスを考慮することになっていますが、CERDはジェンダー・バランスがとれていません。2012年までの任期委員アフトノモフロシア)、カリザイグアテマラ)、ダーブルキナファソ、女性)、ディアコヌルーマニア)、ファン(中国)、ラヒリインド)、マルティネスコロンビア)、ピータータンザニア)、プロスパーアメリカ)。2014年までの任期委員アミールアルジェリア)、クリックリーアイルランド、女性)、デグートフランス)、エウオンサントーゴ)、ケマルパキスタン)、ムートトルコ)、リングレンブラジル)、サイードニジェール)、トンベリイギリス)。以前ソーンベリばれていたはずですが、2010年今回はトンベリになっていますアイルランドなのでそれがしいのか(?)。



ケニア政府報告書(CERD/C/KEN/1-4. 13 January 2011)--第1回報告書司法大臣がプレゼンテーションしました。2001年条約批准したが、政権安定せず、社会問題をたくさんえていたので報告れたということです


憲法第70条、個人基本的権利自由、人種、部族、出生地居住地その地方関係、政治的意見、皮膚色、信条又性別によることなく保障されるとしています


憲法第82条、人種、部族、出生地居住地その地方関係、政治的意見、皮膚色、信条又性別による差別的取扱いを禁止しています


刑法第63条は、違法な集会、自警団や違法な宣誓をする集団を禁止しています。政党法は、民族政党や宗教政党を禁止しています。最近、ヘイト・スピーチ法案がつくられていますが、法律にはなっていません。刑法第77条は、破壊的意図を持った行為を明文で禁じています。破壊的意図とは、異なる人種やコミュニティ憎悪敵意感情促進するっことを意図することです。刑法第96条、暴力煽動への不服従禁止しています。刑法第138条、宗教的感情なうことを意図した文書発言じています


国民統合法、人種的民族的侮蔑差別的慣行じています


ヘイト・スピーチ法案しい内容報告書からはわかりません



2)チューリヒ・ダダ



週末はチューリヒへってきました。目的はチューリヒ美術館のチューリヒ・ダダ。2004年一度行ったのですがそのはただ美術館をざっとてきただけです。今回ダダにしぼってじっくりめるためにきましたがダダもシュルレアリスムもそうくありませんでした。展示中心17~18世紀イタリア絵画、印象派になっていましたまた、スイス圏の画家もいちおうそろっています。ホドラーセガンティーニとくにジャコメッティ一家、アルベルトの彫刻充実。アンジェリカ・カウフマンも2点ありましたスイス女性画家では一番知られているアンジェリカクール美術館にもありました


土曜夏祭りでチューリヒ人出でしたしかも、圧倒的に10~20代の若者たちが、仮装して踊っていました。チームごとにおそろいですジュネーヴやローザンヌにいるとスイスは年配いなとじることがあるのですがチューリヒぜんぜんいましたスイスは老成していない。日本のおりは平均年齢50~60かも



3)河出書房新社編集部編『思想としての3.11』(河出書房新社、2011年)



あのからわったのか、何がかわらないのか、何えるべきなのか 生、死、自然、震災、原発、国家、資本主義・・・・・・思索者たちがいまこそという宣伝文句。自称「思索者」、佐々木中、鶴見俊輔、吉本隆明、中井久夫、木田元、山折哲雄、加藤典洋、田島正樹、森一郎、立岩真也、小泉義也、檜垣立哉、池田雄一、友常勉、江川隆男、高祖岩三郎、廣瀬純など。年齢様々です。肩書きは哲学者としているいです。個々のタイトルは「砕かれた大地ひとつの場処」「未来からの不意打」「はじまりもなくわりもない」「世界するということ」「考えなくてもいくらでもすることはあるしたまにはえたがよいこともある」「自然乱暴であるにまっているなどなかなかおもしろそうなのでいました


もっとも、見込いで、不満ります


死者被災者「利用」することをれるとんに強調してゲームはない、拒否しますめながらズルズルとってせるのってありかよっています。「正しく利用するために、責任って、大いにるべきだろう」--これが見解。


同様に、「哲学者は正しく昼寝をしているべきだ」「巷に溢れている言説に何かをつけ加える能力など何もないからだ」と言いながら、ダラダラ書いているのって、ナンだよ、これ、って思います。だったらお昼寝してろよ


「映画館たパリのでは、雑草などは本当貧弱、「飛行機からえる、伊豆半島房総半島緑」して、日本とヨーロッパの田園とを比較したり。比較間違ってるだろ。「映画館銀座街」べろよ


かつて、反原発反対とか、議論のための議論をしていた人間あわてて軌道修正しているのも見苦しい。自分過去言説検証をしてかられよ


「思索者」というより「失策者」。もっとも、今たちのもが失策者なのですが



4)『ヨーロッパにおける表現自由』(欧州評議会出版、2007年)


Freedom of expression in Europe, Case-law cincerning Article 10 of the European Convention on Human Rights, Council of Europe Pubkishing, 2007.



日本やアメリカとって、差別発言刑法的規制している欧州状況るためにざっとみましたメディアの自由、放送、情報へのアクセス、商業言説、一般的利益保護、個人権利保護、司法権威公平性して、欧州人権裁判所判例紹介されています。日本研究論文んだことがあるていますが、知らないことのかったですオーストリアの党議員ナチス・ジャーナリズム誹謗されたワブル事件、スロヴァキアで大臣ファシストの過去」批判して有罪とされたフェルデク事件、ノルウェーのある教授にベルゲンの警察官残虐だといたので反論したところ侮辱罪有罪となった警察官ニルセンとヨンセン事件、ウィーン市議会議員つのセクトを「全体主義的性格」「ファシストの傾向」ぶのをじられたことをえたイェルサレム事件などどこにどんな事件ているかをつけるのが精一杯、内容まで把握できていませんヘイト・クライムそのもので処罰されて欧州人権裁判所提訴した事例見当たりませんでした



5)曽野綾子『自分始末』(扶桑社新書、2011年)



んだらつだろうなといながらもってきた1冊。なにしろ曽野綾子。買った理由、上野千鶴子さんのベストセラーおひとりさま比較してみようとったからですしかし、予測れました。第1、腹たない。第2、上野さんの比較のしようがない。「自分始末意図するところは、実はたったできるだけあらゆる他人迷惑をかけずにかにこのわることである。私たちは一瞬一瞬きるはないのだからその一瞬一瞬をどう処理するか、私はずっとえてきたということで、「人生しく知恵」です本当に「他人に迷惑をかけずに静かに」していてほしいものです。曽野綾子小説やエッセイなど10数冊からさまざまな文章してべたつくりですまとまりがなくただただべているのであちこちみができるというか、拾以外方法がないそのほうが、一般にはみやすいのでしょう



6)吉田徹『ポピュリズムをえる--民主主義への再入門』(NHKブックス、2011年)



ポピュリストであるということはそもそも民主主義における原初的人々との約束、再政治において要求することを意味するそれは、既存政治のなかで、忘れられ、自らの意志政治反映されていないとじる人々、政治する信頼希望、民主主義たな息吹をもたらすものになるかもしれないからだ。徹底したポピュリズムこそが民主主義私たちの残されている唯一の希望は、ここにある。これが本書本文最後文章です。私たちが石原東国原橋下という名前とともにセットでいなしているポピュリズムですが、著者によるともともと民主主義民衆、人民、国民意志政治反映する制度でありそのりでポピュリズムは不可避であり、単純否定できるものではないそうです。日本だけでなくサッチャーハイダーベルルスコーニなど現代西欧においても次々登場しているポピュリズムをそれぞれの状況における政治課題連関理解その比較する作業ないポピュリズムの多面性提示、単否定するのではなくその意味十分理解してえる方法確立することが必要だということを、繰いていますポピュリズムにする一面的理解指摘されると、私もそういう限界っていたようなので、勉強になりました。特にポピュリズムとナショナリズムのびつきについてそういういのはかですが、必然というわけではなくポピュリズムがインターナショナリズムとびつくこともあるというのも参考になります